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平成22年2月7日(日)本日:岐阜市長選の投開票、政党推薦なしの選挙。 候補の多くは6日、選挙カーで市内全域を回るなどした後、夕方には名鉄岐阜駅やJR岐阜駅前などで演説、有権者と握手をしながら練り歩いたりして7日間の戦いを締めくくった。 告示翌日の今月1日から始まった期日前投票も6日に終了。市選管によると、投票者総数は1万2969人となり、投票率が過去最低(30.28%)だった前々回市長選の5524人と比べて2倍以上となった。市選管の担当者は「4人が立候補する激しい選挙戦で有権者の関心が高まっている」と分析、最終投票率の行方に期待を寄せている。 投票は7日午前7時〜午後8時まで。開票作業は同9時半に始まり、同11時半頃には終了する見通し。 市選管によると、前日有権者数は33万2804人(男15万7600人、女17万5204人)。 立候補しているのは、新人の元市立中学校教諭・大西隆博氏(44) 現職・細江茂光氏(61) 新人のコンサルティング会社経営・浅野真氏(41) 新人の主婦・岩田良子氏(52)の何れも無所属の4人。 今回の選挙は、昨年白紙撤回された市立岐阜商業高の学校法人・立命館への移管問題の賛否で二分した市議会が、細江氏支持と浅野氏支持に分かれて対立。両陣営とも「投票日当日に突然行けなくなったり、気が変わる前に入れてほしい」「まとまって行ってもらうことで、確実に投票してもらえる」などと期日前投票を呼びかけている。 こうした呼びかけを受けてか、市選管は、投票したことを証明する参会証明書を4日までに約600枚発行。市選管は「これまではデータさえ取らないほど、ごくわずかだったのに」と驚いている。 ※ 沈滞ムード著しい岐阜市。このままではいけないと、誰しも思いながらも、いざ直面する変化には極めて消極的な反応しか示せない旧態依然の岐阜市。面子を優先させて、全く機能していない市議会。さながら、保守王国の成れの果てと言った風情か。かつて、岐阜には信長が居城を構えていたとは信じがたいほどの守旧ぶりだ。駅前の黄金の信長公が … 、鳴かぬなら殺してしまえと涙する 。 2月7日は、九条武子の命日です。(如月忌) ◇ 九条武子(1887年〜1928年)教育者・歌人・社会運動活動家 西本願寺第21代門主・明如(大谷光尊)の次女(母・藤子は光尊の側室で紀州藩士族の子女)として京都で生まれる。義姉・大谷籌子裏方(大谷光瑞夫人)を助けて仏教婦人会を創設、1911年(明治44年)、籌子が30歳の若さで早世の際は本部長に就任、同会運営の重責を果たした。 仏教主義に基づく京都女子専門学校(現・京都女子学園、京都女子大学)を設立、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で自身も被災するが一命を取りとめ、全壊した築地本願寺の再建、震災による負傷者・孤児の救援活動(「あそか病院」などの設立)などさまざまな事業を推進。 佐佐木信綱に師事し和歌にも長け歌人としても、『金鈴』『薫染』などの歌集がある。愛唱されている仏教讃歌の「聖夜」は、1927年(昭和2年)7月に出版された随筆『無憂華』の中に収められている。「聖夜」の作曲は中山晋平で、歌詞は七五調で構成され、夜空に輝く美しい数多の星のようにおわする仏たちに護られて生きていることの歓喜と安らぎが表現されている。 1928年(昭和3年)2月7日、震災復興事業での奔走の無理がたたり敗血症を発症、42歳の若さで念仏のうちに往生する。宗門では、九条武子の命日を如月忌と呼ぶ。 武子は才色兼備の麗人として名声が高く、柳原白蓮(大正天皇生母・柳原愛子の姪)、江木欣々(栄子)とともに大正三美人と称された(欣々の代わりに林きむ子を入れる場合もある)。私生活では1909年、公爵家出身で正金銀行勤務・九条良致(よしむね)に嫁いだ。武子は結婚後、良致の勤務先兼留学先(ケンブリッジ大学)・ロンドンに随行したが、渡英一年半で武子は帰国、良致はそのまま英国滞在という別居状態が十数年続いた。 美貌・教養・家柄(大谷家は伯爵家)の誉れ高き武子に、良致(男爵)がなじめなかったからではないか等、夫婦不和の憶測もあったが、武子は良致の帰国をひたすら待ちつづけた。1920年末に良致が帰国し、夫婦同居が実現。武子・良致の間に子はなかったものの、関東大震災などを経て、武子の死まで良き夫婦関係であったと伝えられる。 歌碑 おほいなるもののちからにひかれゆく わがあしあとのおぼつかなしや (東京築地本願寺境内) 山の院連子の端にせきれいの 巣あり雛三つ母待ちて鳴く (比叡山西塔) まろき山みどりふかぶかといくへかも こころのいでゆのながめすがしも (花巻温泉内) 以下、随筆『無憂華』より 女の涙 女の涙はうつくしい。それは冷たい客観の世界から離れた、きはみなき愛の泉からしたゝりくる純情の一しづくである。 しかし多くの女子は、これをみづからの遊戯として弄ばうとする。そしていはゆる涙の征服が、つひに涙の陥穽となることに心づかない。かくて世に、不良の児を救ひ上げた慈母の尊き涙よりも、みづからを詐つた巧みな涙が多いのは、悲しいことである。 女は涙そのものを、卑しむべきものにしてはならない。むしろ涙によつて象徴される、つゝましき純情の、男子よりも多分にめぐまれてゐることを讃美しよう。それはまた、涙によつて生きることの辱しめを償ふ所以であるとおもふ。 久遠の瞬間 ローマのルインは七つの丘にむなしき俤をとゞめてゐる。ポンペイの最後は地上の歴史の終焉を示してゐるかのやうである。悠久なる自然の生命に比較するとき、人間の歴史の如何に短く、また如何に果敢なきか。しかもその短きペーヂの、渺たる粟粒に似た、われらは一の存在に過ぎない。 しかし如何に小さな存在であつても、われらは疑ふこともなきたしかな存在であるところに、一瞬の生命のいよいよ尊きことが知られる。永遠の生命の獲得を、この一瞬の間にのがしてはならない。われらの歎きは、短き命をもつてゐることにあるのではなく、瞬間の生命を、よく生かし得ないところに在る。 一瞬の中に 悪魔の呪ひにかけられた城の人たちは、長い眠りにつかなければならなかつた。城のほとりに生ひ茂る野薔薇は、ぐんぐん伸びて行つた。月日が経つて、もはや人々は、むかしこの国に、野薔薇の城があつたことさへも忘れてゐた。 呪ひが解けた日に、城のなかは蘇へつた。しかし王も王妃も兵士たちも、長いあひだ眠りに封じこめられてゐたことを知らなかつた。それは城の人たちには、ほんの瞬間のまたゝきほどにも感じないのであつた。 うつしよなればたまゆらに 結びし夢ははかなくも 千万億のながき世に つゞくえにしぞ秘めらるる うつしよなればかなしくも 水泡(みなわ)のごとく生れいで けむりのごとく忘らるる 一瞬の悪夢の中にも時代は遷つてゆく。千万億劫の業因も、ひとゝきの息の間に秘められてゐることを知る。 西行 高雄山の紅葉を賞でた西行は、文覚の庵を訪ねて、一夜の宿を乞うた。文覚はかねて西行を偽善者と思ひ、めぐり会ふ折もあらば、存分に懲らしめようと思つてゐたのであつた。 西行は訪れて来た。―― そして翌朝、西行を送り出した文覚は、却つて自分が、懲らしめられなかつたのを怪しむのであつた。 他の瞋恚の心をみて、自らの瞋恚の心に泣き、つねに深みへと自省の境地に佇んで行つた西行は、何人に接しても、しみじみとした懐しさを感じたであらう。一羽の小鳥の飛び立つ羽音にも心惹かれ、一輪の野の花にも足をとゞめた彼は、自然も人生も同じ光の中に在る親しさを、覚えずにはをられなかつた。 勿論、同じ光の中に在りながらも、互ひに背き合つてゐる寂しさをみつめねばならなかつた西行は、寂しかつたであらう。しかし、ひとり寂しくをることは、一切衆生と偕にをることである。彼は単に牧歌的詩興に陶酔した旅の人ではなかつた。 聖夜 星の夜ぞらのうつくしさ たれかは知るや天のなぞ 無数のひとみかゞやけば 歓喜になごむわがこゝろ ガンジス河のまさごより あまたおはするほとけたち 夜ひるつねにまもらすと きくに和めるわがこゝろ |

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