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平成22年2月15日(月)昨日:長野で金、五輪出場5度の里谷、第一線退く。 1998年長野五輪のフリースタイルスキー女子モーグルで金メダルを獲得した里谷多英(33)=フジテレビ=が、バンクーバー五輪で19位に終わった13日の競技後、第一線から退く意向を示した。同五輪公式ニュースの取材に「たぶん今回が最後の大きな大会になると思う」と語った。 里谷は日本の記者団にも「思い残すことは」と質問されて、「ない」と答えた。 2002年ソルトレークシティー五輪でも銅メダルを獲得した里谷は今大会で、冬季五輪の日本女子ではスピードスケートの岡崎朋美(38)=富士急=と並び最多の5大会連続出場を果たした。3月に福島・猪苗代で行われるワールドカップには出場の見通し。 ※ 昨季当初、W杯遠征メンバーから漏れ、下部大会を回って結果を残して復帰した里谷。今季W杯の後半では腰痛がひどく途中離脱し、ぶっつけ本番でバンクーバーに挑んだ里谷多英だった。苦境を乗り越えての冬季五輪5大会連続出場を成し遂げた。岡崎朋美とは全く異なるカラーだが、そこが面白い。五輪には“一発屋”が欠かせない。里谷多英は冬季五輪に大きな足跡を残した。 2月15日は、人間国宝誕生の日です。(1955年) 1955年2月15日に第1回の重要無形文化財が指定されました。 重要無形文化財の保持者が、通称で「人間国宝」と言われます。 重要無形文化財の保護を目的として、人間国宝に対して年額200万円の特別助成金を交付。保持団体に対しては、伝承者養成事業や文化財公開事業に対してその経費の一部を助成する。 第1回の重要無形文化財指定では、陶芸家の濱田庄司氏も選ばれています。 ◇ 濱田庄司(1894年〜1978年) 神奈川県川崎市生まれ。 1916年(大正5年)、東京高等工業学校(現・東工大〉を卒業。在学中に2年先輩の河井寛次郎を知る。卒業後は河井のいた京都市立陶磁器試験場に入所し、一緒に釉薬の研究を行う。 1918年、東京でバーナード・リーチと出会い、 1920年、リーチの誘いで共に渡英し、向こうで築窯・作陶した。 1924年、英国から帰国、京都の河井邸に滞在して、河井と柳宗悦を結びつけ、栃木県益子に移る。 1925年、柳、河井と「民芸(民衆的工芸)」の語を創案し、民芸運動の推進者となる。以来、奇をてらった作風を嫌い、焼き物本来の健やかで堅実な作品を生涯にわたって制作。釉薬も益子既存のものを使い、彼だけの特別の秘釉はなかったが、これを自在に駆使して、独自の表現や手法を創案した。 1955年(昭和30年)民芸陶器により人間国宝に認定される。1962年、柳のあとを継ぎ日本民芸館館長に就任。 1968年には民衆的工芸品の美しさを国際的にひろめた業績により文化勲章を受章。海外で最も著名な日本の陶芸家で、米国ミシガン大学、英国ロンドン王立大学より名誉学位を受けている。 1978年没、享年84。 |

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