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平成22年2月21日(日)未明:ベルリン映画祭で寺島しのぶが最優秀女優賞。 第60回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門の受賞結果が20日夜(日本時間21日未明)発表され、若松孝二監督の「キャタピラー」に主演した寺島しのぶさん(37)が最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞した。 日本人の同賞受賞は、「にっぽん昆虫記」「彼女と彼」の左幸子さん、「サンダカン八番娼館・望郷」の田中絹代さんに次いで、35年ぶり3人目の快挙。 授賞式には、既に帰国している寺島さんに代わって若松監督が出席。 寺島さんから届いた「60回という記念の映画祭で、このような賞をいただいて感謝しています。生涯の宝物にします。いつか、すべての国の戦争がなくなることを祈っています。殺し合うことでは何も解決しないということが、この映画を通じて伝わればいいと思います」とのメッセージを伝えた。 「キャタピラー」は、太平洋戦争の中国戦線で両腕両脚を失って帰還した兵士の夫と妻の姿を通して、戦争の虚しさを訴えた作品。寺島さんは、軍神とあがめられる夫への献身を「お国のため」と強いられる。その内面的懊悩と悲哀、国家・戦争への懐疑を性愛描写を含めて繊細に表現する。 若松監督は「どこの国でも、戦争で一番の犠牲になるのは女性や子供。前線の撃ち合いや死体の山だけが戦争ではない。一般市民を苦しめるのも戦争だ」と語る。 映画「ジョニーは戦場へ行った」に通底する作品で、江戸川乱歩の「芋虫」を下敷きにしており、日常性の中の戦争を描く。 ※ 2003年の「赤目四十八瀧心中未遂」が映画初主演だった。同作で相手役だった大西信満が夫の帰還兵を演じている。 人間性を破壊する戦争の恐怖を描く。聴覚も言葉も失った夫の生きがいは、食欲と性欲を満たすことのみ。妻は「お国のため」と懸命に尽くすが、次第に両者の関係は倒錯的なものになってゆく。 2月21日は、日刊新聞創刊の日です。 1872年(明治5年)2月21日、日本初の日刊新聞「東京日日新聞」が創刊。 後に毎日新聞に統合されました。 1872年『東京日日新聞』創刊 東京で刊行された最初の日刊新聞。1872年2月21日、戯作者・条野採菊(山々亭有人)らによって創刊され、1873年には岸田吟香が入社し、1874年には福地桜痴が社長に就任。政府寄りの大新聞としての地位を固めたが、自由民権運動の高まりの中で御用新聞との批判が強まり、福地は退社。以後、関直彦、伊東巳代治の社長時代を経て、1904年に三菱の加藤高明の手に渡った。 しかし、経営不振からは脱却できず、1911年には『大阪毎日新聞』の本山彦一の経営となる。関東大震災後は部数を急伸させた。 1943年1月からは『大阪毎日新聞』と題字を統一して『毎日新聞』となった。 ◇ 毎日新聞 1882年、大阪で創刊された『日本立憲政党新聞』に始まる。1888年『大阪毎日新聞』と改題。当初、東海散士主筆のもと政治色の強い紙面を構成したがふるわず、しだいに穏和な論調になった。1903年、本山彦一が社長に就任、新聞商品主義の方針を打ち出して今日の基礎を築いた。 1911年『東京日日新聞』を合併。1943年、『毎日新聞』と改題、社名を毎日新聞社とした。 1977年、石油危機などにより経営危機を迎えたが、新社により再建。東京、大阪、北九州、名古屋に本社、北海道に支社。発行部数は朝刊396万部、夕刊約187万部(1997)。 |

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