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平成22年3月24日(水)昨日:高校野球指導者のどうしようもない旧態依然ぶり。 開星高(島根)の野々村直通監督(58)が22日の大会2日目第1試合で向陽(和歌山)に敗れ、試合後の公式会見で「21世紀枠に負けたのは末代までの恥。腹を切りたい」などと暴言を吐いた。23日には、村本克部長(46)を伴い甲子園球場の大会本部を訪れ謝罪した。会見では言葉を失うほど号泣し「悔しい現実を受け入れられなかった」と暴言の経緯を説明。同日夕方、同校の大多和聡宏校長(52)が向陽を訪れ、謝罪した。 シルバーグレーのスーツに黒シャツ、柄ネクタイに白い靴と言う「ヤーさんスタイル」の野々村監督は「いろいろお騒がせしまして申し訳ございません」と頭を下げた。 「負けたことの悔しさ、情けなさがございまして。完敗でしたと説明すればよかったのですが、中国大会で優勝して出てきた限り … 」 ここまで話すと目を閉じ、嗚咽をこらえて黙り込んだ。眼鏡を外して泣きじゃくった後、「地元の子で厳しい練習をして、何とか島根を日本一にと思っていた」 「地元の期待もあり、21世紀枠には負けられないと思っていたのに負けてしまい、現実を受け止められなかった。中国代表の名を汚したという強い思いがありました」と涙ながらに語った。 ※ よく言えば熱血指導者。客観的に見れば、指導者の資質以前に人間性の未熟を露呈する野々村直通氏に、監督の資格があろう筈もない。21世紀枠を愚弄したことは紛れもない事実だし、彼の心中に今後も、その事についての“ブレ”はないだろう。 「誠に申し訳なく謝罪したいと思っております」と頭を下げても意味のないことだ。 「高野連から不祥事という処分になるかしれないが、もし今後もできるのなら頑張りたいという思いです」と言うが、このような人に依存しなければならないとしたら、その事こそを「開星高の恥」と心得るべきだろう。 同校に戻った野々村監督は改めて記者会見し「ロマンを持って監督をしている。もう一度やりたい」と監督続行を希望したが、「ロマン」と「独りよがり」とは大違いだ。 このような日本球界の閉鎖性も、一流プレイヤーの海外流出の一因となっているような気がするのだが … 。 1965年3月24日、俗称「隅田川」が正式名称となる。 水系を指定する政令により、「隅田川」が正式名称になりました。 ◇ 隅田川 東京都北区の新岩淵水門で荒川から分岐し、新河岸川・石神井川・神田川・日本橋川などの支流河川を合わせ、東京湾に注ぐ全長23.5kmの一級河川。 流域の自治体は、埼玉県川口市、東京都北区、足立区、荒川区、墨田区、台東区、江東区、中央区に及ぶ。 現在「隅田川」と呼ばれている川は、元々は入間川の下流部で、寛永年間(1624年〜1643年)あるいは1683年までは、下総国と武蔵国の国境だった。1629年(寛永6年)の荒川瀬替えにより荒川の本流となったが、洪水を防ぐ為に明治末期から昭和初期にかけて岩淵水門から河口までの荒川放水路が建設され、こちらは現在「荒川」と呼ばれている。1965年3月24日に出された政令によって荒川放水路が荒川の本流となり、分岐点である岩淵水門より下流は俗称であった「隅田川」に改称された。 古くは835年(承和2年)の太政官符に「住田河」として記されており、「宮戸川」などとも呼称されていた。江戸時代に入ると、吾妻橋周辺より下流は大川とも呼ばれていた。古典落語などでは「大川」の名が出てきます。また、大川右岸、特に吾妻橋周辺から新大橋周辺までを大川端と称する。 ◇ 今日の誕生花・ムスカリ(ラジオ深夜便) 花言葉は、「夢にかける思い」。 春の月さはらば雫たりぬべし 一茶 |

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