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平成22年4月15日(木)昨日:森元首相、河野太郎幹事長代理を面前で批判。 自民党麻生派が14日に都内で開いたパーティーで、来賓挨拶に立った森元首相が、河野太郎幹事長代理を目の前で批判した。 森氏は、他の麻生派議員と壇上に整列した河野氏を名指しして、「自民党(の支持率)が上がらないのは、年寄りがいるからとか派閥があるから、と言う。派閥に属していて『派閥が悪い』では説得力がない」と語り、拍手を浴びた。 昨年9月の総裁選で、森氏らを「悪しき体質を引きずった人」と名指しで批判した河野氏も、思わぬ逆襲に苦笑いするばかりだった。 ※ 守旧派を妖怪などと叩くとも 自民は只今溶解中 … 4月15日は、ジャン・ジュネ忌です。 ◇ ジャン・ジュネ(1910年〜1986年) 1910年、パリの公共施療院に生まれるが、7ヶ月で母に捨てられる。父は不詳。職人の家に預けられ公立小学校で学ぶ。成績はよかったが、後に養父母のもとを去る。14歳から成人するまで感化院で生活する。その後、志願兵となるが脱走しフランスを離れ、ヨーロッパを放浪する。この間、逮捕監禁、強制退去などを繰り返す。また、泥棒、乞食、男娼などを経験する。 1942年、中央刑務所に投獄される。この時、詩集『死刑囚』が出版されてジャン・コクトーに認められる。 同年『花のノートルダム』を執筆。 1944年、『薔薇の奇蹟』を執筆。 同年、終身禁固刑の求刑を前にジャン・コクトーらが介入し、自由の身となる。 1947年に『ブレストの乱暴者』や『女中たち』、1949年に『泥棒日記』など戯曲や小説を執筆。 1948年、コクトーやサルトルらの請願により、大統領の恩赦を獲得する。 1950年、モノクロ映画 『愛の詩』(Un Chant d'Amour)を制作。映画はこれ1本。 その後、1956年に『バルコン』、1961年に『屏風』など戯曲も執筆した。 1967年、自殺未遂。 その後、五月革命に政治参加し、ベトナム戦争反対運動に加わる。徐々に移民問題に関心を寄せるようになる。1970年、黒人自治を目指して闘うブラックパンサー党と行動をともにし、アメリカ中で講演を行なう。同年、PLOの提案でヨルダンに留まり、アラファトと会見。以降、精力的な政治活動を続けた。この後も幾度か中東に赴いている。ブラックパンサー党やPLOなどでの体験は、遺作『恋する虜 パレスチナへの旅』に結実。 ※ 高校生の頃、訳も分からずに読んだ。新潮文庫の『花のノートルダム』だった。全てが架空の物語にしか思えなかった。それでも、ジャン・ジュネと言う人物が私の記憶にこびりついた。 ◇ 今日の誕生花・ぺラルゴニウム(フウロソウ科) 花言葉は、「決心」「篤い信仰」。 行く春を近江の人と惜しみける 芭蕉 訳もなくさみしいのです 祈り篤き友の窓辺のぺラルゴニウム 鳥海昭子 【参照】4月15日、ジャッキー・ロビンソンの日(1947年) http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/47810570.html http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/47815794.html |

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