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平成22年4月24日(土)昨日:鳩山首相「普天間含め職を賭す」。 鳩山由紀夫首相は23日午前の参院本会議で、沖縄県の米軍普天間基地移設問題について「すべての政策に職を賭す覚悟で臨んでいるのは当然のことだ。その中に普天間の移設先の問題も当然含まれている」と表明した。首相が自ら約束した「5月末決着」に進退を懸ける考えを示したことで、実現できない場合、首相の進退問題に発展するのは避けられない情勢。 自民党の山本一太氏への答弁。首相は21日開いた自民党の谷垣禎一総裁との党首討論では、政策の対象を特定しない形で「すべての政策の実現に職を賭して努力するのは言うまでもない」と発言していたが、23日は普天間問題を含めて「職を賭す」と踏み込んだもの。 ※ 「東京には、正体不明の怪鳥がいる。日本人はサギだと言うが、中国人はカモと見、米国人はチキン、欧州人はアホウドリだと言う。本人はハト(鳩)と言い張っているが、おれは日本のガンだと思う … 」と。 ワシントンの日本人社会が発信源だとか。(3月26日産経新聞) 怪鳥の首すげ替えて参院選 人心一新民主快調? 1951年4月24日、桜木町事故が起きました。 ◇ 桜木町事故 1951年(昭和26年)4月24日13時45分頃、神奈川県横浜市の日本国有鉄道(国鉄)東海道本線支線(京浜線、現在は根岸線の一部)の桜木町駅構内で発生した列車火災事故。自動扉が開かなかったため脱出できず、多くの死傷者を出した。この事故後、自動扉つきの客車内には乗降扉非常圧搾空気開放弁(非常ドアコック)の設置と表示が義務化され、緊急時にドアを乗客が手動で開けられるよう法律が改正されました。 京浜線桜木町駅構内の上り線で、碍子交換工事を行っていた電気工事作業員が誤ってスパナを落とし、上り線の架線が固定されず垂れ下がってしまっていた。そこへ京浜線の下り第1271B電車(63系5両編成、所定ダイヤより9分遅れ)が下り線からポイントを渡って上り線に進入、垂れ下がっていた上り線の架線に先頭車のパンタグラフが絡まった。 運転士は急いでパンタグラフを下ろそうとしたが、先頭車のパンタグラフは破損して車体と接触した状態になり、そこに電流の短絡(ショート)が発生。激しい火花とともに屋根の可燃性塗料に着火し、車両は木製の天井から炎上した。 先頭車のモハ63756は全焼、2両目のサハ78144も半焼して焼死者106人、重軽傷者92人を出す大惨事となった。 事故車両の窓は中段を固定した3段構造で開口部の高さは29cmしかなく、ここからの脱出は困難だった。短絡が起きていたため自動扉は作動せず、乗務員や駅員も非常用コックの位置を知らなかったため扉を外部から手動で開けることもできなかった。1両目の乗客は、窓ガラスを破る以外に脱出路がなく被害を拡大することになった。事故当時、桜木町駅付近の架線に電気を供給していた横浜変電所と鶴見変電所では、横浜変電所は高速度遮断機が作動し送電を停止できたが、鶴見変電所の高速度遮断機は作動せず、約5分間に渡って架線に通電されたままになったことも、火勢を強めたとされる。 被災した63系電車は、重要な安全部品を省略したり粗悪な代用品を使用した、いわゆる戦時設計により製造された車両だった。可燃性材料の多さについては戦前期の電車にも共通する部分があるものの、63系では可燃性の塗料やベニヤ板の天井内張りなど燃焼性の高い材料が多用されており、不燃構造としては戦前車両よりも劣るものであった。また、当時の桜木町駅が終着駅でホームの端に改札口があったことから、乗客が先頭車両に集中していたことも犠牲者が多くなった一因とされる。 国鉄は、事故の数日後には全車両の車体にコック位置を標記した上、車内にも非常用コック位置を記した張り紙をするという素早い対策をとった。そして戦時設計の電車に対し、まず車内への防火塗料の塗布、パンタグラフの絶縁強化、車端部の貫通路と貫通幌の設置などの応急処置を施した。後に車内天井の鋼板化、貫通路拡張、三段窓の全段可動化など、徹底的な体質改善工事を実施し、800両にも及ぶ対象車の体質改善工事をわずか2年強で完了させた。これらのことは、この事故が社会に与えた衝撃の大きさを物語るものと言える。 国鉄は、1949年にプロ野球球団「国鉄スワローズ」(現・東京ヤクルトスワローズ)を立ち上げ、その後も80系電車・70系電車などの新形式車両を投入し、特別急行列車・食堂車・寝台車など戦時中に廃止された列車サービスの復活を図るなど、復興に邁進していた。その時期に起こった事故であり、国鉄内外における衝撃は大きかった。 「プロ野球に参入する暇があれば、欠陥電車の整備を先に行え」などとマスメディアから叩かれた。 事故の関係責任者は起訴され、スパナを落下させた作業員3人と、桜木町駅の信号掛、電車運転士の計5人に禁固6ヶ月〜1年10ヶ月の判決が言い渡された。 第2代国鉄総裁の加賀山之雄は引責辞任。 80系電車を開発したメンバーの一人であり、当時国鉄車両局長を務めていた島秀雄は、事故の責任を取って辞職、1955年まで鉄道技術職から離れた。 鶴見区の曹洞宗大本山總持寺に、この事故の慰霊碑がある。 ◇ 今日の誕生花・ワスレナグサ(ムラサキ科) 花言葉は、「私を忘れないで」「誠の愛」。 この花に勿忘草といふ名あり 清崎敏郎 振り向けば勿忘草の色冴えて 明日のために咲くと思えり 鳥海昭子 |

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通りすがりで失礼します。
なぜか大手マスコミは全く報道しないのが不思議でならないのですが、北マリアナ連邦にて、テニアンヘの誘致を議会が正式に表明しました。詳細は4月22日の琉球新報および沖縄タイムスの記事を参照下さい。
常識的に考えれば、これで普天間問題は一件落着のはずです。
そもそもアメリカだって全世界的な米軍再編でグアムへ機能集約したがっているから、全く問題ないです。
唯一困るのは、日米の辺野古移転の利権を当てにしていた連中だけでしょう。
世の中には「抑止力を考えると国内」とバカなことをのたまう輩がいますが、普天間の海兵隊は東南アジア、西アジア方面へ展開するための部隊で、日本の抑止力には何の影響も及ぼさないのです。抑止力を考えると、沖縄ではなく北朝鮮に近い山陰や北陸に置くべきでしょう。
これ以上沖縄に過度な負担を与えることは、琉球民族に対する人種差別の恐れがあると、国連からも勧告が出ています。
それに空軍の嘉手納基地など複数の基地がまだ沖縄に残り続けることをお忘れなく。
2010/4/24(土) 午前 7:53 [ 通りすがり ]