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平成22年5月14日(金)放鳥トキ:5組目の営巣確認 4歳ペアは抱卵続く。 環境省によると佐渡市内で、新たに放鳥トキの1組のペアが巣を作っているのが確認された。営巣が確認されたのは、これで5組目となる。このペアは、ともに2009年に放鳥された3歳の雄と2歳の雌。今月4日ごろから、2羽が巣の材料となる木の枝を運ぶ様子が観察され、14日、林の中に設置した無人カメラの映像から、巣を作っているのが確認されたもの。雄と雌が交代で巣に座り込む「抱卵」は観察されていない。専門家によると、5月中旬ごろまでに産卵しないと、孵化は難しくなるという。 1991年5月14日、名横綱・千代の富士関が引退を表明しました。 横綱昇進が決まった日、師匠の九重親方(元横綱・北の富士)は千代の富士を自分の部屋に呼び、いきなり「ウルフ、辞める時はスパッと、潔く辞めような。ちんたらチンタラと横綱を務めるんじゃねえぞ」と言った。祝儀がもらえるのかと思っていた千代の富士は、この言葉に面食らったという。 これは、栃木山から言われた言葉を栃錦が千代の山へ語り、千代の山から北の富士を経て、千代の富士へ受け継がれたものと言われる。 1991年5月場所の最大の注目は、3月場所に幕内下位ながら終盤まで優勝争いに加わった弱冠18歳の貴花田と、大横綱・千代の富士との初顔対戦であった。何日目に対戦するかが話題となる中で、誰も予想しなかった初日に取組が組まれた。これは当時、審判部長だった九重が「勝ち負けが全くついていない、まっさらな状態で対戦させたい」との思いからであったが、千代の富士はこの取組に敗れ、その2日後に引退を表明する。 貴花田に敗れた時点で千代の富士は引退を決意していたが、そのことを伝えに九重のもとに行ったところ、九重は千代の富士を見るなり「先に廻しを取られたからなあ。まあ明日又がんばれよ」と言った。気勢を削がれた千代の富士は、引退の意思を伝えそびれてしまい、引退表明が3日目の貴闘力戦に敗れた後になったと言う。 千代の富士からついに引退の決意を伝えられた時には、千代の富士も泣いたが、師匠の九重も思わず男泣きしたと言う。 この日は午前中に信楽高原鐵道列車正面衝突事故が発生しており、メディアでは断続的に事故に関するニュースを放送していた。しかし、夜になって千代の富士が引退会見を行うことになったため急遽ニュースを中断し、会見の生中継を行った。 千代の富士は、始め笑みを浮かべて「皆様、長い間応援して下さり、有り難う御座いました。月並みの引退の弁ですが … 」と語ったところで、思わず言葉に詰まり目を真っ赤にして、「体力の限界! 気力も無くなり、引退することになりました … 以上ですっ」と振り絞るように言い切った。 翌7月場所前、千代の富士改め陣幕は、土俵に立ち若い力士に稽古をつけたが、あまりの充実ぶりに師匠の九重は「現役以上じゃないか。引退させるのは早かったな」と言ったと言う。あるいはまた、「史上最強の新米親方」と評した人もいた。 史上最多の通算1045勝、歴代2位の優勝31回、53連勝などの大記録を打ち立てた。深川富岡八幡宮に「超50連勝碑」あり。 ◇ 1971年5月14日、名横綱・大鵬が引退し初の一代年寄に 奇しくも千代の富士引退の20年前、1971年5月14日に大鵬幸喜も貴ノ花利彰に敗れて引退を表明している。燦然と輝く名横綱二人を引退に追い込んだ花田家の栄誉 … 。 大鵬幸喜(本名:納谷幸喜、1940年5月29日生まれ ) 第48代横綱。樺太敷香郡敷香町出身で、北海道川上郡弟子屈町川湯温泉で育った。父親はウクライナ人のマルキャン・ボリシコ、母親は納谷キヨ。幸喜の名は皇紀2600年に因む。 優勝32回、6連覇2回、45連勝などを記録し、昭和の大横綱と称され、戦後最強の横綱と呼ばれる事もあった。 ※ 「栃若時代」が終わった後、柏戸と大鵬との「柏鵬時代」がやってきた。 中学の修学旅行で薬師寺に行った時、案内の寺僧が、美術史の「白鳳時代」と相撲の「柏鵬時代」とをかけて笑いを取っていた。その僧は、後の高田好胤師であった。 ◇ 今日の誕生花・シラン(ラン科) 花言葉は、「互いに忘れない」。 山里の廃屋ありて庭隅に 忘れられたる紫蘭は咲けり 鳥海昭子 なんやしらん、うつらうつらと日の暮るる 晃 |

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