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平成22年7月4日(日)昨日:W杯4強出揃う、準決勝で独vsスペインが激突。 W杯南ア大会第21日の3日(日本時間4日未明)、準々決勝の全試合が終了し、4強が出そろった。 優勝2度の古豪ウルグアイは、40年ぶりの準決勝進出。ブラジルを逆転で破って3大会ぶりに4強入りしたオランダと顔を合わせる。 マラドーナ監督率いる難敵アルゼンチンを4―0で圧倒したドイツは、60年ぶりのベスト4進出で悲願の初優勝を目指すスペインを迎え撃つ。 準決勝の日程は、7日午前3時半にウルグアイ vs オランダ戦、8日午前3時半にドイツ vs スペイン戦。 7月4日、龍田大社「風鎮大祭」の日です。(風鎮めの祭) 夏の夜を彩る炎の祭典! クライマックスは手花火! 1300年もの昔から伝えられてきた、風の神に暴風洪水が起こらないように祈願する夏祭り。朝から神事が行われ、神楽や剣舞が華やかに奉納されます。夕暮れどきから太鼓や踊りが始まり、ラストを飾る風神花火は迫力満点です。 悪しき風、荒き水を鎮める祭り。祭りの間は雨が降らないと言われる。 この風鎮祭は、半年の厄払いと新たな始まりをお迎えする祭として開催されます。 日 時:7月4日(毎年7月第1日曜日) 神事 10:30〜 風神花火奉納 21:00頃〜 場 所:龍田大社(奈良県生駒郡三郷町立野南1-29-1) 交 通:JR三郷駅下車、徒歩7分 問合せ:TEL 0745-73-1138 天御柱命(あめのみはしらのみこと)、国御柱命(くにのみはしらのみこと)を祭神とし、龍田風神と総称されます。同社の祝詞などでは、天御柱命は級長津彦命(しなつひこのみこと、男神)、国御柱命は級長戸辺命(女神)のこととされています。 シナツヒコ シナツヒコは、『古事記』では志那都比古神(しなつひこのかみ)、『日本書紀』では級長津彦命(しなつひこのみこと)と表記され、神社の祭神名としては志那都彦神などとも書かれる。 『古事記』では、神産みにおいてイザナギとイザナミの間に生まれた神であり、風の神であるとしている。『日本書紀』では神産みの第六の一書で、イザナミが朝霧を吹き払った息から級長戸辺命(しなとべのみこと)またの名を級長津彦命という神が生まれ、これは風の神であると記述している。シナトベは、神社の祭神名としては志那戸辨命などとも書かれる。 神名の「シナ」は「息が長い」という意味。古代人は、風は神の息から起きると考えていた。風は稲作に欠かせないものであるが、台風などの暴風は人に大きな被害をもたらす。そのため、各地で暴風を鎮めるために風の神が祀られるようになった。 『日本書紀』のシナトベは女神とされることもあり、神社によってはシナツヒコの姉または妻とされている。本居宣長の『古事記伝』では、賀茂真淵の説として、本来は男女一対の神であり、それが同一の神とされるようになったとしている。龍田大社(奈良県生駒郡)の祭神は天御柱命・国御柱命であるが、社伝や祝詞では天御柱命は志那都比古神、国御柱命は志那都比売神(しなつひめのかみ)のこととしている。志那都比古神は男神、志那都比売神は女神。 風の神であることから、航海安全の神ともされる。また、「風」と同音・同根である「風邪」を治す神ともされる。 龍田風神祭祝詞 崇神天皇の御世、数年に渡って凶作が続き、疫病が流行したため、天皇自ら天神地祇を祀って祈願したところ、夢で天御柱命・国御柱命の二柱の神を龍田山に祀れというお告げがあり、これによって創建されたという。国史では、天武天皇4年(675年)4月10日に勅使を遣わして風神を龍田に祀らせたとの記事が初見される。 『延喜式』では名神大社に列し、二十二社の一社とされた。近代社格制度のもと、明治4年(1871年)に龍田神社として官幣大社に列した。 紅葉の名所としても夙に有名であり、摂社・龍田比古龍田比売神社の祭神である龍田姫は秋の女神とされ、古来より多くの歌に詠まれてきた。 万葉歌(巻九 1751 作者未詳) 島山をい行き廻れる川副ひの丘辺の道ゆ 昨日こそわが越え来しか一夜のみ寝たりしからに 峯の上の桜の花は瀧の瀬ゆ落ちて流る 君が見むその日までには山下の風な吹きそと うち越えて名に負へる社に風祭せな ◇ 今日の誕生花・ノカンゾウ〔ヘメロカリス〕(ユリ科) 花言葉は、「苦しみからの解放」。 萱草の一輪咲きぬ草の中 夏目漱石 菫程な小さき人に生れたし 夏目漱石 ◇ 漱石と鴎外 鴎外は、家と国家とを優先する。漱石は、個人を優先する。 鴎外は、義理に生きた。漱石は、非人情に生きた。 鴎外は、煩悶しつつ軍医としての位を極める。漱石は、懊悩しつつ官職を擲つ。 鴎外は、悔恨のうちに死す。漱石は、不安のうちに死す。 明治期の二人の知識人は表裏の関係をなす。 鴎外は、「公」の生涯を生かされた。漱石は、「私」の生涯を生きようとした。 鴎外は、死に臨んで官位を拒絶する。漱石は、「則天去私」の境涯に憧憬した。 鴎外は、独逸留学で自己を解放した。しかし、帰国するや「公」としての立場に徹し、一人の独逸婦人を悲嘆の底に投げ落とす。 漱石は、英国留学で自己を嫌悪した。帰国後も、自己嫌悪の思いは去り難かった。 両者は留学後の「或るおもひ」に牽かされて、その後の人生を生きた。 両者はさながら、ひとつの存在の「裏と表」のように生きた。 それはそのまま、明治期の「裏と表」でもあった。 漱石の絶筆 『 明暗 』 禅語に「明暗雙雙(双双)」というものがある。明と暗とが、それぞれ半分ずつという意味ではなく、明と暗とが、それぞれ全体像なのだという表現だ。「フィフティー・フィフティー」という言葉にも、「互助関係、共生関係、もたれあいの関係」などの意味がある。世界の全事象はひとつ残らず繋がっており、単立の存在など在り得ない。「一即一切 一切即一」の世界に私たちは生きている。 漱石は、自らの果てしない懊悩の真っ只中こそ、光明なのであると信じたのかも知れない。 漱石にしても、鴎外にしても、「苦しみからの解放」に向かって、精一杯に足掻いて見せたのだろう。 漱石の漢詩に曰く、 尋仙未向碧山行 (仙を尋ぬるに 未だ碧山に向かひて行かず) 住在人間足道情 (人間に住在するも 道情足る) 明暗雙雙三萬字 (明暗雙雙 三萬字) 撫摩石印自由成 (石印を撫摩〔なでさする〕しつつ 自由成る) ※ 明暗雙雙三萬字とは、連載中の『 明暗 』の文字数を言う。ただし、正確ではない。 「明暗雙々といふのは禪家で用ひる熟字であります。三萬字は好加減です。原稿紙で勘定すると新聞一回分が一千八百字位あります。だから百回に見積ると十八萬字になります。然し明暗雙々十八萬字では字が多くつて平仄が差支へるので致し方がありません故、三萬字で御免を蒙りました」と、自ら芥川と久米に宛てた手紙に書き付ける。 (2010/7/3)名古屋・栄 中日文化センター (15:30〜17:30)太田治子講師「漱石と鴎外」で感じたことなど。 ノカンゾウ咲く古里に帰りきて 三日目の今日ひっそり暮れる 鳥海昭子 |

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