今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成22年7月13日(火)昨日:菅首相、公明党とみんなの党に対し連携打診へ。

 菅首相は、与党が参院で過半数割れしたことを受けて、公明党とみんなの党に対し、国会運営での連携を求めていく方針を固めた。 首相が12日、周辺に伝えた。当面、政策や法案ごとに賛成を求める「部分連合」を念頭に協力を要請するが、将来の連立政権参加も視野に入れている。首相は9月の民主党代表選までに政権安定の枠組みにめどを付け、再選を確実にしたい考え。

 参院選の結果、非改選を含む与党の議席は110議席となり、過半数に12議席届かない。首相は、安定政権を築くには、野党の中で比較的政策が近い公明党(参院19議席)か、みんなの党(同11議席)との連携が不可欠と判断したとみられる。 首相は12日夜、首相官邸で記者団に、「野党の皆さんの主張を国会の内外でしっかりと受け止めて政権運営をしなければいけない」と述べ、野党との連携を重視する考えを強調した。

 首相はこの日、仙谷官房長官、民主党の枝野幹事長、輿石東参院議員会長らと断続的に会い、今後の国会対応や党運営などを協議。首相は党内対立を回避するため、内閣改造・党役員人事を9月の党代表選後に先送りする方針で、落選した千葉法相も続投させるほか、今期で参院議員を引退する峰崎直樹財務副大臣も内閣改造まで続投させることを決めた。

 これを受け、民主党は12日夕、党本部で首相出席のもとで役員会を開き、執行部の続投を確認したが、小沢一郎前幹事長に近い議員からは、参院選敗北にもかかわらず執行部が辞任しないという対応への批判が強まっている。 こうした中、執行部は、菅首相の党代表としての任期満了に伴う代表選について、9月5日投開票とする案を軸に調整に入った。9月下旬から臨時国会を開くことを念頭に、9月最初の日曜日である5日に代表選を実施するもの。ただ、臨時国会を早期に召集し、開会中に代表選を実施すべきだとの意見もある。


 ◇ 菅首相、責任論封じ込め まず謝罪、人事凍結の了承得る

 参院選で敗北した菅直人首相(民主党代表)は12日、内閣改造や党役員人事を先送りし、責任論の封じ込めに動いた。勝負は9月に予定されている党代表選と思い定め、党内のこれ以上の混乱を避けることを狙った。  「私の説明不足から、ご迷惑をおかけした。大変重い選挙戦だったが、私の至らなさだ。結果を真摯に受け止め、もう一度再スタート、政権にあたらせていただきたい」。

 首相は自らの消費税発言が敗北を招いた一因であることを率直に認めつつ、責任論の封じ込めに躍起。役員会は首相の狙い通り、人事先送りを了承した。 同日夜、首相は記者団に「今後の政権運営についてご理解をいただいた」と強調。消費税をめぐる党内論議について「政調も出来たので、どういう進め方をするかこれから相談していきたい」とも語った。

 9月の代表選までは淡々と日程をこなす … 。 こうした首相の姿勢を受けて、政府・与党は臨時国会を30日に召集することを決めた。議題は参院議長の選出などにとどめ、与野党による本格論戦は代表選後に改めて召集する臨時国会に先送りする方針。

 ※ どこまで続く泥濘ぞ … 。 ころころ変る日本のリーダー、誰にも信頼されない日本のリーダー、バッシングの対象でしかない日本のリーダー、リーダー叩きの大好きなマスメディア。 日本よ、スポーツ以外ではひとつになれないのか。いつまでコップの中の嵐に、うち興じるのか? 冷や飯喰いの小沢氏が、さてどんな陰謀を錬っていることやら、やれやれ … 。 日本の将来を真剣に憂える「深い思い」は、ないのかい?



 7月13日は、「スレブレニツァの虐殺」の日です。

 ◇ スレブレニツァの虐殺(1995年)

 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中に、ボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニツァで1995年7月に発生した大量虐殺事件。 ラトコ・ムラディッチに率いられたスルプスカ共和国軍によって推計約8000人のボシュニャク人が殺害された。 スレブレニツァ・ジェノサイドとも言われる。この時、スルプスカ共和国軍に加えて、セルビアを拠点とする準軍事組織「サソリ」が虐殺に加担していた。 2008年12月までの段階で、およそ5800人の遺体がDNA調査によって身元特定され、3,215人がポトチャリのスレブレニツァ虐殺記念館にて埋葬された。(「ムスリム人」が「ボシュニャク人」と言い換えられた。)


 ボスニア・ヘルツェゴビナは、1992年までユーゴスラビアの連邦構成国であり、宗教の異なるボシュニャク人、セルビア人、クロアチア人の3民族が拮抗していた。1990年にユーゴスラビアが民主化され、複数政党制が導入されると、ボスニア・ヘルツェゴビナではそれまで禁じられていた民族主義勢力が選挙で勝利を収め、ボシュニャク人のアリヤ・イゼトベゴヴィッチが大統領に選出された。

 当時のセルビアはユーゴスラビアの一部であった一方、クロアチアは既に独立を果たしており、ボスニア・ヘルツェゴビナでもボシュニャク人とクロアチア人は独立を望んでいた。1992年には独立の可否を問う住民投票の結果を受けてボスニア・ヘルツェゴビナは独立を宣言。これに対して、数の上で最大となるボシュニャク人による支配を嫌い、クロアチア人とセルビア人の民族主義者はボスニア・ヘルツェゴビナの中央政府を去り、ボスニア・ヘルツェゴビナ国内にそれぞれ民族独自の共同体ヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国およびスルプスカ共和国を設立し、両者とボスニア・ヘルツェゴビナ中央政府の三者によるボスニア・ヘルツェゴビナ紛争へと発展する。

   虐殺事件

 1995年7月11日ごろから、セルビア人勢力はスレブレニツァに侵入をはじめ、ついに制圧する。ジェノサイドに先立って、国際連合はスレブレニツァを国連が保護する「安全地帯」に指定し、200人の武装オランダ軍の国際連合平和維持活動隊が駐留したが、物資不足のわずか400人の国連軍は全く無力で、セルビア人勢力による即決処刑や強姦、破壊が繰り返された。その後に残された市民は男性と女性に分けられ、女性はボスニア政府側に引き渡された。男性は数箇所に分けられて拘留され、そのほとんどが、セルビア人勢力によって、7月13日から7月22日ごろにかけて、組織的、計画的に、順次殺害されていったとされる。

 殺害されたものの大半は成人あるいは十代の男性であったが、それに満たない子どもや女性、老人もまた殺害されている。ボスニア・ヘルツェゴビナの連邦行方不明者委員会によるスレブレニツァで殺害されたか行方の分からない人々の一覧には、8,373人の名前が記載されている。



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   ◇ 今日の誕生花・カライトソウ(バラ科)

   花言葉は、「深い思い」。

   京染めの糸のひといろ唐糸草   伊藤敬子

 口数の少ない人が唐突に 唐糸草が好きだと言いき  鳥海昭子


 【参照】7月13日、盆迎え火
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/13171785.html

 【参照】7月13日、森有礼の誕生日(1847年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/34614234.html

 【参照】7月13日、日本標準時制定記念日(1886年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/43519193.html

 【参照】7月13日、オカルト記念日(1974年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/48959703.html

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