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平成22年8月8日(日)昨日:中日・山本昌が今季初登板で通算206勝目。 今季初先発の山本昌は打たせて取る投球がさえ、6回1失点で初勝利。打線は一回に和田の左犠飛で1点を先行、四回に堂上直の2ランなどで3得点した。継投も決まり、岩瀬が30セーブ目。阪神は打線が不振で3連敗。 山本昌「最初で最後」の覚悟 (中日4−1阪神、17回戦、7日、ナゴヤD) 中日先発の山本昌が、初登板で貴重な勝利をつかんだ。プロ27年目の今季は左肩甲骨や左足の故障で出遅れた。11日に45歳となる左腕にとって、この日のマウンドは「最初で最後のチャンスだと思った。いくところまでいってつぶれようと思った」という背水の陣だった。 しかも、42歳の下柳との投げ合いだった。一回に味方の失策で先頭打者に出塁を許し、1死二塁のピンチを背負ったが、鳥谷と新井を落ち着いて打ち取り「森野のエラーはしょうがない。後続を断って逆に勢いに乗れた」と山本昌。二回以降は要所を締め、リーグトップのチーム打率を誇る阪神打線を相手に「見ないようにしていた」というスコアボードに、五回まできれいに「0」を並べた。 六回に1点を失い救援を仰ぎ、「欲を言えばもう1回投げたかった」そうだが、「しっかり調整してきたことを、マウンドで表現できたかな」と充実感をにじませた。 実働25年となったマウンドで、23年連続勝利のプロ野球記録に並んだ。昨年9月11日以来の白星に、ベテランは「これでまた帰ってこられた。次も頑張れる」と、快勝に沸くチームメートの輪の中で喜びに浸った。 ◇ 中日・ブランコが出場登録から外れる(2010.8.7 15:50) 中日は7日、打撃不振のブランコを出場選手登録から外した。ブランコは今季ここまで100試合に出場して打率2割3分9厘、23本塁打、63打点。ここ4試合で無安打に終わるなど低迷していた。 6日の阪神16回戦(ナゴヤドーム)で、八回無死一、二塁で代打を送られたブランコは試合後「今の状態では仕方ない」と話していた。 8月8日は、いわさきちひろの命日です。 ◇ いわさきちひろ(1918年〜1974年) 本名、松本知弘(旧姓・岩崎)。こどもを描いた水彩画に代表される福井県武生市(現在の越前市)生まれの日本の画家・絵本作家、左利き。 夫は日本共産党元国会議員・松本善明。 1933年、岡田三郎助に師事し、デッサン・油絵を習う。 1937年、小田周洋に師事し書を習う。 1939年4月、婿養子を迎え結婚。6月、夫の勤務地である満州・大連に渡る。 1940年2月、夫の自殺により帰国。 1942年、中谷泰に師事し、再び油絵を描き始める。 1944年4月、女子義勇隊に同行して満州・勃利に渡る。夏、戦況悪化のため帰国。 1945年5月、空襲で家を焼かれ、母の実家、長野県松本市に疎開、終戦を迎える。 1946年、疎開先の松本で日本共産党に入党。同年上京して人民新聞社の記者となる。日本共産党宣伝部・芸術学校に入り、丸木俊に師事する。 1949年、松本善明と知り合う。 紙芝居『お母さんの話』を描き、翌年、文部大臣賞を受賞。 1950年1月、松本善明と結婚。1951年4月、長男・松本猛誕生。 1952年、東京都練馬区下石神井に家を建てる(後のちひろ美術館)。 1974年8月8日、肝臓癌のため死去。享年55。 1977年9月、自宅跡地にいわさきちひろ絵本美術館(現・ちひろ美術館)開館。 1997年4月、長野県北安曇郡松川村に安曇野ちひろ美術館開館。 ◇ 今日の誕生花・トロロアオイ(アオイ科) 花言葉は、「知られぬ恋」。 歩きゐて日暮るるとろろ葵かな 森 澄雄 呼びかけるごとくにこちら向いて咲く トロロアオイのまぶしい今朝よ 鳥海昭子 |

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