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平成22年8月15日(日)敗戦忌:戦友の墓守、パラオ移住、慰霊碑移転。 戦前は日本の統治下にあり、太平洋戦争の激戦地となったパラオ共和国。 ここで命を落とした多くの戦友を弔うため、「墓守」として同国へ移住した倉田洋二さん(83)が今夏、地権者の事情で立ち退きを迫られていた慰霊碑21基の移転を無事終えた。 玉砕戦後も生き延びた倉田さんは「慰霊碑を残していくのは生き残った者の務め。これで戦友が安らかに眠れる」と安堵している。 倉田さんが東京都内の学校を中退し、日本の委任統治領だったパラオに親類を頼って移住したのは1941年。現地の水産講習所に通い、貝などの養殖を学んだ。水産試験場で働き始めたが、1944年に旧日本軍から召集を受けた。ほどなく米兵約2万人がパラオのアンガウル島に上陸。同島の日本軍は1000人余で食糧、弾薬とも乏しく、生き抜いたのは数十人だったという。 倉田さんは、左手足の重傷で最後の攻撃に参加できず生き残った。後ろめたさに苦しみながらも「生き延びて友軍ともう一度戦おう」とジャングルを転々とした。ヘビやネズミを食べて飢えをしのぎ、いかだで脱出も試みたが、海流に阻まれ断念。困窮の末、食糧を求めて米軍キャンプに忍び込み、見つかって捕虜となった。 復員後、東京都に採用され、都水産試験場などに勤務した。戦後、倉田さんが初めてアンガウル島を訪れたのは1975年頃。生き残った負い目から、長く足を踏み入れられなかった。夕闇の中、慰霊碑の上を、ホタルがふわふわ飛んでいるのを見た時、「戦友が自分を待っていたように感じた」。その後も何度か通ううち、国が建てた慰霊碑に加え、生き残った戦友や遺族らが建てる小さな慰霊碑が増えるのを見て、「近くで守りたい」との思いを強めた。 同国の中心・コロール島に移住したのは都を退職後の1996年。2度目の移住を決意したのは、妻に先立たれたこともあったが、「墓守」が大きな理由。ライフワークのウミガメの研究をしながら静かに暮らし、船で約4時間かかるアンガウル島に年4回ほど訪れて碑に手を合わせる。碑は大小21基に増えたが、放っておくとジャングルに埋もれてしまうため、掃除が欠かせない。 2008年、地権者からホテル建設を理由に移転を求められた。倉田さんは「永久に供養できる場所を」と地元の州などに掛け合い、島の海辺にある国有地を確保。日本に帰って移転費の寄付を募ると、目標を上回る金額が集まり、「多くの人が追悼の思いを持ち続けている」と感激した。 今は碑を移しただけだが、いずれは住民に親しまれる公園にしたい。「ずっと碑を守り続けることはできない。管理の方法も考えなければ」。倉田さんは危機感も感じている。 パラオ共和国:南北約640キロにわたり、200以上の島からなるが、人が住んでいるのは9島。面積は計488平方キロ・メートルで屋久島とほぼ同じ。人口約2万人。1920年から日本が委任統治し、第2次大戦後は米国が信託統治を実施。1994年に独立。アンガウル島は約8平方キロ・メートル。 ※ 敗戦忌精霊まつり盂蘭盆会 いまだただやふ逝きし者の霊 8月15日、『みだれ髪』が刊行されました。 ◇ 『みだれ髪』 (与謝野晶子の処女歌集) 1901年(明治34年)8月15日、東京新詩社と伊藤文友館の共版として発表された。女性の恋愛感情を率直に詠んだ斬新な作風は、当時の世間に喧しい賛否両論を巻き起こした。 1973年(昭和48年)、孫の与謝野馨によって主婦の友社から復刊されています。 ※ 初版本の表紙装丁デザインは藤島武二が担当した。 この書の体裁は悉く藤島武二の衣装に成れり 表紙みだれ髪の輪郭は恋愛のハートを射たるにて 矢の根より吹き出でたる花は詩を意味せるなり その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな 清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき やわ肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君 むねの清水あふれてつひに濁りけり君の罪の子我も罪の子 くろ髪の千すじの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもいみだるる 人の子の恋をもとむる唇に毒ある蜜をわれぬらむ願い あまりにもストレートな恋愛表現は、慎ましやかな女性を善しとする当時の道徳観から見て、到底受け入れられないものであった。はたして『みだれ髪』は、「此一書は既に猥行醜態を記したる所多し人心に害あり世教に毒あるものと判定するに憚からざるなり」(「歌の華」明治34年9月号)の評のように徹底的に非難された。 一方では、上田敏のように純粋に芸術面から高く評価し、「耳を欹(そばだて)しむる歌集なり。詩に近づきし人の作なり。情熱ある詩人の著なり。唯容態のすこしほのみゆるを憾(うらみ)とし、沈静の欠けたるを瑕(きず)となせど、詩壇革新の先駆として、又女性の作として、歓迎すべき価値多し。其調の奇峭と其想の奔放に惘(あき)れて、漫(みだり)に罵倒する者文芸の友にあらず。」と保守的な論陣を非難、新しい文学の誕生であると高く評価した。 また多くの進歩的女性からは、婦人解放の宣言として歓迎された。 大阪の無名の女流歌人を一躍文壇に押し上げた『みだれ髪』は、多くの若い読者を魅了し、鉄幹と晶子とのゴシップで購買数が落ち込んでいた「明星」は、息を吹き返した。 ◇ 今日の誕生花・ヒオウギ(アヤメ科) 花言葉は、「誠意」。 終戦日妻子入れむと風呂洗ふ 秋元不死男 ※ 秋元不死男(1901年〜1977年):本名、秋元不二雄。前号は東 京三(ひがし きょうぞう)と言い、これはアナグラムで「京三東」(きょうさんとう)とも読めるものだった。1934年、新興俳句運動に加わり、1940年、西東三鬼らと「天香」を創刊。 1941年、治安維持法違反の嫌疑で検挙され、1943年2月に保釈されるまで獄中にあった。 1946年、平和と民主主義を掲げる新俳句人連盟の創立に関わり、同連盟幹事長。同年6月、新俳句人連盟分裂の責任をとって休俳宣言をするも、1947年、現代俳句協会創立会員(のち幹事長)となる。同年、俳号を秋元不死男と改める。 敗戦日ただ抱きしめし末っ子よ 徳島・園田とく子 ヒオウギよ花のつぼみの下陰を 無音の蟻の列が続けり 鳥海昭子 |

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