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平成22年8月25日(水)昨日:首相の苦肉の策、新人取り込みへ解散権封じ。 民主党代表選で再選を目指す菅直人首相が23日、「脱小沢」戦略に続き、「3年間は解散しない」と明言。選挙基盤が弱い当選1回生議員を安心させ取り込む狙い。ただ、首相の権力の源泉である「解散権」を自ら封じるかのような発言は、首相の求心力低下を招きかねない。 23日午前、衆院議員会館の首相の自室で開かれた民主党の1回生議員18人との懇談会。首相は「縦割り行政を政治主導で変えたい。そのためには3年間は腰を据えて本格的な改革をやりたいんだ」と説明。そして「3年後に参院の任期が来るから、そのときに衆参ダブル選挙でいいじゃないか」と踏み込んだ。 衆院議員のクビを切る解散権は、首相の最大の武器。首相があっさりそれを封印するような発言をしたのには、訳があった。 小沢一郎前幹事長に近い山岡賢次副代表は都内で記者団にこう語った。 「ねじれ国会では予算関連法案が参院で通らない。解散と引き換えに通してもらうことになるのが確実だ」。 小沢氏支持グループの戦略の一つは、菅首相では早晩、政権は行き詰まり、衆院の解散・総選挙に追い込まれると宣伝することだ。選挙基盤が固まっていない1回生の不安を煽り、首相から支持を引きはがすことにある。首相が解散権を封じてみせたのは、1回生のこうした懸念を払拭するためだった。 ※ 自ら解散権を封じる戦略は、首相自身の求心力低下につながる危険もある。しかも、「小沢さんがいたからこそ、政権交代を成し遂げることができた」と、首相は挙党一致を求める1回生の問いに、小沢氏を持ち上げた。 解散権を封じたとみられた上に、小沢氏に融和のサインを送ったと受け取られかねない首相の発言に、首相を支える党幹部の一人は、「殴りに行こうかと思った。菅さんはわかっていない。すぐ余計なことを言う」と憤った。 鳩山氏と言い、菅氏と言い、余りにも正直すぎるようだ。政治家とも思えぬほどの率直さを示して憚らない。やはり野におけレンゲ草、と言うのも悲しい話だが … 。 8月25日は、川柳発祥の日です。 ◇ 川柳発祥の日 宝暦7年(1757年)旧暦8月25日、柄井川柳が 最初の川柳評万句合を開始したことを記念し、川柳学会が制定しました。 ◇ 柄井川柳(1718年〜1790年) 江戸中期の前句付け点者(選者)。名は正道。幼名は勇之助。通称、八右衛門。柄井家は代々江戸浅草新堀端の竜宝寺門前町の名主の家系で、宝暦5年に家を継いで名主となる。当初は談林派俳諧の点者であったといわれるが定かではない。宝暦7年8月25日(1757年10月7日)前句付の点者として無名庵川柳と号し、最初の万句合を興行しています。 以降月3回、5のつく日に句合を興行する。宝暦12年10月15日(1762年11月30日)の句合には総句1万句を超し、その隆盛ぶりが窺える。川柳(八右衛門)の出題は、前句付の14字題と冠付のみであり、総句高に対する番勝句の比率も高い。新しい趣向を好み、選句眼にも優れていたことが、上級武士も含め江戸における前句付作者に好まれた。 明和2年(1765年)7月、呉陵軒可有(ごりょうけんあるべし)の協力を得て刊行された「誹風柳多留」は、川柳評前句付の流行に拍車をかけました。以後、前付句が独立して川柳と呼ばれるようになった。柄井の辞世の句は、「木枯らしや跡で芽をふけ川柳」であったと伝えられる。 柄井の没後、川柳の芽は大いにふくらみ、川柳の号は第15世(脇屋川柳)まで受け継がれていった。 没するまでの足掛け33年間に260万句に及ぶ寄句を集め、当時の前句附点者の中では際立った人気を誇った。それは、柄井川柳の卓越した選句眼と選句基準の独自性が時代に受け入れられたことを意味します。 選句の特徴は、都会趣味(江戸の気風・嗜好・日常語)を基調として洗練された穿ちによる笑いを特徴とした、前句(題)にこだわらず、一句そのものの面白さ(一句立て)に重点をおいた事と言える。 あくまでも選者であった柄井には、判然とした自作句が極めて少ない。辞世句すら今いち怪しげだと言われる。 「世におしむ雲かくれにし七日月」「今ごろは弘誓の舟の涼かな」、これらは李牛の追悼句として作られたもので、柄井作とされるが川柳ではなく、発句とみるべきもの。 ◇ 今日の誕生花・シシウド(セリ科) (猪独活) 花言葉は、「健康美」。 ひぐらしや人びと帰る家もてり 片山桃史(とうし) 高原のシシウド銀(しろ)くひかる朝 蜘蛛みじろがず巣の端にいる 鳥海昭子 |

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