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平成22年8月30日(月)昨日:世論調査、ふさわしいのは菅氏67%、小沢氏14%。 民主党代表選(9月1日告示、14日投開票)で、菅首相と小沢一郎前幹事長が対決する見通しとなったことを受け、電話による緊急全国世論調査を実施。 菅氏と小沢氏のどちらが次の代表にふさわしいと思うかを聞いたところ、菅氏と答えた人は67%、小沢氏は14%だった。民主支持層に限ってみると、菅氏は77%で、小沢氏17%に大差をつけた。 菅氏がふさわしいと答えた人に、その理由を聞くと、「首相が短期間で代わるのは良くない」65%が最も多く、「小沢氏と距離を置いている」27%などが続いた。 小沢氏がふさわしい理由では、「指導力がある」40%、「政治経験が豊かだ」29%などの順に多かった。 小沢氏については、自らの資金管理団体を巡る「政治とカネ」の問題で、説明責任を果たしているとは思わない人が91%に達した。この問題の責任を取る形で参院選前の6月に幹事長を辞任しており、代表選出馬には「納得できない」との答えが81%を占めた。 小沢氏とともに辞任した鳩山前首相が、代表選で小沢氏支持を表明したことを「納得できない」という回答は80%。 ※ 小沢サイドが「代表選に民意は関係ない」と、言い切った。その言やよし、地方票がどう動くか見ものだ。 一方では、その場の空気に流されて付和雷同する民意も情けないものがある。 8月30日は、佐藤勝彦の誕生日です。( 1945年生まれ ) ◇ 佐藤勝彦(宇宙理論物理学) 専門は宇宙論で、インフレーション宇宙論の提唱者。 香川県立丸亀高等学校を卒業後、京都大学理学部に入学し、物理学科天体核物理学研究室で林忠四郎に師事。2009年、明星大学理工学部物理学科客員教授。2010年、自然科学研究機構機構長。 京都大学大学院在学中、林忠四郎の薦めに従い、超新星に関する研究を行ってきた。とりわけ超新星におけるニュートリノの影響に関する研究を行った。 1981年にアラン・ハーヴェイ・グースとほぼ同時期に、インフレーション宇宙論を提唱した。 この理論の最初の論文投稿者は、佐藤勝彦だが、「インフレーション」という用語を最初に用いたのは、その後に論文投稿したアラン・ハーヴェイ・グースであった。 京都大学大学院時代において、無給の助手として4年間に渡り研究を行う。博士号取得は、「超新星爆発におけるニュートリノによるエネルギー輸送」に関する研究論文による。博士号授与後、精密な計算手法を確立し、何遍もの論文を書き、これによって京都大学助手に就任。 その後、助手時代に書いた論文が認められ、北欧理論物理学研究所に赴任する。ここで、一般相対性理論と量子力学の融合の研究を行う。この時に提唱したのが、現在「インフレーション宇宙論」として知られる論文だった。帰国後、京都大学から東京大学に移り、理学系研究科にて研究を行う。 「初期宇宙の探求」では、マグナム望遠鏡や富士山頂サブミリ波望遠鏡などの建設に際して、調印などの式典に参加。「極限対称系」では、超弦理論や超対称性理論の研究を行う研究者の招請などを行う。現在は、学内で数物連携宇宙研究機構において、主任研究員を兼務する。主な研究テーマは、数学から物理学へのアプローチなど。 「インフレーション宇宙論」とは? 佐藤勝彦氏は、素粒子物理学における相互作用の大統一理論を初期宇宙に応用することにより、真空の「相転移」が宇宙初期に起こり、その結果、宇宙が何十桁もの指数関数的に膨張することを示した。 それにより単純なビッグバン宇宙論をインフレーション宇宙論へと飛躍的に発展させた。その際、宇宙の大規模構造の種となり得る揺らぎがインフレーション時に生成可能なこと、またインフレーションによって地平線が十分広がることにより、現在観測されているように、大きな領域にわたって一様に正のバリオン数をもつ物質宇宙が実現することを示した。 さらに、この「相転移」の進行にともなって、母宇宙、子宇宙、孫宇宙、……、と宇宙が自己相似的に多重発生することを示した。これは「唯一絶対の宇宙」という古典的な宇宙観を、「多種多様な宇宙の中でのわれわれの宇宙」という考え方に変更することを迫る、画期的なものであった。近年、量子宇宙論や、超ひも理論におけるランドスケープ描像において、われわれの宇宙が実現する確率まで議論されるようになっているが、こうした研究の背景には、佐藤勝彦氏を嚆矢とする宇宙観の変遷があることを忘れてはならない。 主な著作に、『ビッグバン理論からインフレーション宇宙へ』(徳間書店、1991年)、『宇宙はわれわれの宇宙だけではなかった』(同文書院、1991年) 、『宇宙96%の謎 最新宇宙学が描く宇宙の本当の姿』 (実業之日本社、2003年)など。 ◇ 佐藤勝彦氏のお言葉 「自分のやりたい事を温め続け、あきらめなかったから卵を孵すことができた」 ※ 敗戦後の日本人を鼓舞した人物。 「フジヤマのトビウオ」と言われた古橋廣之進氏と、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹氏。 かたや、パンツさえあれば出来るスポーツ。かたや、紙と鉛筆さえあれば出来る学問だった。 物資欠乏の日本にとって、恰好のターゲットだった? ◇ 三浦哲郎氏、亡くなる(2010/8/29) 名作「忍ぶ川」など、自らの人生を深く見つめた小説で知られる作家の三浦哲郎(てつお)氏が29日午前4時33分、鬱血性心不全のため東京都文京区の病院で死去された、享年79。告別式は9月6日午前11時から岩手県一戸町一戸大沢25の広全寺にて、喪主は妻の徳子さん。 青森県八戸市に生まれ、早稲田大に進学するが、世話になっていた次兄が失踪したため、郷里に戻って教師を務める。1953年早大に再び入学。在学中に同人誌に発表した作品が井伏鱒二に認められ師事。 「忍ぶ川」で1961年に芥川賞受賞。座敷わらしの民話に基づく1971年刊行の児童文学「ユタとふしぎな仲間たち」はテレビドラマ化されるとともに、劇団四季によってミュージカル化された。1984年から2005年まで芥川賞選考委員を務め、新鋭の作品に対しては「どんなに難しいことを書いていても文章がまずければ評価しない」という態度で臨んだ。 「最近、劇画調というか、おかしな文章が増えてきた」と嘆いていた。 ※ 生涯、自身の呪われた「血」にこだわった作家だった。透徹した感性の奥には、深い哀しみが横たわっていた作家だった。 「私は、あの宿直室(教師時代の回想)の孤独と寂しさのおかげで、かつて我が家を吹き荒れた嵐を思い起こし、人生について、人間について、生と死について、考えることをおぼえ、遂には本気で文学を志願するに至った」(随想集「時のせせらぎ」)。 八戸の実家は呉服店だったが、6人兄妹のうち、姉や兄4人が次々と失跡、自殺する悲劇に見舞われた(三浦哲郎は6人兄妹の末っ子)。「忍ぶ川」はこうした暗い血の宿命を負った主人公の「私」が、料亭の薄幸の女性と出会い、ひたむきな愛によって再生していくまでを抒情的に綴った。 一部地元では、「家の恥で稼ぐ」などとも言われたようだ。 それでも、三浦哲郎の姿勢は変らなかった。「悲惨な人生」「私を書くことで自己を救済する」「生の根源を見つめる」という私小説的精神を貫いた。そして、彼の私小説精神は決して破滅的ではなく、自己救済の光が仄かに見えるものだった。 つい先日の紙上でも、残された時間で、先頃亡くなったばかりの姉について書いておきたいと語っていた。 1972年の熊井啓監督作品『忍ぶ川』では、岩崎加根子が演じる香代(末姉)が一人淋しく台所に立っている場面があった。沈鬱な画面であった。 哲郎(加藤剛)は、姉の寂寥感を気にはしつつも二階への階段を上がりかける。 そして、立ち止まり、踵を返す。 香代に優しく語りかけるのだ、「姉さん」。 香代は静かに振りかえる。その表情には悲しそうな笑みが浮かんでいる。 ぽつりと「わたし、生きていてもいいの」と、問いかける。 哲郎は、明るい笑顔で「当たり前じゃないか、馬鹿だな」と答えた。香代は深く安堵したように、「そう、ありがとう」と答えた。 何故か、このシーンは長く記憶に残った。そして先日、『忍ぶ川』のDVDを購入したばかりであった。 ◇ 今日の誕生花・キツネノカミソリ(ヒガンバナ科) 花言葉は、「妖艶」。 ぽっと日の当たるきつねのかみそりよ 石田郷子 怖れては遠目に見たる花なりき キツネノカミソリ群れる初秋 鳥海昭子 ※ 「 狐の剃刀 」:葉の形がカミソリに似ているところから「キツネノカミソリ」と名づけられた。「キツネ」とは「イヌ」と同様に、似ているが違うもの、という意味合いで使われる。早春、芽を出したばかりのキツネノカミソリの葉は、薄く平べったい感じをしていてカミソリの刃のようにも見える。ヒガンバナの葉にも似るが、キツネノカミソリは葉が先で花が後から咲く。ヒガンバナは花が終ってから葉が出てくるもの。 |

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