|
平成22年11月12日(金)昨日:“平成の鎖国政策”など、あり得るのだろうか? TPP加入問題で大揺れの“島国ニッポン”の国益飛ばしの御事情 菅直人首相が、日本と欧州連合(EU)との間で経済連携協定(EPA)の締結を目指していることが明らかになりました。TPP(環太平洋経済連携協定)に続き、前向きの姿勢を示しています。背景には韓国の存在があります。韓国はEUと自由貿易協定に署名、来年発効します。自動車や電機で韓国企業の競争力がさらに強まりかねないとの危機感があります。EUは非関税障壁の改善を求めているため、実現には曲折が予想されますが、首相の指導力がここでも問われる。 ※ 今日では好むと好まざるに関わらず、“グローバル”なる呪文に抗し得ない。もとより、島国で一国主義の保護貿易ができる筈もなく、「貿易立国」日本の生きる道を自ら閉ざすことは許されない。メリットとデメリットとを調整する政策的システムが求められる。“嫌なこと”を回避して、先送りにして得られる国益はない。 外交とは、武器を使わぬ戦争なのだ。遅れをとって負け戦をしてはならない。世界の枠組みから外れた日本は、生きてはゆけないだろう。 11月12日は、太田治子の誕生日です。 ◇ 太田治子( 1947年生まれ ) 神奈川県小田原市の生まれ。 『斜陽』の主人公「かず子」のモデル・太田静子の娘。父は太宰治(本名:津島修治)。 当時、妻子のある太宰は文学を志す静子と関係を持ち、生まれてきた娘に、「治」の一字を与えて認知する。 だが翌年、太宰は玉川上水で山崎富栄と入水。 以後、太田静子は、倉庫の炊事婦や寮母などをして、働きづめで生計を立てた。治子は、静子や静子の兄弟らの愛情・支援のもとに育つ。明治学院大学文学部(英米文学)卒業。 (お嬢様育ちだった静子が、形振り構わずに生活費を稼ぐようになるには、長い紆余曲折があったようだ。文筆での収入を期したこともあった。浜辺で拾った貝殻を小学校の校門前で売ろうとしたことも … ) 1967年、紀行文「津軽」で婦人公論読者賞を受賞。1972年、110枚の小説「私のハムレット」を『新潮』に載せたが、一行の批評も出なかった(『心映えの記』)。 幼い頃から静子の影響で絵画に親しみ、それが縁で1976年からNHK「日曜美術館」の初代アシスタントを3年間務める。美術に造詣が深く、多くの美術書やエッセイ、フィクションを著す。 (少女時代に母の帰りを待ちながら、母の数少ない蔵書の画集を飽かず眺めていた。) 1982年、母・静子死去。1986年、母との思い出をつづった「心映えの記」で、第1回坪田譲治文学賞受賞。同作品で、直木賞の候補にもなった。 私生活では長く独身を通していたが、これは太田自身の出生の経緯や母の肝臓癌発覚による看護・死去(1982年11月24日、享年69)などの事情による。 30代後半に編集者である知人の紹介で見合い結婚をし、1987年に女児(万里子)を出産したが、2004年に離婚。 現在は文筆業を中心に再び盛んに活動している。 (治子には、幼少時から「斜陽の子」と言う、あまり嬉しくない表現がついて回った。母からは津島家には近づくなと、言われ続けた。それ故、津軽には女学生時代に一度行ったきりだった。) ◇ NHK教育ETV特集「『斜陽』への旅 ー太宰治と太田静子の真実ー 」 (2009/10/04 放送) 作家・太田治子が、太宰治の“愛人”であった母・静子(1913年〜1982年)を語るドキュメント風な紀行番組だった。 小説家への夢を抱いていた静子は日記を書いていた。太宰が、それに関心を示し見せてくれとせがむ。太宰は、太田静子を訪ねて日記を入手し、静子と関係を持つ。 太田静子は、世に『斜陽』のモデルと言われたが、事実は原作者と言うべきほどに、日記の文章がそのまま引用されている。太宰は、ストーリーテラーとして日記体を小説に仕立てた。その完成度は高かった。 (今日、静子の日記は『斜陽日記』として刊行されている。以前、太田治子氏に『斜陽日記』へのサインを求めると、「母にかわりて」と書き添えてくれた。) 太宰生誕百年だった2009年、治子は五能線に乗って太宰の郷里・金木を訪ねる。太宰の生家は「太宰治記念館」となっている(国の重要文化財)。(以前は「斜陽館」として、記念館を併設する旅館であった。) 太田治子氏はとても正直な方で、金木の駅に降りた途端に顔が引きつるのが、テレビでもよく見て取れるほどだった。トボトボと歩く治子さんの後ろ姿が、なんとも頼りなかった。本当は行きたくないと、後ろ姿が泣いていた。 県下有数の大地主・津島源右衛門の六男であった太宰にとっても、いい思い出の少ない生家だった。 それでも治子には、どうしても見たい部屋があった。太宰が兄と本を読んだり、勉強したりした部屋。「斜陽」の文字がある書を表装した襖のある部屋だった。 NHKスタッフが尋ねる、「太田さんは、斜陽という言葉は好きですか?」。太田は暫しの沈黙の後、太宰のような微妙な笑みを浮かべながら、「『人間失格』よりもいいと思います、遙かに。斜めですから … 、太陽が … 。ちょっと寂しいですけれど、まだまだ明るいわけですから」。 「斜陽館」を出て、彼女は語る。「愛人の娘として、入るには憚れる気持ちがありましたが、ここ津軽まで来ると、入るのも自然かと思いました」。 母・静子は金木はおろか、自らの郷里・近江にも帰れぬ身の上だった。さらには静子は、こんな風に言っていたようだ。 「空の上でも太宰とは会わないと言ってました。奥様に申し訳ないからと … 。 私は、一度くらい会ってもいいんじゃないの?と言いましたよ。 母の子として産まれたことに誇りを持っていますから。あれほど道徳革命という『斜陽』の中の言葉を実践してきた母が、一方では、そういう心を持っていたんです。娘として、なんなんだろうって思いますよね」。 ◇ 今日の誕生花・ヤクシソウ(キク科) 花言葉は、「にぎやか」。 はやばやとともる街燈冬めける 富田直治 素朴なる黄色ひろげるヤクシソウ 秋深む野をにぎやかにして 鳥海昭子 |

- >
- 生活と文化
- >
- 祝日、記念日、年中行事
- >
- その他祝日、記念日、年中行事




