今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成22年11月14日(日)昨日:「スー・チー万歳、お帰り」自宅前で支持者熱狂。

 ミャンマー(ビルマ)民主化運動の象徴であるアウン・サン・スー・チーさん(65)が13日、軍事政権による自宅軟禁から解放された。この瞬間を待っていた国内外の支持者は歓喜の声で迎えた。 スー・チーさんの自宅前は、興奮と不安に包まれていた。13日に解放されるという情報を信じて集まった支持者らは午後には数百人に達し、さらに膨らみ続けた。 道路に広がる彼らを挟みこむように、トラック7、8台に分乗した武装警官が待機していた。騒ぎが起これば、彼らが制圧に乗り出す可能性もある。人々は、スー・チーさんの写真を掲げ、静かにその時を待っていた。

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 「スー・チー万歳!」「お帰りなさい!」、群衆の熱狂は頂点に達した。

 以前よりも頬がこけていたが、顔色は良く、声には張りがあった。集まった人々の一人一人に語りかけるように、ゆっくりと群衆を見渡し、手を振って歓声に応えた。時には興奮する人々を静めるように両手で制するようなしぐさをしつつ、常に顔に笑みを絶やさなかった。花束を渡されると、その花の一輪を自分の後ろ髪に刺した。

 スー・チーさんは何度か演説しようとしたが、拡声機がなかったのと、人々のあまりの興奮と歓声に、その声はなかなか届かなかった。 「みなさん本当にありがとう。明日、正午に国民民主連盟(NLD)本部でまたお話ししましょう。ぜひ来てください」と呼びかけた。約10分後、建物の中に戻る前に、さらに付け加えた。

 「沈黙を守るべき時と声を上げるべき時があります。人々は力を合わせなければなりません。そうして初めて目標を達成できるのです」。 日が落ちた後も、群衆の歓声はやまなかった。



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 11月14日は、「闇の男」 野坂参三の命日です。

 1993年(平成5年)11月14日、老衰のため自宅で死去。
 かつて、日本共産党の名誉議長であり、好々爺然たる風貌で「党の顔」でも
 あった人物の、その実態は実に、実に恐るべきものであった … 。

 ◇ 野坂参三 ( 1892年<明治25>3月30日 〜 1993年<平成5>11月14日 )

 日本共産党の元名誉議長。衆議院議員・参議院議員。中国では岡野進と称した。ペンネームは野坂鉄嶺、野坂鉄など。慶應義塾在学中に友愛会に入り、労働運動に参加する。卒業後、常任書記となる。1919年(大正8年)友愛会の派遣で英国に渡り、イギリス共産党に参加。帰国後、日本共産党に参加する。日本労働総同盟の産業労働調査所主事となり、慶應の後輩・野呂栄太郎に影響を与える。三・一五事件で検挙されたが、「目の病気」を理由に釈放された。

 ※ このことから、野坂には「警察スパイ」の疑念もある。当時の治安維持法下の刑務所では、「共産党員は死体になるか、転向しなければ出ることができない」と言われていた。それを、「眼病の治療」という理由だけで出獄できた野坂は、やはり尋常ではない。


 この釈放から1931年(昭和6年)に妻・野坂龍とともに秘かにソ連に入国するまでの経緯には謎が多い。外国人向け政治学校東方勤労者共産大学(クートヴェ)で秘密訓練を受け、コミンテルン、内務人民委員部(NKVD)のスパイになったと言う。その後米国に入国、アメリカ共産党とも関係する。また、1940年(昭和15年)、中華民国の延安で中国共産党に合流する。同年10月に日本工農学校を組織したり、1944年(昭和19年)2月、日本人民解放連盟を結成し、日本人捕虜に再教育を行うなど、日本帝国主義打倒を目指す活動をおこなった。一貫して天皇制に融和的であり、天皇制打倒を掲げた党の方針とは異なる立場を表明することが多かった。

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 第二次世界大戦終了後の1946年(昭和21年)1月12日に帰国し、26日に日比谷公園で参加者3万人による帰国歓迎大会が開催される。大会委員長・山川均、司会・荒畑寒村のほか、日本社会党委員長・片山哲の登壇、尾崎行雄のメッセージなど、党派を超えて集まり、民主戦線樹立を目標とすることが宣言された。この大会のために『英雄還る』という曲が作られ、声楽家・四家文子が壇上で熱唱した。先立つ14日に「愛される共産党」というキャッチフレーズや、信仰対象としての皇室を容認した中央委員会との共同声明を発表した。

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 府中刑務所から解放されていた徳田球一らと日本共産党の再建を果たす。4月10日の戦後初の第22回衆議院議員総選挙で、東京1区から当選。新憲法制定の審議では、自衛権保持の観点から政府の草案に反対し、憲法前文に「主権が国民に存する」との文言を追加するよう主張した。

 ソ連のシベリア抑留の帰国者に関する手紙で、ソ連のシベリア抑留の肯定、延長を求める文面があり、それが元で国会で大々的に追及される。1950年(昭和25年)に日本共産党がコミンフォルムから平和革命路線を批判され内部分裂した際には、徳田らとともに所感派の指導者となり、宮本顕治らの国際派と対立。さらにGHQからレッドパージを受け地下活動、中国に亡命して武装闘争路線を採った。

 1955年(昭和30年)に帰国して国際派と和解し、六全協で武装闘争路線を否定して第一書記に就任。1956年(昭和31年)に東京都選挙区から参議院議員に当選、1977年まで4期にわたって参議院議員を務めた。1958年(昭和33年)に議長となり、宮本顕治が書記長となる。1982年(昭和57年)7月の第16回大会で退任し、以後名誉議長。

   そして、最晩年での除名処分が下る

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 引退後は、1970年代から書きついで来た自叙伝『風雪のあゆみ』を完成させ、1992年には生誕100年ということで、黒柳徹子との親交から「徹子の部屋」にも出演したり、NHK教育テレビジョンで特集が組まれたこともあった。 しかし、その直後の『 週刊文春 』9〜11月の連載記事が発端となり、調査の結果、ソ連のスパイだったとして日本共産党名誉議長を解任され、その後、中央委員会総会において除名処分が決定された(名誉議長解任時は高齢であることを配慮して党からの年金支給が続けられたが、除名処分に伴い打ち切られた)。   その際、野坂は「残念ながら事実なので処分を認めざるを得ない」と述べた以外は、この件について公に語ることがなかった。これはソ連崩壊後、公文書が公開され、野坂が戦中に米国からコミンテルンのディミトロフに送った手紙が明らかになったことによるもの。野坂はソ連にいた日本人同志の山本懸蔵(1895〜1939年)ら数名をNKVDに密告し、山本はスターリンの大粛清の犠牲となった。 野坂には、ソ連と米国との二重スパイ説もある。

 ※ 野坂は山本懸蔵がスパイであることの疑惑を指摘、「ある種の不透明さを感じた」と告発する手紙をNKVDに送った。野坂の告発は殆ど事実に反するものだったが、この手紙によって山本は逮捕され、ソビエト最高裁の軍事委員会の法廷に引きずり出された。山本は、自白は拷問によるものであると無実を主張したが、当時のソビエトでそれが通る筈もなかった。山本はソビエト市民になっていたので、国家反逆罪で死刑が宣告され、翌日、銃殺された。

 ※ 野坂参三、多くの苦難を味わった人生ではあると思われるが、彼のために多くの同志が非業の死を遂げた。そして、野坂参三の最大の不幸は自身の長命であった。彼の死の前に、ソ連の崩壊がやって来るとは思わなかったであろう。それにより、多くの公文書が公開された。 そもそも、野坂がスターリンの大粛清時代を無傷で生き抜いたこと自体、まさに奇跡と言うべきであろう。

 ※ 11月14日は、「いい石の日」です。
 野坂参三は日本共産党にとって、「躓きの石」などでは、とてもとても
 言い足りないほどのダメージを与えましたが、所詮は身から出た錆でした。



 ◇ 柿もぎ中に木から転落、高齢者2人死亡 山形(2010年11月13日)

 13日午前11時過ぎ、山形県朝日町松程で、近くの無職鈴木清夫さん(82)が柿の木の枝(高さ約8メートル)に左膝を挟まれ宙づり状態になっているのを隣人が見つけた。病院に運ばれたが、その後、呼吸不全で死亡した。   午後1時過ぎには、同県寒河江市日田の柿の木の下で、同市本楯1丁目、無職石山清吾さん(79)が倒れているのを家族が見つけた。首の骨が折れており、病院で死亡が確認された。

 ※ 矍鑠たる御老人も、慎みを忘れてはなるまい。
 自分のイメージ通りに動かぬ吾が身に慣れることが、養生の第一歩。



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 ◇ 大神神社「醸造安全祈願祭(酒まつり)」

 例年11月14日は、酒の神様、醸造の祖神と仰がれるご神徳を称えて、新酒の醸造安全祈願祭(酒まつり)が行われます。当日は灘・伏見を始め、全国の酒醸家・杜氏・酒造関係者が参列。4人の巫女が、ゆかりの三輪山の杉を手に、神楽「うま酒みわの舞」を神前に奉納します。

 この日より、御神木である三輪山の杉の葉で作られた「しるしの杉玉」、一名「酒ばやし」(直径約30センチ)が、全国の酒造家に広く授けられ、酒蔵の軒下につり下げられます。また前日の午前9時には、拝殿向拝の大杉玉(直径1メートル60センチ、重さ150キロ)が、杉の緑色あざやかな新しいものと取り替えられます。社頭では、各醸造元より奉納の四斗樽が鏡開され、参拝者にふるまわれ、境内一円が酒の香りで満ち溢れます。

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 日 時 : 11月14日(日) 10:30〜
 場 所 : 大神神社 
 交 通 : JR三輪駅より徒歩5分
 問合せ : 桜井市三輪1422 TEL 0744-42-6633

 ※ 今年の6月30日に続き、二度目の参詣(午前10時半〜11時半)



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   ◇ 今日の誕生花・ダルマギク(キク科)

   花言葉は、「打たれ強い」。

   海に出て木枯帰るところなし   山口誓子

 打たれ強いなどと悲しく人は言い ダルマギク風に耐えつつ咲けり  鳥海昭子

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 ※ ダルマギクは西日本の海岸に生える野菊で、海岸でも厳しい岩場にへばり
 つくように咲いていることが多いようです。その姿から達磨を連想したのか。


 【参照】11月14日、いい石の日
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/49712386.html

 【参照】11月14日、世界糖尿病デー
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/45558115.html

 【参照】11月14日、醸造安全祈願祭(2006年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/23609186.html

 【参照】「かぐや」撮影の“地球の入り”(2007年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/38180642.html

 【参照】11月14日、大神神社「醸造安全祈願祭」(2007年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/38169621.html

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