|
平成23年2月12日(土)昨日:独裁30年、ムバラク政権崩壊、軍が全権掌握。 ムバラク大統領の辞任表明を発表するスレイマン副大統領(国営テレビ) エジプトのスレイマン副大統領は11日夜(日本時間12日未明)、国営テレビを通じて演説を行い、ムバラク大統領が辞任し、全権を軍最高評議会に移譲したと表明した。 AFP通信によると、大統領は11日、東部の保養地シャルムエルシェイクに移動した。これにより、30年にわたってエジプトに強権体制を敷いてきたムバラク政権は崩壊した。チュニジアで始まった政変は中東アラブの盟主エジプトでも体制崩壊につながった。周辺諸国に波紋が広がることは必至で、米国は対中東政策の根本的な見直しを迫られることになった。 スレイマン副大統領は声明で、「我が国が直面している困難な状況を勘案して、大統領は辞任を決意した」と述べた。ムバラク大統領は10日の演説では、「私は憲法と国民の利益を守る責任を負い続ける」とし、今年9月の次期大統領選まで職にとどまる意向を改めて表明し、即時辞任を拒否していた。 「この瞬間待っていた」 歓喜するカイロ市民 中心部のタハリール広場でムバラク辞任を求め続けた反体制デモの参加者たちは、大統領が辞任表明したとの情報が伝えられると、「我々はエジプト人としての誇りを持っている」と叫び、頭上でエジプト国旗を振った。 無職男性(55)は「この瞬間を待っていた。これで腐敗の時代はもう終わる。これからよい人生を送ることができるだろう。本当にうれしい」と叫んだ。 カイロ中心部の通りを走る車はクラクションを鳴らして喜びを表現した。30代のタクシー運転手は「ただ素直にうれしい。この国がどうなるかわからないが、これからきっと、いいことがあるだろう」と興奮気味に語った。 タハリール広場には11日午前までに十数万人が集結。大統領の出身地、北部ミヌフィーヤ県から来たという大工マフムード・バンナさん(53)は「昨晩はいらいらしてよく眠れなかった。ムバラクを裁判にかけ、すべての悪行を暴くべきだ」とまくしたてた。 カイロ大大学院の女子学生オラ・マフムードさん(21)は「ムバラク大統領が国民の要求と全く逆のことを言った。私たちはなめられていると感じた」と語気を強めた。 カイロの大統領府前でデモに参加した40歳代の男性は、「所詮、ムバラクと軍は同じ穴の貉だ。ただ、軍までは敵に回したくない」と小声で語り、軍主導の政権運営への不満を洩らした。 ※ 対イスラエル政策に利用するために「独裁30年」を支援した米国。それに追随したわが国。これからは、そのツケを払わされることになろう。外交力の無いニッポンへの試練は、これから津波のように何度となく押し寄せてくるだろう。 2月12日の、「菜の花忌」に因みて人口に膾炙する“司馬史観”考をば。 『「坂の上の雲」と司馬史観』 [著] 中村政則 岩波書店 価格 ¥ 1,890 2月12日は、作家・司馬遼太郎(1923年〜1996年)の命日「菜の花忌」。 彼のお気に入りの花だったことと、小説『菜の花の沖』に由来するとか。 命日を機に司馬史観について、ちらっと考えてみよう。 人々に“信じられた”司馬の作品世界は、「司馬史観」と形容される。『「坂の上の雲」と司馬史観』は、『坂の上の雲』を題材に、その司馬史観を日本近現代史の専門家が断じた論考。 著者はまず、「司馬を論じた九割以上は司馬礼賛で埋め尽くされているのが現状だ。しかし私は司馬を偶像視する態度は取らない」と表明する。その上で、この作品は日露戦争史に新風を吹き込んだが、発表当時(1968年〜72年)、「日本も捨てたものではない」という安心感を国民に与えた、娯楽性の高い国民文学だと見る。そして、「史実に対する姿勢は首をかしげざるを得ないところがある」と批判する。 中村政則(1935年、東京生まれ) 一橋大学大学院経済学研究科博士課程修了。同大学名誉教授(日本近現代史専攻)。著書に「近現代史をどう見るか」「戦後史」「昭和の記憶を掘り起こす」など。 ※ 国民文学:国民性・民族性がよく表された特有の文学であり、その系譜にあるのが、明治の夏目漱石、昭和の吉川栄治、そして司馬遼太郎が挙げられる。 司馬本人は「司馬史観なんて言うのはやめてくれんかな」と言っていたようだ。資料を触媒として使っても、自由に創造の幅を広げているのだから、「史観」といった大仰な言葉を使ってほしくない、と語っていた。この辺の事情は元担当編集者が書いた『司馬遼太郎という人』に詳しい。ほかにも作家の生の言葉をたくさん収録している。 「自分を面積も質量もない、点のような存在にしないと物が見えてこない … 」。司馬遼太郎氏は繰り返しこう語ったという。そして、大変なユーモリストだったこと、権力風を吹かす人が大嫌いだったことなど、担当編集者として30年、その間に耳にした「日常のひと言」をたよりに、人間・司馬遼太郎に迫る。 渉猟した史実から自由に創作はしても、司馬は現地もよく踏んだ。『挿絵で読む「坂の上の雲」をゆく』は、小説の舞台となった場所を新聞記者が訪ねたルポルタージュ。司馬が描いた「明治の気概と精神」が脈打つ現場をたどっている。 ◇ 『坂の上の雲』 まことに小さな国が、開花期をむかえようとしている。四国は伊予松山に三人の男がいた。このふるい城下町に生まれた秋山真之は、日露戦争がおこるにあたっては勝利は不可能にちかいといわれたバルチック艦隊をほろぼすにいたる作戦をたて、それを実施した。その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し、史上最強の騎兵といわれるコサック師団をやぶるという奇蹟を遂げた。もうひとりは、俳句、短歌といった日本のふるい短詩型に新風を入れて、その中興の祖となった正岡子規である。 かれらは、明治という時代人の体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。 260年続いた幕藩体制を倒して、「明治」近代国家が誕生した。その国は、帝国主義まっただ中の西欧列強という「大人」たちに囲まれた「少年の国」であった。 四国・伊予松山に三人の男がいた。後に明治日本が直面した最大の危機「日露戦争」において、大きな役割を担うことになる秋山好古・秋山真之兄弟と 日本の近代文学を代表する正岡子規である。三人の主人公は松山の人々とその風土の中で育ち、やがて東京へと旅立って行く。 ※ 再考すこころ静かに司馬史観 眉に唾する明治礼讃 ◇ 今日の誕生花・アセビ(ツツジ科) 花言葉は、「二人で旅をしよう」。 馬酔木より低き門なり浄瑠璃時 水原秋櫻子 花房の白きアセビの続く道 きさらぎの空高く晴れたり 鳥海昭子 |

- >
- 生活と文化
- >
- 祝日、記念日、年中行事
- >
- その他祝日、記念日、年中行事




