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平成23年2月24日(木)昨日:煉瓦造りに被害集中、瓦礫の下から「さよなら」。 クライストチャーチの地震被害:市内で倒壊した建物の中からは、何人かの叫び声が聞こえてきた。外の人たちに知らせるため、瓦礫を叩く人たちもいた。ある女性は携帯電話で自分の子どもたちに「さよなら」を伝えた。捜索隊は、素手やクレーンで瓦礫をかき分け、時には犬を使って生存者を捜した。 市内のクライストチャーチ病院には、骨折などした人が多数運ばれた。医師は「救い出すために手足を切断した人や、怪我のために切断手術を受けた人もいた。何人かは悲しそうに死んでいった」と話した。 1991年2月24日、「砂漠の剣作戦」が発動されました。 ◇ 湾岸戦争(Gulf War) 1990年8月2日、イラクがクウェートに侵攻したのを機に、国際連合が多国籍軍の派遣を決定、1991年1月17日にイラクを空爆した事に始まる戦争。 イラク軍は隣国クウェートへの侵攻を開始し、8月8日にはクウェート併合を発表。これに対し、諸外国は第二次世界大戦後初となる、一致結束した事態解決へと動く。 国際連合安全保障理事会はイラクへの即時撤退を求めるとともに、対イラク経済制裁措置を発表。その6ヶ月後、ジョージ・H・W・ブッシュ米国大統領は、アメリカ軍部隊をサウジアラビアへ展開し、同地域への自国軍派遣を他国へも呼びかける。諸国政府はこれに応じ、多国籍軍が構成される。国際連合により認可された、34ヶ国の諸国連合からなるアメリカ合衆国、イギリスをはじめとする多国籍軍は、バース党政権下のイラク攻撃への態勢を整える。 1991年1月17日、イラクへの攻撃を開始(空爆・砂漠の嵐作戦) イラク大統領サッダーム・フセインは開戦に際し、この戦いを「すべての戦争の母」と称して、多国籍軍へ逡巡の思いを引き起こそうと意図する。空爆は、クウェート占領を続けるイラク軍を対象として始まるが、最初の攻撃はサウジアラビアから航空機およびミサイルによってイラク領内を直接叩くもので、クウェート側に軍を集中させていたイラク軍は出鼻をくじかれ、急遽イラク領内の防衛を固めることとなる。巡航ミサイルが活躍し、アメリカ海軍は、288基のUGM/RGM-109「トマホーク」巡航ミサイルを使用、アメリカ空軍はB-52から35基のAGM-86C CALCMを発射。CNNは空襲の様子を実況生中継し世界に報道。 1月27日には、アメリカ中央軍司令官であったアメリカ陸軍のノーマン・シュワルツコフ大将は「絶対航空優勢」を宣言し、戦争が多国籍軍側に絶対有利に進んでいることを強調。 多国籍軍の圧倒的有利な状況を受けて、イラク軍は航空兵力の損失を恐れ空中戦を積極的に行わないばかりか、自国軍機をイランなどの周辺国に強制的に退避させたほか、イラク航空の旅客機についても同じように周辺国に退避させた。 1991年2月24日、「砂漠の剣作戦」が発動される 1ヶ月以上にわたって行われた恒常的空爆により、イラク南部の軍事施設はほとんど破壊され、2月24日に空爆停止。同日、多国籍軍は地上戦に突入する。(「砂漠の剣」作戦) 主要のイラク軍は空爆によって壊滅状態であり、装備も貧弱で士気は低かった。一部では油田に火を放って視界を妨害しようとしたが、多国籍軍は熱線映像式暗視装置を持っていたため、逆に多国籍軍側に有利な状況となった。また食料も尽きたためか続々と投降者が出た。 イラクは翌2月25日、スカッドミサイルでサウジアラビアを攻撃、ダーラン近郊の第14補給分遣隊兵舎に命中、28人が死亡、100人以上が負傷した。しかし、抵抗はここまでであった。地上戦開始から100時間後には、イラク軍は大量の捕虜を出しながら撤退を開始した。2月27日、クウェート市を解放。多国籍軍は敗走するイラク軍を猛烈に追撃した。同日中にブッシュ大統領は停戦を発表し、フセイン大統領は敗戦を認めた。 3月3日、暫定停戦協定が結ばれた。 戦費約600億ドルの内、約400億ドルをサウジアラビアが負担。 ◇ 今日の誕生花・オウレン(キンポウゲ科) 花言葉は、「変身」。 物置けばすぐ影添ひて冴え返る 大野林火 これからという思いありオウレンの 花咲く朝の力湧きくる 鳥海昭子 カフカ 『 変 身 』 ※ わたしとは、誰なのか? 自明の事柄が自明ではなくなった時にこそ … 即自的存在 → 対自的存在 → 即自的存在 (帰り来たれば別事なし) ◇ 日本グリーフケア協会 http://www.grief-care.org/ グリーフケア(悲嘆回復):「グリーフ」は“悲嘆”という意味で、近しい人を亡くした人がその悲嘆を乗り越えようとする心の努力。死別に伴う苦痛や環境変化などを受け入れようとすることをグリーフワークと言います。 悲嘆者の心の過程:否認 → 怒り → 取り引き → 抑鬱 → 受容。 そして、これを支援するのが『グリーフケア』です。 死別によって悲しみにひとり暮れ、孤独や時に絶望を伴うなど、辛く苦しく、場合により自責、罪障感や、恐怖にも似た不安に襲われます。 しかし、このような「グリーフ」は決して「変ではない」のです。死別をきっかけに、一挙に様々な感情にとらわれるために起こるもので、グリーフ状態はいつか必ず癒され、いつの日にか終結へと向かいます。 ※ 「優しさ」とは、人の憂いに寄り添うこと。悲嘆の同伴者。 マザー・テレサは言いました。「愛」の反対語は「無関心」であると。 いじめの被害者が最も強く怨みに感じる対象とは、みて見ぬふりをする人。 時は急ぎ足で過ぎ去り、私達は流されてゆく。でも、流されてはならぬ事も … |

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