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平成23年2月25日(金)昨日:リビア、老耄・カダフィの下に死屍累々の悲劇。 最高指導者・カダフィの長期独裁に抗議する反体制運動が激化した北アフリカ、リビアでは23日、反体制派が同国東部をほぼ掌握した。 第2の都市、北東部ベンガジの反体制派が明らかにした。首都トリポリとカダフィの出身地シルテ以外では既に政府の支配が及ばなくなったとの見方もあり、カダフィは完全に孤立した模様。 ベンガジでは、23日までに政府軍や治安部隊が完全に姿を消し、住民が空に向けて祝砲を放つなど、独裁体制からの「解放」を祝うお祭り騒ぎが始まった。衛星テレビ「アル・ジャジーラ」によると、ベイダやトブルクなど、アジュダービヤ以東の東部主要都市は反体制派が制圧したという。 ※ カダフィには最早、ノーマルな判断力は無いとも伝えられ、かつての「砂漠の狂犬」が野良犬のごとく惨殺されるラストシーンすら想定される土壇場に追い詰められている。彼の親衛隊と僅かな傭兵とが離反したその時、何が起るのであろうか。 2月25日は、 斎藤茂吉の命日です。(赤光忌、1953年) みちのくの母のいのちをひと目見んひと目見んとぞただにいそげる 死に近き母に添寢のしんしんと遠田のかわず天に聞こゆる 我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生まし乳足らひし母よ のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり 最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片 1913年、第一歌集『赤光』(しゃっこう)を発表、大きな反響を呼ぶ。 1921年、第二歌集『あらたま』を出版。 1926年、島木赤彦死去にともない「アララギ」の編集発行人になる。 1927年、再建された帝国脳病院の院長に就任。 1934年、『柿本人麻呂(総論篇)』 1940年、『柿本人麻呂(雑纂篇)』 1945年3月、東京大空襲の翌月、郷里の金瓶に疎開、終戦を迎える。 1946年、芭蕉の足跡が残る最上川畔の大石田町へと移り、 1947年11月に東京に戻るまでの日々を過ごす。 蔵王や最上川の自然に育まれた古里の風土と人々の真心につつまれ、 歌集『小園』『白き山』(1949年)に結晶する数多くの秀歌を詠む。 1953年2月25日、新宿大京町の自宅で心臓喘息に見舞われて死去。 70歳と9ヶ月の生涯だった。 (戒名:赤光院仁譽遊阿暁寂清居士) 分骨埋葬された茂吉の墓は、郷里上山の金瓶宝泉寺(同年5月埋葬)と 東京青山の墓地(同6月)にあり。 〒999-3131 山形県上山市北町字弁天1421 電話:023-672-7227 斎藤茂吉記念館は、茂吉の生家の近く、東に蔵王連峰を仰ぐ景勝地 「みゆき公園」の中に、1968年(昭43年)に開館しました。 ◇ 今日の誕生花・カンヒザクラ(バラ科) 花言葉は、「あでやか」。 鶯(うぐいず)や障子あくれば東山 夏目漱石 さみしさのようやくうすれゆく頃を カンヒザクラはあでやかにさく 鳥海昭子 ※ 沖縄にはカンヒザクラが自生し、「サクラ」と云えばカンヒザクラをさす。 |

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