|
平成23年4月2日(土)昨日:南相馬市長、「You Tube」で訴える。 福島第一原発による災害で避難指示が出ている福島県南相馬市の桜井勝延市長は、動画投稿サイト「You Tube」に映像を掲載し、「現状、物資の搬入に窮しており、支援をお願いしたい」と呼びかけている。3月24日に撮影したといい、現在は当時に比べると状況が改善しているとされるが、窮状を訴え続けている。 映像で桜井市長は「政府、東京電力の情報が不足している」と批判。「コンビニ、スーパーの生活物資を買う店がすべて閉まっている。金融機関も閉じている。市民は兵糧攻め的な状況におかれている」と述べた。 退避した人口は約5万人だとし「避難した市民に対し、連絡をとることさえ窮している。多くの自治体関係者、ボランティアに、支援をお願いしている」と訴えた。 同市は、「避難指示」の半径20キロ圏内、「屋内退避指示」の半径20〜30キロ圏、指示のない30キロ以上の地域があり、約2万人が残っているという。 南相馬市長・桜井勝延市長が窮状を訴える。 4月2日は、アンデルセンの誕生日です。 ◇ ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805年〜1875年) デンマークの代表的な童話作家・詩人。フュン島のオーデンセで生まれる。彼の家は貧しく、ひと部屋で全員が眠った。アンデルセンは両親の愛に育まれ、若い頃から想像力を大いに発揮した。1816年に靴職人の父親が亡くなると、自分の進路を決めなければならなくなり、学校を中退する。彼はオペラ歌手になろうとし、1819年コペンハーゲンに行ったが失敗し挫折する。その後も挫折を繰り返し、デンマーク王立バレエ団のバレエ学校にも在籍していた。その後、デンマーク王や政治家のコリンの助力で教育を受けさせてもらえる事になり、大学にまで行くことが出来た。 1829年に、『ホルメン運河からアマゲル島東端までの徒歩旅行』を自費出版し、ドイツ語版も出るほどの好評を得た。その後、ヨーロッパを旅行し、1834年10月にはローマに行っている。デンマークに戻ってきた1835年に、最初の小説『即興詩人』を出版する。この作品は、発表当時かなりの反響を呼び、ヨーロッパ各国で翻訳出版されてアンデルセンの出世作となったが、現在では森鴎外訳を得た日本以外で顧みられることは殆どない。 同年に『童話集』を発表する。 その後も多くの童話を発表しつづけた。アンデルセンの童話作品は、グリム兄弟の様な民俗説話からの影響は少なく、創作童話が多い。初期の作品では主人公が死ぬ結末を迎える物も少なくなく、若き日のアンデルセンが死ぬ以外に幸せになる術を持たない貧困層への嘆きと、それに対して無関心を装い続ける社会への嘆きを童話を通して訴え続けていたと思われる。 この傾向は晩年になってようやく影を潜め、死以外にも幸せになる事を作中に表現していくようになっていく。また極度の心配性であったらしく、外出時は非常時に建物の窓からすぐに逃げ出せるように必ずロープを持ち歩いた。また、眠っている間に死んだと勘違いされて、埋葬されてしまった男の噂を聞いて以来、眠るときは枕元に「死んでません」という書置きを置いていた。 アンデルセンが70歳で亡くなった時、フレゼリク王太子や各国の大使、子供から年配者、浮浪者に至るまで葬式に立会い、大混乱になったとか。世界中で愛読されていたにもかかわらず、自身は常に失恋の連続だった。若い頃から孤独な人生を送ったため、人付き合いが下手だったことも禍したのか。 ◇ アンデルセン原作『口語訳即興詩人』森 鷗外文語訳 安野光雅口語訳 山川出版社(2010.11発行)\1,995 文学史上最後の文語文とも言われている森鴎外の美文調文語体「即興詩人」。それに、画家であり作家でもある安野光雅が5年の歳月をかけて、口語訳として現代によみがえらせた。19世紀の心昂る恋と青春の物語。 書評によっては、鴎外訳を超えたとも評価されるほどの作品に仕上がっているようだ。 池内紀(おさむ)・評:『口語訳即興詩人』&森鴎外全集10『即興詩人』 深い敬愛が生んだ「文章の離れワザ」 目を丸くするような偉業である。原作アンデルセン、文語訳・森鴎外、そして新しく口語訳・安野光雅が加わった。語学や文学をこえて、深い敬愛がこの本を生み出した。 アンデルセンの長篇『即興詩人』が世に出たのは1834年である。明治25年(1892年)、当時三十歳の鴎外が翻訳を始めた。元はデンマーク語だが、その独訳がレクラム文庫に入っており、それを使った。 同じ19世紀の小説であれば、若い鴎外は「現代小説」として読んだと思われる。おのずと当時の日本の書き言葉の現代語であった文語で訳した。あふれるほどの文才のあった鴎外が九年もかかったのは、軍職の身であれば日清、日露の戦争にかり出されたせいであるが、もう一つ理由があった。五十二歳のときの一文で打ち明けている。「国語と漢文とを調和し、雅言と俚辞(俗語)とを融合せむと欲せし、放胆にして無謀なる」試みがあった。 明治・大正・昭和を通じて鴎外訳『即興詩人』が、いかに日本人を魅了したか。泉鏡花、新村出、吉井勇、北原白秋、正宗白鳥、小泉信三 … 、くり返し読んで随所を諳んじていたことを伝えている。 私はたまたまドイツ語ができて、レクラム文庫の独訳を知っているが、何てこともない古風なドイツ語である。それが「日本文学」の古典になったのは、一にかかって鴎外のつくり出した日本語の力だった。 「カムパニアの野を囲める山に隔てられて、夢にだに見えざりける津々浦々は、次第に浮び出で、歴史はそのところ??に人を住はせ、そのところ??にて珍らしき昔物語を歌ひ聞せたり」 声に出して読むと、鴎外の苦心がどこにあったかよくわかる。目で読む以上に耳で聴くことに重点が置かれている。実際、「そらんじる」まで読みふけった人々は、音として耳の奥にとどめたにちがいない。 画家・安野光雅は1926年の生まれ。幼いころ文語体の詩歌や文章に親しんだ、ほぼ最後の世代にあたる。 「『即興詩人』を難しいなどと言わないでほしいと思います。/これは、だれもがこころを焦がした、恋の記憶なのです」。 その上であらためて力説した。 「どうかこの機会に鴎外訳の『即興詩人』を読んでください」。600ページの口語訳を仕上げたのちに、他人訳をすすめる本は二つとない。 事実、その言に偽りはないのである。ためしに安野訳を読みながら鴎外訳をひもとくと、難解とみえた文語訳がおもしろいほどよくわかる。まるで言葉の「透かし絵」が入ったぐあいなのだ。口語にするにあたり、みずからは無私に徹した。そこから鴎外訳とのあいだに不思議な関係が成立した。主人公とひとしい位置に立ったぐあいで、「わたしの目の中にも、こころの底にも、ただアヌンツィアタがあるだけとなった」と述べるとき、つねにそこには「わが目の中にも、わが心の底にも、たゞアヌンチヤタあるのみなりき」の文語訳のリズムと躍動が二重写しになっている。ホンヤクなどと縁のない人が、ひたすら敬愛の深さから実現した文章の離れワザというものだ。そして言うまでもないことながら、愛ほど人を遠くに運んでいくものはこの世にはないのである。 <サンデー毎日 2011年3月6日号より> ◇ 八百長相撲、23力士・親方を事実上の追放処分(2011年4月2日03時) 日本相撲協会は1日、臨時理事会を開き、八百長問題を解明していた特別調査委員会(伊藤滋座長=早大特命教授)が八百長に関与したと認定した幕内、十両力士ら計23人に対して、事実上の角界追放となる「引退勧告」「退職勧告」「2年間の出場停止」の厳罰を通告した。 弟子が関与した師匠17人も処分を受け、総勢40人の大量処分となった。また、北の湖(元横綱)、九重(元横綱千代の富士)、陸奥(元大関霧島)の3親方は理事辞職に追い込まれた。関係者によると、処分保留で調査が継続される力士が約10人残されているといい、5月8日初日の夏場所は開催中止が決定的となった。 この処分について、放駒理事長(元大関魁傑)は記者会見で「仲間の中から、これだけの人数を処分しなければいけない。非常に重たい処分だ」と述べた。 今回、引退を勧告されたのは徳瀬川ら幕内力士6人と、携帯電話で八百長を疑われているメールをやり取りしながら関与を否定している清瀬海ら十両8人など計19人。関与を認めた千代白鵬と恵那司は2年間の出場停止。すでに退職の意思を示している竹縄親方(元幕内春日錦)への処分は、関与も認めているため、退職勧告よりも軽い2年間の出場停止を当てはめたと調査委は説明した。 ◇ 今日の誕生花・エイザンスミレ(スミレ科) 花言葉は、「茶目っ気」。 すみれ踏みしなやかに行く牛の足 秋元不死男 雨か雪また降るという庭先の 叡山菫はやばや咲きぬ 鳥海昭子 『比叡おろし』 安田祥子 作詞・作曲:松岡正剛 ※ 松岡が21歳の時、想いを寄せる女の子を舞台鑑賞に誘った。だが、演目の選択が甚だしく婦女子の嗜好にそぐわなかった。相手の女の子は怒って中座してしまう。その後、雪のように冷えた心を抱きながら、彼はひと晩で『比叡おろし』を書き上げたと云う。 古来、多くの名作は悲劇によってアシストされているものだ。松岡の失恋も、以って瞑すべしか? |

- >
- 生活と文化
- >
- 祝日、記念日、年中行事
- >
- その他祝日、記念日、年中行事



