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平成23年4月7日(木)昨日:茨城の漁協、値崩れで漁自粛「先は真っ暗闇」。 茨城県沖でとれたコウナゴから暫定規制値(1キロ・グラム当たり500ベクレル)を超える放射性セシウムが検出されたことを受け、同県内の各漁協は6日朝、コウナゴ漁を一斉に自粛した。 他の魚種についても魚価が値崩れし、出漁しても収益が見込めないとして、ほとんどの船が操業を見合わせた。平潟漁協(北茨城市)では4隻が出漁したが、魚の受取先がないとして漁をあきらめ港に戻った。 同県漁政課によると、茨城県の2008年の海面漁業生産量は全国5位の19万1010トン。沿岸漁業はアジ、サバなどの回遊性魚類を対象にした船引き網漁業が主流で、この季節はコウナゴが漁期。大型連休前にはタイやイナダの刺し網漁も漁期を迎える。 茨城沿海地区漁業協同組合連合会の今橋一也専務理事(48)は「魚価は3分の1まで落ち込み、受け入れ拒否されている漁協もあり、お先真っ暗闇だ。国や東電に補償を求めていきたい」と憤る。 一方、千葉県は、最も北に位置する銚子漁港で水揚げされる水産物の監視を強化する方針だ。同県内の各漁協は、犬吠埼以北の海域での操業は控えており、同県ではこれまで、水産物から規制値を超す放射性物質は検出されていない。同県は、放射性セシウムに加え、放射性ヨウ素についても暫定規制値が定められたことを受け、検査項目に追加した。 ◇ 異郷の地で荼毘にふす 東京都営瑞江葬儀所が宮城の犠牲者受け入れ 東京都江戸川区の都営瑞江葬儀所で3月29日から4月7日まで、東日本大震災による宮城県の被災地から犠牲者の遺体を受け入れて火葬が行われた。10日間で130体を火葬した。地元寺院が輪番で読経し、延べ500人の宗教者が祈りを捧げた。都民の弔問も絶え間なく、2000を超える花束が門前の献花台に捧げられた。 4月7日は、並木路子の命日です。 ◇ 並木路子(1921年9月30日 - 2001年4月7日) 本名は南郷庸子(旧姓:小林)。東京浅草出身、台湾育ち。戦後の混乱期に歌った「リンゴの唄」が爆発的なヒットとなり、「リンゴの唄」は歌謡史のみならず日本の歴史を彩る歌となった。 昭和20年(1945年)9月、松竹歌劇団出身の並木さんは、松竹映画『そよ風』のヒロインに抜擢され、その主題歌「リンゴの唄」を歌い爆発的な大ヒットとなる。戦後歌謡曲第1号として日本歌謡史上に金字塔をうち建てた。 敗戦直後の10月に公開された『そよ風』は、打ちひしがれた多くの人々にとっての希望の光となったが、並木自身も空襲で母を亡くしていた。辛い思いを抱える並木に、こんな明るい唄を歌わせるのは酷ではないかとの危惧もあったが、いざ吹込みとなると並木は大いに元気に笑顔で歌ってくれたと云う。 その歌声は、廃墟と化した瓦礫の中で生きる希望も失っていた人々の心に、勇気を与えるものだった。無論、当時の人々にリンゴなど食べれる筈もなかった。闇市で、闇米で辛くも露命をつなぐ日々であったからこそ、破天荒な明るさに生きる力を揺り動かされたのだった。 ◇ 東日本大震災に際して (松竹株式会社) 3月11日に発生した東日本大震災によって、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたしますと共に、被災者のみなさまに心よりお見舞い申し上げます。 今回の巨大地震により、日本は計り知れないほどの被害を蒙りました。今なお多くの方々が過酷な避難所生活を強いられており、正に日本は国難ともいうべき、危機に直面しています。 このような事態に際して、多くの企業がその業態や企業特性を活かす形で続々と社会協力に取り組み始めておりますが、我々松竹グループも被災地の方々に向けて、そして日本の社会に向けて、一体何ができるのか自問して参りました。 松竹は1895年(明治28年)の創業以来、長年にわたり、演劇と映画を中心とした健全な娯楽の提供に努めて参りましたが、この間、日本は、関東大震災と太平洋戦争という2度の国家的危機に直面いたしました。大正12年の関東大震災において、松竹は建替え途上であった歌舞伎座が罹災しましたが、翌年には直ちに再建に着手し、同14年正月に歌舞伎公演を再開して、震災復興のシンボルとなりました。また、昭和20年10月、終戦直後の荒廃の中で松竹が公開した映画「そよかぜ」は、並木路子の歌う主題歌「リンゴの唄」とともに、戦後の打ちひしがれた多くの人々にとっての希望の光となりました。 私たち松竹グループがこの国難に際してできること、それはやはり、良質な演劇や映画を提供することによって、傷つき、疲弊した人々の心を慰め、困難に立ち向かっていくための勇気や元気を取り戻していただくよう努めることだと考えます。 それは 「困難な立場の人々への応援歌であれ」 という松竹の演劇、映画の伝統でもあります。今後とも私たちは、劇場の耐震性や安全性に最大限の注意を払い、お客様と従業員の安全を第一に、そして節電という社会的要請にも精一杯協力し、なお、グループの社内外へ向けた義援金活動にも取り組みながら、演劇、映画を中心とするコンテンツを皆さまにご提供して参る所存です。 松竹株式会社 並木路子 『 リンゴの唄 』 ◇ 両陛下、避難所を歴訪へ 復興状況視察の意向も(4月7日3時) 宮内庁は6日までに、天皇、皇后両陛下が8日にも埼玉県加須(かぞ)市の避難所を訪れ、東日本大震災で集団避難している福島県双葉町の被災者らを見舞う方向で準備に入った。また、それに続き、来週にも別の避難所を慰問する方向で調整を進めている。 両陛下は、現地の受け入れ態勢が整い次第、可能な限り早く東北の被災地の現場や避難所を順次訪問することを強く希望しているという。その後も、長期的に被災地の復興状況を視察していきたい意向を示しているという。 福島第一原発がある双葉町は3月19日に町役場の機能をさいたま市に移し、同31日には加須市の旧騎西高校跡に再移転。町民約7千人のうち約1200人が共同生活している。両陛下は同30日に東京都が被災者を受け入れている東京都足立区の東京武道館を訪れたが、都外の大規模な避難所を訪れるのは加須市が初めてとなる。 ※ 御高齢の両陛下におかれては、大変に苛酷な御公務と思われる。 だが、避難先での高齢者の不幸な死が続く中、両陛下の御訪問が大きな力づけになることは間違いない。まさに国民と痛みを分かち合い、日本国民統合の象徴を体する尊い御公務になられるだろう。 ◇ 裁判員裁判再開のメド立たず 東北、呼び出し困難(4月7日03時) 東日本大震災で大きな被害を受けた東北地方では、裁判員裁判の再開のめどが立っていない。 行方不明者や避難している住民が多く、裁判員候補者を呼び出すのが困難な状況にあるためだ。裁判所では、特に被害の大きい地域を、呼び出し状の送付対象から除くことや、事件を他の地裁に移送するなどの対応策を検討している。 仙台、福島、盛岡の各地裁によると、裁判員裁判が延期されたのは、仙台地裁で3月中の3件、福島地裁は4月末までの5件。盛岡地裁は震災後、4月まで予定はなかった。 仙台地裁では地震が起きた3月11日、殺人罪に問われた男の第5回公判があった。休廷中に地震が起き、6人の裁判員は屋外に避難。裁判は延期され、改めて裁判員を選び直すことになった。福島地裁郡山支部でも同日、強盗傷害事件の判決が予定されていた。裁判員と補充裁判員計8人は解任されておらず、同支部は「選び直す可能性は低い」という。ただ、同支部では、法廷がある建物の天井が落ちるなどしており、施設自体の使用を再開できる見通しが立っていない。 ◇ 電源喪失、認識の甘さ陳謝 保安院・安全委トップら(4月7日0時) 東京電力福島第一原子力発電所で深刻なトラブルを招いた、非常用を含めた電源喪失事故。経済産業省原子力安全・保安院や原子力安全委員会のトップらが、6日の衆院経済産業委員会で、電源喪失を「想定外」としていた過去の認識について陳謝した。 この日、これまでに原発問題を国会で追及してきた吉井英勝衆院議員(共産)が質問。原子力安全・保安院の寺坂信昭院長は昨年5月の同委で、電源喪失は「あり得ないだろうというぐらいまでの安全設計はしている」と発言していたが、この日は「当時の認識について甘さがあったことは深く反省をしている」と述べた。 これまでの法廷証言などで電源喪失の可能性を否定してきた班目春樹・原子力安全委員長は「事故を深く反省し、二度とこのようなことが起こらないようにしたい」と答えた。 また、過去に同様の見解を示してきた前原子力安全委員長(現・日本原子力研究開発機構理事長)の鈴木篤之氏も「国民の皆様に大変申し訳ないと思っている。痛恨の極み」。電源喪失の事態に備えてこなかったことは「正しくなかった」とした。 ◇ 今日の誕生花・オドリコソウ(シソ科) 花言葉は、「快活」「陽気」。 一の矢は踊子草の辺に落ちぬ 梶山千鶴子 あをあをと空を残して蝶別れ 大野林火 踊り子草たわたわとして咲きいたり 手のとどかない石垣のうえ 鳥海昭子 ※ 踊子草の名の由来は、網笠をかぶった踊り子が背中合わせに ぐるりと並んでいる様子に似ていることから。花笠踊りのイメージか。 |

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