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平成23年6月16日(木)昨日:ニュートリノ第3の変化、宇宙誕生の謎に迫る? 高エネルギー加速器研究機構などのグループは15日、素粒子ニュートリノの種類が変わる三つのパターンの「ニュートリノ振動」のうち、唯一観測されていないパターンが起きた可能性を示す現象を世界で初めて捉えたと発表した。 宇宙誕生の謎に迫る「CP対称性の破れ」という現象を確認する有力な手がかりになりそうだ。 ニュートリノには「電子型」「ミュー型」「タウ型」の3種類がある。電子型とタウ型、ミュー型とタウ型が相互に変化する現象は確認されているが、電子型とミュー型の間の変化は極めて起こりにくく観測されていなかった。 グループは、茨城県東海村の大強度陽子加速器施設(J―PARC)で作ったミュー型ニュートリノを、295キロ離れた東京大宇宙線研究所の観測施設「スーパーカミオカンデ」(岐阜県飛騨市)に照射。観測データを解析したところ、ミュー型が飛行中に電子型に変化したとみられる六つの現象が見つかった。 「CP対称性の破れ」については、ノーベル物理学賞を受けた小林誠・同機構特別栄誉教授と益川敏英・京都大名誉教授が、クォークという別の素粒子で理論的に説明したが、ニュートリノにも「破れ」があると考えられている。 ※ 「破れ」が物質誕生の根拠であると言うこと。 宇宙とは、「完璧なバランス」と思われがちだが、宇宙が呱々の声をあげた時、そこには確固たる秩序は無かった。無軌道な虚無が秩序を求めたときに、物質はかそけくも生まれた。多くは光とともに消滅するも、淡雪のごとき物質がかろうじて存続を許された。時間も空間も無い真空から、その真空の“ゆらぎ”から物質は生まれ、無限の遍歴をへて“いのち”は偶発的に生じた。この宇宙に、“いのち”が生きているという事象ほどの奇跡は、他にない。 ◇ 『Google』のロゴが皆既月食になりました 6月16日の朝に皆既月食 2011年6月16日の朝に皆既月食が発生するということで、インターネット検索サイト『Google』のタイトルロゴも皆既月食をモチーフとしたデザインに変更されました。クリックすると皆既月食をアニメーションで表現してくれます。 日本では16日の2時23分頃から半影月食がはじまり、部分月食は3時22分ごろ、そして5時12分頃に最大レベルの月食となります。そこからジワジワと時間をかけて月が復活していき、8時頃に半影月食となり天体ショーが終了します。 6月16日は、荻原井泉水の誕生日です。 ◇ 荻原井泉水(1884年〜1976年)本名・幾[いく]太郎のち「藤吉」の名を継ぐ 東京芝区神明町(現・東京都港区浜松町)で雑貨商・「新田屋」の次男として生まれる。 麻布中学の頃より俳句を始める。正則中学、第一高等学校(一高)を経て、1908年(明治41年)東京帝国大学文学部言語学科卒業。 1911年(明治44年)新傾向俳句機関誌『層雲』を主宰。河東碧梧桐もこれに加わる。この年、谷桂子と結婚。 1914年(大正3年)、自由律俳句として『層雲』より創刊した初の句集『自然の扉』を刊行。1915年(大正4年)季語無用を主張する。自然のリズムを尊重した無季自由律俳句を提唱した井泉水と意見を異にした碧梧桐が『層雲』を去る。この頃、一高時代の同窓であり一歳年下の尾崎放哉や、種田山頭火が『層雲』に加わる。しかし彼らが実際に対面したことはなかった。 1923年(大正12年)に妻・桂子死去。翌年、母も死去。一時は仏道を志して京都の禅寺・東福寺の塔頭に寄寓する。以降、各地への遍歴の旅が多くなる。その心境の変化は句集の題名にも反映される。 1929年(昭和4年)芹沢寿子と再婚、これを機に鎌倉に転居する。翌1930年(昭和5年)、長男の海一誕生。同年、長野県佐久地方を訪れ佐久ホテルに逗留し作品を残す、同ホテルに歌碑あり。1965年(昭和40年)、日本芸術院会員となる。1976年(昭和51年)5月20日死去、享年91。門弟の放哉や山頭火と違い、延命地蔵のお告げ通り天寿を全うした。 俳号は当初、荻原幾太郎のイニシャルから愛桜(IO)としていたが、自身の生年の納音から井泉水と改めた。因みに、山頭火も井泉水に倣い俳号を納音から付けたが、これは単に音の響きで決めたようだ。 空を歩む朗々と月ひとり 井泉水 力一ぱいに泣く児と啼く鶏との朝 井泉水 咳をしても一人 放哉 こんな良い月ひとりで寝て見る 放哉 まつすぐな道でさみしい 山頭火 分け入つても分け入つても青い山 山頭火 ◇ 『層雲』の自由律俳句とは 自由律俳句は 一つの段落を持ち、一息で言える程度の長さの詩をコンセプトとして、旧来の俳句のような約束事形式(5・7・5)や季語などは一切ありません。かたちにとらわれず、自分の言葉で自由に表現する俳句です。文語でも口語でも構いません。一作一律(リズム)の感性を大切にします。 自由律俳句は、明治末年、荻原井泉水が従来の有季定型俳句に飽きたらず、俳句革新をめざし提唱したものです。正確には、新傾向俳句を母体として明治44年4月、河東碧梧桐と共に『層雲』を創刊し、その敷衍に努めたのですが、井泉水の「俳句は印象の詩である」の信念と、新傾向俳句志向の碧梧桐は意合わず袂を分かちました。当時は、自由俳句、新しき俳句、不定形俳句などと呼ばれて、自由律俳句とはっきり名称が出来たのは、大正12、3年頃とされていますが、どうも、昭和6年2月号の層雲誌上に井手逸郎の記したものが初めであったようです。 自由律俳句は、一般に求道的なものと誤解され、短律の放哉句や、旅と酒を愛した山頭火句を自由律俳句の傾向とみなされておりますが、本来は、『層雲』創刊号にヘルマン・バールやゲーテの詩を掲げているように、芳醇なロマンを希求するものでした。井泉水は「俳句の中に詩を求めるのではなく、詩の中に俳句を求めよ」と、あくまで俳句の心はポエジーにあると主唱しました。 そう言った意味では『層雲』の歴史は、日本的ポエジー(情趣)と西洋的ポエジーの相克であったような気がします。栗林一石路、橋本夢道のブロレタリヤ俳句。戦後まもなくの若手作家造反による 河童 。一行詩を標榜して昭和42年 颱、 昭和43年 視界 など。現代詩壇の重鎮であった村野四郎なども文学の出発は『層雲』からでありました。初期には、作家・久米正雄、滝井孝作も作品を寄せられ、日本画家の池田遥邨も在籍していました。 ◇ 有季定型俳句の大御所・高浜虚子は“自由律俳句”を排斥 井泉水らの俳句観について、有季・定型俳句の大御所である高浜虚子は、「何故に、俳句という名称に恋々としているのか」と糾弾する。それに対して井泉水は、「俳句だからこそこれを俳句という」と、禅問答のような応酬をする。 虚子は、“自由律”は好きにやれば良し、但し、俳句と名乗るべからずと言う思いなのだ。「印象の詩」であるならば大いに結構で、俳人ではなく詩人と名乗るべきという考えなのだ。 ※ 伝統的俳句陣営の自由律俳句に対する敵愾心は、なかなか根深いものがあるようです。彼らは決してそれを俳句とは認めません。認めてはならない“きまり”があるみたいな … 。 虚子は、虚子の考えで好しとするも、子規に連なる者たちは、些かも虚子に束縛されるものではないはず。古今集と芭蕉を否定して、新しい短詩形を創作した子規の精神は、寧ろ、自由律俳句にこそ色濃く遺されているのかも知れません。その昔、子規の短歌と俳句も伝統的文芸からは手ひどく指弾された経緯もあるのですから … 。万葉人のおおらかで、けれん味のないこころこそ、人間の本質に根ざした文芸の源泉ではないでしょうか。 ( 川柳に、もっと光を! ) ◇ 東電補償金は「収入」とみなす、生活保護打ち切り 東京電力福島第一原子力発電所の事故で、生活保護を受給していた福島県南相馬市といわき市の約150世帯が、同社から受け取った仮払い補償金を「収入」とみなされ、生活保護を打ち切られたことがわかった。 厚生労働省の指針に基づいて両市が判断。補償金を受け取ることができる生活保護受給世帯は同県内で約620世帯あるとみられ、補償金の申請は現在も受け付けていることから、今後も同様のケースが出る可能性がある。関係者からは制度の改善が必要との指摘も聞かれる。 ※ 補償金を「収入」とするならば、罹災による損害を「損金」とするべきで、損益のバランスを考えるべきだろう。かつて、「国民の生活がいちばん」と標榜した政権なんだから、柔軟な運用があって然るべきだろう。 ◇ 被曝現場作業員の喫煙受け、1号機のカバー設置工事を1日中止 福島第一原発で協力会社の50代の男性社員が全面マスクを外して喫煙していた問題で、東京電力は16日、この社員が携わっていた1号機の原子炉建屋を覆うカバーを設置する工事を1日中止すると発表した。作業する数十人に注意事項の周知徹底をするためという。 ※ 累積線量という「障壁」がある。現場の経験豊富な作業員は次第に使えなくなる。勢い経験もない被曝にも無知な作業員が、危険な現場に足を踏み入れている。殆ど、それらしき説明もないままに … 。原発は実に、社会の裏構造を明快に説明してくれるシステムで動いているようだ。 ◇ 今日の誕生花・ウツボグサ(シソ科) 花言葉は、「協調性」。 憂き我をさびしがらせよ閑古鳥 芭蕉 高野みち歩くもえにしうつぼ草 神尾久美子 ウツボグサの花をつまみて吸いたりき 幼き日々の淡い甘さよ 鳥海昭子 ◇ 6月16日は、奥崎謙三の命日です。(2005年) ドキュメント『ゆきゆきて、神軍』 予告編 ※ 良くも悪くも、昭和の戦争を体現した人物だった。 この人のパチンコ事件から、新年の一般参賀がガラス張りに。 |

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