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平成23年6月26日(日)本日:避難先の千葉からアザラシ、親子でお帰り。
東日本大震災で千葉県の水族館へ避難していた、海洋科学館「アクアマリンふくしま」(福島県いわき市小名浜)のゴマフアザラシ「くらら」(雌、6歳)が26日、復旧作業中の同館に帰ってきた。避難先で生まれた子ども(雄)も一緒で、再オープンする7月15日から公開されます。
津波による停電のため、同館では約750種類、20万匹の魚介類が死んだ。妊娠していたくららは3月16日に千葉県の鴨川シーワールドへ避難し、4月7日に出産した。子どもは体重27.5キロで、母親の3分の1ほど。すでに泳ぎも教わり、自力でシシャモなどの餌を食べられるようになったことから、もともと母親が暮らしていた水槽に1匹で入った。初めての環境に戸惑ったのか、うろうろと動き回り、岩へ登ろうとして誤って水に転落してしまう場面も … 。 1994年6月26日、マイクロソフトがMS-DOSの販売中止を発表しました。
◇ 「時代」を巧みに掴んだ男・ビル マーケティングの雄
1982年8月26日、世に登場して間もない8ビットのマイクロプロセッサを搭載したコンピュータ「アルテア (Altair)」上で動く、BASICインタプリタの開発・販売でビル・ゲイツは成功を収める。当初はネイティブ環境(カセットテープベースでOSはなく、ROM-BASICに近いもの)だったが、CP/Mが標準プラットフォームとなると、CP/MベースのMBASICを新たに発表する。グラフィックス機能をつけたGBASIC、16ビット用のGWBASICが登場する。
次にIBM PC上のオペレーティングシステムの開発を請け負い、シアトルコンピュータプロダクツの86-DOSの権利を購入し改良、PC DOS(自社ブランドでMS-DOS)を開発。IBM PCとそれら互換機の普及と共にオペレーティングシステムの需要も伸び、MSは現在に至る地固めを確かなものとした。86-DOSの開発者ティム・パターソンは後にマイクロソフトに引き抜かれ、MS-DOSの開発メインスタッフとなった。
マイクロソフトはMS-DOSを改良するほかに、各機種用のBASICやC言語・FORTRANなどのコンパイラの開発を手がける一方、Altoの見学などMS-DOS上で動作するGUIシステム「Windows」の開発に注力する。 またビジネス向けの表計算ソフトやワープロソフトなどを開発し、先行他社と「買収か潰すか」とまで言われた熾烈な競争を繰り広げ、各方面で賛否を浴びながらも多方面のビジネスソフトでシェアを独占するに至る。
黎明期の1970年代後半から1980年代前半には、西和彦がビル・ゲイツと意気投合し、マイクロソフトの副社長を務めるなどした。これはマイクロソフトの日本進出に大きく貢献した。アスキーはMSXやAXの共同展開や、日本法人設立までの日本代理店(実際は子会社のアスキーマイクロソフト株式会社が担当)を務めるなど、大きく関わった。しかし、1986年にマイクロソフトが100%出資の日本法人(マイクロソフト株式会社)を、アスキーから古川享や成毛眞ら一部の社員が独立する形で設立したため、提携は解消される。
OSは、MS-DOSの他にXENIXの開発やIBMと共同でOS/2の開発もしていたが、その後デヴィッド・カトラー率いるDECの開発チームを移籍させるなどしてWindows NTを開発。このノウハウを元にWindowsとMS-DOSを一体化し、GUIを改良したWindows 95を発売し、世界中で独自規格のパソコンをPC/AT互換機に移行させた。またこのときにアスキーとの復縁もアピールする。
その後もWindowsの改良を進め何度もマイナーチェンジを繰り返した他、インターネット経由やCD-ROMなどで大量のモジュールを配布している。Windows NTによりサーバ市場への進出も果たした。2001年にはWindows XPの発売によりMS-DOS系のWindowsをWindows NT系に統合。
※ 「アルテア」が彼にチャンスを与え、手にした成果に満足することなく、動物的感性でビジネスチャンスを模索し、着実に手中に収めた。彼のプログラミングの才能は、決して一流ではなかった。しかし、彼のマネジメントは超一流だった。 過去に遡って思えば、彼よりも良いポジションに居た多くのプログラマーが、みすみす眼の前のビッグチャンスを逃して、目先の成果に満足してしまっている。マニアのままで終わった才能が、どれほど居たのだろうか。PC創世記に、マニアを捨てて成功を収めた男、ビルとスティーブ。どちらも喰えない男だったのだ。
◇ 今日の誕生花・ザクロ(ザクロ科)
花言葉は、「円熟した優美」。
妻の居ぬ一日永し花柘榴 辻田克巳
あかあかと一と夜の旅の花柘榴 石塚友二
雨のみちにザクロは朱く散りいたり 侘びたき想いにわかにおこる 鳥海昭子
※ 子どもの頃からザクロは苦手だった。見るのも大嫌いだった。でも、母は好んでザクロを食べていた。おいしそうにザクロを食べる母の顔も、少々気味悪かった。 縁あって、中山の鬼子母神に小学生の6年間、毎月内弟子としてお参りしてした。母に手をひかれ、電車に乗って、毎月お参りした。この鬼子母神、改心する前には人の子どもを食べていたという恐るべき鬼神であります。 お釈迦様に諭されて前非を悔い、以後は子どもの守り神(安産・子育て)となったと言います。
でも、長年の習いと申しましょうか、人肉の食感忘れがたく(キモイです)、子どもを食べたくなる気持ちが、どうしても起きてしまいます。そこで、お釈迦様がご提案なさいます。人肉の替りにこれを食べなさい。差し出されたものこそ、柘榴で御座いました。 子どもの頃から、ザクロ嫌いだったのも頷けました。 そんな私が、鬼子母神に救われ、ザクロ好きの母に守られ、今日まで齢を重ねておりますのも、ありがたいご縁のお陰さまと感謝しております。
後年、母が亡くなって、父と二人で鬼子母神(正中山法華経寺)を参詣した。子どもの頃も、母の都合が悪い時に、父と共に二度ほどお参りしていた。父も懐かしそうだった。折角なので、母の供養を申し込む。かなり大きな塔婆を書いて頂き、本堂にて四、五件ほどまとめて読経を頂く。その折に求めた交通安全御守護のお守りは、今も私の車を守ってくれております。お守りの裏には、父と共に参詣した旨が書きつけてある。その父も今はいない … 。
【参照】6月26日、露天風呂の日
http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/9473268.html 【参照】6月26日、パール・バックの誕生日(1892年)
http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/50857284.html 【参照】6月26日、格闘技世界一決定戦の日(1976年)
http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/43213398.html 【参照】朝日新聞の「死に神報道」(2008年)
http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/43220461.html 【参照】6月26日、田代まさしが出所(2008年)
http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/48755117.html |

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