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平成23年7月31日(日)昨日:中国鉄道事故、当局者がソフトの重大欠陥認める。 30日の新華社電によると、中国鉄道省の当局者は浙江省温州の高速鉄道事故について、運行管理センターのデータ収集ソフトに「設計上の重大な欠陥」があったことを認めた。 追突された先行列車が搭載していた信号受信ソフトにも不備があり、落雷による信号故障が加わって起きた複合的な人災だったことが明らかになり、「鉄道の安全基盤はまだ薄弱だ」と語った。 同当局者によると、落雷によって温州南駅の信号設備が故障した後、先行列車はソフトの不備から一時停車後、徐行を開始した。このとき運行管理センターではデータ収集ソフトの欠陥でコントロールシステムが機能せず、後続の列車に対し、進行を許す青信号を誤って表示したもの。 ※ ソフトの海賊版が日常茶飯のお国振りなのだから、ハード面には留意しても、ソフト面はおざなりなのかも知れない。そんなもので米国の特許を取ろうとは、お里が知れまする。 7月31日は、吉村 昭の命日です。 ◇ 吉村 昭(1927年〜2006年) 東京府出身の小説家、日本芸術院会員 2005年春、舌癌と宣告され、さらにPET検査により膵臓癌も発見され、2006年2月には膵臓全摘の手術を受けた。退院後も短篇の推敲を続けたが、新たな原稿依頼には応えられなかった。同年7月30日夜、東京都三鷹市の自宅で療養中に、看病していた長女に「死ぬよ」と告げ、みずから点滴の管を抜き、次いで首の静脈に埋め込まれたカテーテルポートも引き抜き、数時間後の7月31日午前2時38分に逝去、79歳没。 遺稿「死顔」は『新潮』 2006年10月号に掲載された。 『文学界 2011年5月号』に掲載された津村節子(83)の「紅梅」は、この間の消息を伝える中編私小説だった。 吉村の妻であり作家の津村は、自分を「育子」、吉村を「夫」として、舌癌と診断された夫が亡くなるまでの1年7ヶ月を「作家の眼」で克明に描いている。 吉村が最期の医療に対する希望を文書で残したことも作品に出てくる。 「お願い いかなる延命処置もなさらないで下さい。あくまでも自然死を望みます。 平成18年5月17日」。 自筆のリビングウイルであった。 夕食後、夫がいきなり点滴管のつなぎ目をはずす。娘がなんとか繫いだが、夫は胸に埋め込んである点滴のカテーテルポート(器具)を引きむしってしまう。「もう、死ぬ」と言った。駆けつけた看護師の手をも振り払い、激しく抵抗した。育子は夫の強い意志を感じ、必死になっている看護師に「もういいです」と涙声で言った。娘も「お母さん、もういいよね」と言った。 器具の引きちぎりから生じた修羅場は、自分の死の形を自分で決めた最期が実現する静かな場に転じる。そこに至るまでの出来事、夫婦それぞれの胸中が克明に描かれ、創作と断りながらも、これも妻が遺した吉村流の記録文学のような気がする。(リビングウィル2011年6月) 「紅梅」は、原稿用紙240枚。舌癌と判明した吉村さんが、親しい知人にすら病状を伝えぬまま、2006年の新年の日記に「これが、最後の日記になるかもしれない」と書き、闘病中に「いい死に方はないかな」とつぶやくなど、気丈に死の不安と闘う姿を描く。また、胸に埋め込んだカテーテルポートを自ら引き抜き、覚悟の死を遂げた様子も克明に記されている。 文学界の舩山幹雄編集長は、「震災で多くの方が亡くなられた今、人間の命について考えさせる作品を読んでほしい」と話す。 ◇ 吉村 昭の『 三陸海岸大津波 』 文春文庫 税込価格:\460 明治29年(1896年)と昭和8年(1933年)におこった三陸海岸大津波でも、今年の大津波とほぼ同じことが起こっていたことを知ることができる。我々が、様々なメディアから与えられた映像のイメージを持っている分だけ、よりリアルに吉村昭の『三陸海岸大津波』を味読できる。それは、かなり切ない読後感をもたらすものだ。 そして、過去の大津波と大きく違うことは、文明の過度の発展に伴い、災害の様相は比較できないほどに深刻化していると言うことだ。 津波で溺死寸前になりながらも、奇跡的に生還した体験者の話も取材している。水の中でもがき苦しむ状態がリアルに想像できるほど、生々しく現在の我々に迫ってくるものだ。 YouTube の映像では窺い知ることの出来ない、リアリティーが行間から立ち上る。 現在、『三陸海岸大津波』および『関東大震災』が増刷されている。津村さんは、これらの印税を全て被災地の岩手県田野畑村に寄付している。田野畑村は、吉村さんの初期小説『星への旅』の舞台となった地であり、吉村さんは同村の名誉村民であった。 ※ 災害の専門家曰く「失敗は絶対に伝わらない」。そのように言い切る。 リアルな恐怖体験は30年で死滅する。次世代に伝わることは極めて稀有のようだ。 三陸海岸には数多の石碑が立っている。それには次のような言葉が刻まれているのだ。 「是より下に家を建てるべからず」。 だが、石碑の下のほうには、必ず家が建てられている。 私たちはリスクをなくす事はできない。リスクから完全な形で逃げるか、リスクを受容範囲内で上手く受け止めるか、その間で懊悩するばかりなのか。 菊田一夫の名文句「忘却とは忘れ去ることなり」、そんな言葉が、ふと思い出される。忘れ去らなければ、生きてゆけぬことの余りにも多すぎる日々の哀しみ … 。 ※ 本年度の川端康成賞に、津村節子の短編「異郷」(『遍路みち』に収録)が選ばれた。津村さんを思わせる女性を主人公に、夫を亡くした哀しみや後悔、その後の暮らしぶりを描いた私小説的な作品。津村さんは授賞式に、「日本芸術院賞を受賞したときに、吉村が作ってくれた」着物姿で臨んだ。「きょうは吉村も一緒に喜んでいると思う。どこかで、よかったーと言ってくれているような気がする」と話した。(2011/07/11) ◇ 今日の誕生花・フシグロセンノウ(ナデシコ科) 花言葉は、「転機」。 (節黒仙翁) 遠くにて水の輝く晩夏かな 高柳重信 どれも口美し晩夏のジャズ一団 金子兜太 第55回長良川中日花火を中止(2011年4月5日掲載) 中日新聞社
7月30日に開催予定の全国選抜長良川中日花火大会は、東日本大震災の影響に より中止を致します。被災されました皆様には心よりお見舞い申し上げます。 |

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故吉村昭氏、津村節子夫妻は何度も田野畑村を訪れています。
前村長の早野仙平氏とは、個人的にも非常に仲がよく、古からの友人でもありました。
吉村氏はなぜ田野畑村に愛着を感じ、村を舞台にした作品を多く書いています。
なかでも、直木賞を受賞した「星への旅」は、本村の「鵜の巣断崖」を舞台にしています。
そのため、鵜の巣断崖には故吉村昭、津村節子(芥川受賞作家)の名誉村民としての記念碑が建立されています。
ついに、被災地岩手・田野畑村を舞台に、NHKがドラマ制作、放送日まできまりました。
原案は、同村を舞台にした故吉村昭さんの小説「漁火」。
「それからの海」は来年3月3日午後7時半〜8時43分、NHK総合で放送。
TBしていきますねー。
2011/12/23(金) 午前 9:16