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平成23年8月7日(日)昨日:アフガンでヘリ墜落、米兵31人死亡。 アフガニスタンの首都カブールの西にあるワルダク州で6日未明、北大西洋条約機構(NATO)軍のヘリコプターが墜落し、アフガン大統領府によると米軍特殊部隊員31人、アフガン兵7人が死亡。米兵の一度の犠牲者数としては2001年以降、最悪となった。 AP通信によると、反政府武装勢力タリバーンの報道官は声明で、戦闘の末にヘリをロケット砲で撃ち落としたとしている。装備の性能が低いタリバーンに外国部隊のヘリが撃墜されるのはまれだが、米政府関係者は撃墜された可能性が高いとの見方を示した。 NATO主体の国際治安支援部隊(ISAF)は声明で墜落の原因を調査中としつつ、「(墜落した)地域では敵の活動があった」としている。 8月7日は、内田吐夢の命日 です。 ◇ 内田吐夢(本名:常次郎、1898年〜1970年) 映画監督。日本映画の創成期から戦後にいたるまで、骨太な作品を撮りつづけた「巨匠」。 1912年、横浜のピアノ製作所に奉公に出る。横浜の不良少年だった頃のあだ名が「トム」であり、後に芸名とした。 1920年、横浜に創立されたばかりの大正活映に入社し、トーマス・栗原監督の助手を務める。その後、俳優も兼ねるようになり、『喜劇・元旦の撮影』に主演したのをはじめ、何本かの映画に出演。なお映画の世界へとびこむと同時に、岡山の兄からは勘当を言いわたされていた。 1922年、牧野教育映画に移り、『噫小西巡査』を衣笠貞之助と共同監督し監督デビュー。その後、旅役者の一座に混じって放浪生活に入り、旅役者や肉体労働者として浅草などで生活する。この体験は彼の作風に大きな影響を与える。1926年、日活京都大将軍撮影所に入社。1927年、監督に昇進し、喜劇を中心に撮る。1928年、入江たか子をスカウトし、『けちんぼ長者』を撮る。 1929年、小杉勇を主役に『生ける人形』を撮る。これ以来、小杉の強烈なキャラクターを効果的に使い、当時流行していた、左翼思想を盛り込んだ「傾向映画」の傑作を次々と生み出していく。 1932年、村田実、伊藤大輔、田坂具隆らが、日活から独立し、新映画社を設立した際に行動を共にするが、程なく解散。 1933年、新興キネマに移るが、やがて日活多摩川撮影所に移る。そこで、『限りなき前進』、『土』などの作品を生み出す。 1941年、会社の方針と合わず日活を去り、新会社設立の失敗の後、満州に渡り、満州映画協会に在籍。 1945年、日本敗戦後も帰国出来ず、共産主義革命が進行する中国に残留する。1954年、復員し東映に入社。1955年、『血槍富士』を撮り監督業に復帰。 以降、『大菩薩峠』、『宮本武蔵』のような時代劇大作を発表する一方、アイヌの問題を扱った『森と湖のまつり』や、部落問題を底流に描いた水上勉原作のサスペンス『飢餓海峡』など、現代社会の弱者を鋭く照射した作品も発表し続けた。 1965年、興行上の理由から東映が『飢餓海峡』の本編を無断でカット(大部分の上映館では、この版で公開)したことに抗議し、クレジットから名前を外すよう要求。この騒動がもとで、後に東映を退社する。 『宮本武蔵』の続編で、伊藤大輔の脚本を得た『真剣勝負』のロケ中に倒れ入院。いったんは再起し撮影を続行するも、1970年(昭和45年)8月7日逝去、享年72。 ◇ 今日の誕生花・カノコユリ(ユリ科) 花言葉は、「富と誇り」「威厳」。 百合の蘂みなりんりんとふるひけり 川端茅舎 まろび寝の小さき母や夜の秋 福田蓼汀(りょうてい) 不用なる富よ誇りよ さはあれど 威厳をもちてカノコユリ紅し 鳥海昭子 |

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