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平成23年8月21日(日)昨日:原発周辺、長期間住めぬと判断、菅首相陳謝へ。 政府は20日、東京電力福島第一原子力発電所事故で高濃度の放射性物質に汚染された周辺の一部地域について、長期間にわたって居住が困難になると判断し、警戒区域を解除せず、立ち入り禁止措置を継続する方針を固めた。 数十年続くとの見方も出ている。菅首相が地元自治体に直接説明し、避難の長期化を陳謝する方向で検討している。具体的な地域は、福島県双葉、大熊両町の原発3キロ・メートル圏内などを念頭に精査する。 政府は4月、原発20キロ圏内を原則として立ち入りを禁じる警戒区域に設定。来年1月中旬までに原子炉が安定的に停止する「冷温停止状態」を達成し、警戒区域を解除する方針を示してきた。 しかし、文部科学省が原発20キロ圏内の警戒区域内で事故発生後の1年間で浴びる放射線の積算量を推計したところ、大熊、双葉両町を中心とする35地点で、計画的避難区域などの指定の目安となる年間20ミリ・シーベルトを大きく超えた。原発から西南西に3キロ離れた大熊町小入野では508.1ミリ・シーベルト、同町夫沢でも393.7ミリ・シーベルトと、高い推計値を示した。 8月21日は、浜田彦蔵の命日 です。 ◇ 浜田彦蔵(1837年〜1897年)(幕末に活躍した通訳・貿易商) 兵庫県の船頭の子に生まれた。1850年、栄力丸に乗り込み江戸を出航したが、遠州灘で遭難する。その後52日間も漂流したが、米国船オークランド号に救助され、翌年2月サンフランシスコに上陸する。 その後は海員生活や学校生活をしていたが、1858年にカトリック信者となり、アメリカに帰化しからはジョセフ・ヒコと改名、日系アメリカ人第1号となった。 1859年(安政6年)、T.ハリス公使に伴い、通訳として神奈川に帰着を果す。アメリカ彦蔵、ヒコダ唐人とも云われました。その後、攘夷派の志士に命を狙われるようになり、再び渡米。再渡米後には、南北戦争に遭遇してしまい、再度帰国。貿易業を営なむ。 1864年6月、日本最初の民間新聞『海外新聞』を創刊する。当初は単に『新聞紙』と称し、翌年5月に改題して木版印刷になった。「新聞の父」とも言われる。 当時の有力者、伊藤博文や桂小五郎とも交流があり、当時の日米交渉にも大きな役割を果たしたことで知られています。 その後は事業に失敗し、通訳や大蔵省勤務などで過したそうです。 ※ 彼はアメリカにたどり着き、学校で英語を覚えてゆく。 「男子」をボヲヤ(boy)、「女子」をゲロ(girl)という発音で覚えたと云う。 かつて、英国の West Kensington を「上杉謙信」と発音して通じたとか。 アメリカ人が、「ありがとう」を覚えるのに「アリゲーター」と暗記したのだが、いざ本番では「クロコダイル!」と口走ってしまい、ちょっとした珍騒動になったとか。 ◇ 今日の誕生花・ノリウツギ(ユキノシタ科) 花言葉は、「臨機応変」。 湖のさつと曇れば花さびた 星野立子 ※ 「さびた」は、ノリウツギの別名です。 花さびた十勝の国に煙たつ 加藤楸邨 谷川のしぶきにわずか揺れながら 白く素朴にノリウツギあり 鳥海昭子 |

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