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平成23年9月5日(月)昨日:雨・台風12号、死者27人・行方不明54人に。 大型の台風12号による大雨は、4日も近畿、中国地方など広い範囲で続き、奈良県上北山村で8月30日の降り始めからの雨量が1800ミリを超えるなど、紀伊半島を中心に記録的な豪雨となった。 和歌山、奈良両県では土砂崩れや河川の氾濫で民家が流されるなどの被害が多発し、5日午前0時現在、9県で死者27人、行方不明者54人に上っている。台風の被害では死者・行方不明者98人を出した2004年の台風23号以来、最悪となっており、被害の全容はまだ把握できていない。政府は4日、非常災害対策本部を内閣府に設置した。 自衛隊は同日、和歌山、奈良、三重各県の要請を受けて部隊を派遣した。 9月5日は、「日比谷焼打ち事件」の日 です。 日比谷焼打ち事件:1905年9月5日、日露講和での日本側の譲歩に怒った 民衆による日比谷公園での反対集会が暴徒化し、市中は大混乱に陥る。 遂には東京市に、戒厳令が布告されるに至る。何故に民衆は激昂したのか? ひとえに、日本軍の一方的大勝利のみを強調する戦意高揚記事の弊であった。 日比谷焼打ち事件とは、日露講和条約に反対する民衆暴動を言う。講和会議の内容が報道されて以降、世論には20億の賠償金、沿海州の割地などを求める論調が強まっていた。条約締結日の1905年9月5日、対露同志会、黒竜会を中心とする対外硬派9団体が主催する日比谷公園の国民大会(座長は国民本党 河野広中)に集まった民衆は、うち続く戦勝報道による過大な講和条約への期待を完全に裏切られ、加えて多大な犠牲を生んだ事への不満を一挙に爆発させた。自然発生的に桂太郎内閣の御用新聞・国民新聞社、内相官邸、警察署、交番、派出所の7割までも焼き打ちにする。暴動は翌日まで続き、地方にも波及してしまう。遂には軍隊が出動し、戒厳令が布かれた。 負傷者2000人、死者17人、被検束者2000人を数え、その大部分は職人、職工、車夫など都市部の下層市民であった。 1905年、日露戦争は東郷平八郎率いる日本海軍がロシア海軍のバルチック艦隊を撃破したことを契機に、アメリカ大統領のセオドア・ルーズベルトの仲介のもと、アメリカのポーツマスにて日露の和睦交渉が行なわれることとなった。当時、日本は戦争に対する多大な軍費への出費から財政が悪化し、ロシアもまた「血の日曜日事件」など革命運動が激化していたため、両国とも戦争継続が困難になっていた。 相手は強大国・ロシアであり、当時の日本には戦争を継続するだけの余力は既になかった。しかしながら、日本国内では政府の情報統制により連戦連勝報道がなされ、戦費を賄うために多額の増税・国債の増発もなされていた(戦費17億円は国家予算の6年分。外債8億、9億は内債・増税)。国民の多くは内情を知らされておらず、ロシアから多額の賠償金を取ることができると信じていた。だが、ロシア側は賠償金の支払いを拒否。日露戦争の戦場は、全て満州(中国東北部)南部と朝鮮半島北部であり、ロシアの領内はまったく日本に攻撃されていないという理由からであった。日本側の全権・小村寿太郎は、ロシアとの交渉決裂を恐れて8月29日、樺太の南半分の割譲と日本の大韓帝国に対する指導権の優位などを認めることで妥協し、講和条約であるポーツマス条約に調印した。 この内容は、国民が考えていた条件とは大きくかけ離れるものであり(日本側は賠償金50億円、遼東半島の権利と旅順〜ハルピン間の鉄道権利の譲渡、樺太全土の譲渡などを望んでいた。)。このため、朝日新聞(9月1日付)には「講和会議は主客転倒」「桂太郎内閣に国民や軍隊は売られた」「小村許し難し」などと書かれるほどであった。 しかし、伊藤博文などは小村の交渉を高く評価している。また、首相の桂太郎と海相の山本権兵衛は、小村を新橋駅に出迎え両脇を挟む様に歩き、爆弾等が浴びせられた場合は共に倒れる覚悟であったと言う。 ◇ ポーツマス条約(日露講和条約) アメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルトの斡旋により、日本とロシア帝国との間で結ばれた日露戦争の講和条約。日露講和条約とも称する。1905年(明治38年)9月4日(日本時間では9月5日15時47分)、アメリカ東部の港湾都市ポーツマス近郊のポーツマス海軍造船所において、日本全権・小村寿太郎外務大臣とロシア全権セルゲイ・Y・ウィッテの間で調印された。また、条約内容を交渉した会議(同年8月10日)のことをポーツマス会議、 日露講和会議、ポーツマス講和会議などと呼ぶ。 ◇ 震災当日に作成したメルトダウン予測資料を半年後に公表する保安院 経済産業省原子力安全・保安院は2日、東日本大震災の発生直後に作成した東京電力福島第1原子力発電所1〜3号機の事故解析・予測資料を公表した。最悪の場合、3月12日未明に炉心溶融(メルトダウン)が起きうるとしていた。官邸の窓口に保安院職員を通じて渡したが、説明はしておらず、どう活用されたかは不明だという。事故調査・検証委員会の調査で焦点の一つとなりそうだ。 半年もたって急に公表した理由は明らかにしなかった。保安院によると解析は独立行政法人原子力安全基盤機構に依頼。同機構は原子炉への注水が止まり冷却できなくなった場合、炉内の状態がどう変わるかを「緊急時対策支援システム(ERSS)」で計算。保安院は資料を3月11日午後10時に作成していた。 同資料によると、11日午後10時50分に燃料棒が冷却水から露出すると予測。同11時50分に燃料の被覆管が破損し始め、12日午前0時50分に溶融が始まるとした。同3時20分に原子炉格納容器が設計上の限界圧力に達してベント(排気)が必要になり、放射性物質が外部に出ると予測。 保安院によると資料は3月11日午後10時44分、12日午前0時17分の2回、官邸危機管理センターからアクセスできる電子フォルダーに入れた。官邸にいた保安院職員が印刷して担当者に渡したが、内容の重要性を説明した形跡はないという。 3号機についても同様の解析・予測を進め、13日午前6時50分に官邸側に渡した。また1号機は放射性物質の外部への影響なども計算したが、官邸には送らなかった。 保安院は「ちぐはぐな対応で、良かったとは思っていない」としている。東電は「炉心の損傷割合など社内の計算結果を保安院に出した」というが、保安院の予測が東電と共有されたかは不明だ。 ※ 「共有フォルダに入れた」、実に狡猾な“アリバイ作り”と言うべきか。 ◇ 今日の誕生花・オニバス(スイレン科) 花言葉は、「神秘的」。 荒海や佐渡に横たふ天の川 芭蕉 蔵の戸のしずしず重し星月夜 野澤節子 なんとまあ鬼蓮という名をもらい いのちの力水面をおおう 鳥海昭子 ◇ 9月5日は、山村美紗 の命日です。(1996年) ※ あらたふと青葉若葉の日の光 なほも尊とき親の七光り |

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