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平成23年9月22日(木)昨日:「量子コンピューター」への一歩を踏み出す! 半導体の基板上で、電子を1個だけ取り出し、その磁気の向きを維持した状態で別の場所に送ることに、東京大の樽茶(たるちゃ)清悟教授らのチームが成功した。膨大な計算をこなせる「量子コンピューター」の基礎技術につながる可能性がある。世界初の成果で、22日の英科学誌ネイチャー電子版で発表される。 樽茶教授はフランスの研究者らと、半導体の基板に金属で微細な電子の通り道を作った。その一端に電圧をかけ、そこにある電子1個を残してすべて追い出した。次に半導体を振動させて波を起こして、それに電子を乗せて基板の反対側の端に送った。 実験では、電子が持つ磁気の向きが乱れ始める時間の数十分の1の短時間で電子を送れた。電子の磁気の様々な向きで膨大な情報を表現、これを処理して高速計算を実現しようという量子コンピューター構想がある。周りに電子があると、影響を受けて磁気の向きはすぐに乱れるが、電子1個を制御できる今回の成果で、量子コンピューター実現に一歩近づいた。 本日9月22日より、「渡辺 温の展覧会」 が始まります。 会場:東京・高輪のギャラリー・オキュルス(10月2日まで) ◇ 渡辺 温(おん〔本名〕、1902年8月26日〜1930年2月10日) 戦前、交通事故で夭折した探偵作家の文庫版一巻全集『アンドロギュノスの裔〔ちすじ〕』が、東京創元社から、誕生日にあわせて8月26日に刊行されています。これを記念しての展覧会です。渡辺 温は、活動期間が余りにも短いため、その完成度は決して高くはない。だが、若き作家の才気と独創的ロマンの閃きは、今日の若者にもかなりの訴求力を持つと思われる。 『アンドロギュノスの裔』:東京創元社 \1,575 発行年月:2011.8 推理作家・幻想小説家。推理作家・渡辺啓助の実弟。北海道谷好村(現・北斗市)生まれ。 1905年2月、東京市深川に転居、スラム街にある社宅で幼少期を過ごす。1912年8月茨城県高鈴村(現・日立市)に転居。旧制水戸中学校を卒業し、1920年4月慶應義塾大学予科に入学(文科)。翌1921年4月、同学高等部に入学。このころ、啓助と福田耕太郎とともに共同生活を営む。1924年7月、プラトン社の雑誌『苦楽』の行った映画原案に『影』を投稿し一等入選。この時の選者は谷崎潤一郎と小山内薫だった。 1927年、博文館に入社、横溝正史編集長のもとで雑誌『新青年』の編集に携わる。モーニングを着、シルクハットを被って博文館に通った逸話は、温のモダニズムへの傾倒を端的に示すものとして夙に知られる。 1928年、創作活動に専念すべく博文館を退社。翌1929年4月、啓助とともに江戸川乱歩の代訳を行った『ポー、ホフマン集』(改造社世界大衆文学全集・30巻)が刊行される(二人はポーを担当)。また、啓助に岡田時彦の代作者として探偵小説を書くことを勧める。このとき書かれたのが啓助の処女作『義眼のマドンナ』(新青年6月号)だった。11月、新青年編集部に復職している。 1930年2月10日、神戸市東灘区岡本在住の谷崎潤一郎のもとへ、長谷川修二と共に原稿依頼に赴いた帰路、兵庫県西宮市夙川の踏切で乗っていた自動車が列車事故に遭い、脳挫傷のため死去する。享年27。谷崎は追悼文『春寒』を『新青年』に発表する。 ※ 兄・啓助は、『偽眼〔いれめ〕のマドンナ』などで知られ、戦後は探偵作家クラブの会長を務め、百一歳の長寿を全うしている。夭折した弟の無念を補って余りある、推理文壇の最長寿者であった。 ◇ 今日の誕生花・ナンバンギセル(ハマウツボ科) 花言葉は、「物思い」。 名月を取ってくれろと泣く子かな 一茶 むきあうてなんばんぎせる咲きにけり 加藤三七子 山路ゆきナンバンギセル踏みそうで 踏まざりしこと折々おもう 鳥海昭子 |

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