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平成23年9月23日(金)昨夜:首位攻防4連戦の緒戦、吉見が館山に投げ勝つ。 < 中日 3−2 ヤクルト > (22日、ナゴヤドーム) 中日が逆転勝ちで3連勝。1点を追う六回、2死二塁からブランコの適時打で同点とし、谷繁の適時二塁打と堂上剛の適時打でリードを奪う。吉見はリーグトップの15勝目。ヤクルト館山は4四球と制球難だった。 ヤクルトは館山の不調が痛かった。立ち上がりから抜け球が多く、ボール先行の苦しい投球。何とか五回まで無安打に抑えたが、六回につかまった。2死二塁からブランコ、谷繁、堂上剛に3連打を浴びて一気に3失点。「四球が多かった」と反省した。館山は右手中指と薬指の血行障害が完治しないまま登板を続けている。影響は「ありません」と言うが、この日は本来の力は出せなかった。 ※ このところ存在感を増す谷繁さん。2軍落ちの和田ベンちゃんの影は、おぐし以上に薄くなるばかりです。野球選手が動体視力に不安を覚え、メガネをかけ始めると選手生命は下降線を辿ります。井端は少々復活したものの、スポーツ選手にとって視力は命綱そのもの。 身にしみる秋の夜寒に何おもう … 。 ◇ 中日・落合監督の退任決定 「契約書通り。こういう世界 … 」 中日は22日、東京ヤクルトとの首位攻防戦に3対2で勝利し、ゲーム差を3.5に縮めた。 落合博満監督(57)は試合後、「ナゴヤドームでの試合だな」と総括し、今季限りでの退任が決まったことについては、「契約書通り。この世界、そういう世界」と笑顔を見せながらコメントした。 ◇ 後任の高木守道氏(70)は「青天の霹靂」 まさに「青天の霹靂」で、驚いています。落合さんという大監督の後ということもあり、悩みはしましたが、お引き受けしました。やはり、野球人間なのでしょう。この年齢になって、もう一度チャンスをいただけましたので、全力で頑張る覚悟です。 ◇ 白井文吾オーナーは「一時代築いた」 落合監督は、ドラゴンズの歴史に一時代を築きました。連続8年という任期は、ドラゴンズの歴代監督で最も長く、その間の成績も抜群。今年は3年契約の最終年で、野球殿堂入りも果たし、節目と判断しました。リーグ優勝と日本一を花道にできれば理想的。高木さんは野球への情熱がいささかも衰えていない。 ※ 落合監督は2004年に監督就任し、リーグ優勝3回、日本一1回を達成し今年、野球殿堂入り。今季はヤクルトに続く2位につけている。 歴代中日監督の中でトップクラスであることに、異論を挟む余地はないだろう。 高木氏は1992年から4年間中日の監督を務め、2位を2度達成した。 3年目の1994年、首位巨人を猛追して同率首位に立ち、ナゴヤ球場にて日本プロ野球史上に残る「10.8決戦」を迎えたことが、高木監督の最大の舞台だった。4年目は、任期途中(6月2日)の辞任が決まっていた試合で「俺も辞めるから、お前も辞めろ!」と、友寄審判に喰ってかかった。 高木氏は、現役時代は堅守から「いぶし銀」と言われたが、性格的には「瞬間湯沸し」だ。監督としての采配にも、堪え性がないようだ。1993年には、7点リードの7回にオマリーのソロホームラン1失点だけで山本昌を降板させた。その後の、8回に1失点、9回に8失点と大逆転負けを喫した。試合後に高木は、「私が悪かった」と選手に頭を下げた。だが、この時の悪印象はシーズン終了まで続いてしまった。 本日9月23日、第3回「市民ウォーク御鮨街道」(岐阜市) があります。 江戸時代に長良の鵜飼や小瀬の鵜飼で捕れた鮎を、「熟鮨(なれずし)」に加工したものを、岐阜街道(尾張街道)から美濃路を経て、江戸まで運んだことから、岐阜街道は「御鮨街道」とか「鮎鮨街道」と呼ばれるようになった。 【熟鮨、馴れ寿司】:主に川魚を塩と米飯で発酵させた保存食品。寿司の原型とも呼ばれ、古い歴史がある調理方法で、現在でも各地でつくられ食べられている。現在主流となっている「にぎり寿司」(早ずし、江戸前寿司)とは全く違うもの。 江戸時代の御鮨街道では、江戸までの400キロの道中を約五日間で歩き通し、江戸に着く頃に最良の発酵状態に仕立てていた。 ◇ 市民ウオーク御鮨街道(岐阜公園 → 笠松湊)「鮎鮨荷行列」再現 500人規模で歴史探訪 一般参加者大歓迎 江戸時代に長良川の鵜飼で取れた鮎で作った鮎鮨を尾張藩が江戸の将軍家に運んだ「鮎鮨荷行列」を再現する「市民ウオーク御鮨街道」が23日行われます。 岐阜市の岐阜公園をスタートし、笠松町の笠松湊を終着点とする通称・御鮨街道(旧岐阜街道、旧国道22号)の約9キロを練り歩く。沿線の自治会連合会などで作る実行委の主催。堀敏夫実行委員長(75)は「500人規模の行列になる。歴史探訪健康ウオークとして一般の方も参加していただきたい」と呼びかけています。 宮内庁式部職である鵜匠・山下家に残る古文書や伝承記録などによると、鮎鮨は室町時代から「美濃の名物」として知られ、初代将軍家康から十五代将軍慶喜の時代まで毎年献上された。鮎鮨荷は岐阜から江戸までの四十六宿場で引き継がれ、5日間で運ばれたという。世襲の鵜匠六家では今も年末年始に贈答用として作り、「鮎鮨製造技術」は昨年3月、市の重要無形文化財に指定された。 岐阜市制と笠松町制が120周年を迎えた2009年に「鮎鮨荷行列」を再現する広域記念行事が企画され、今年で3回目。行列は、3地区の住民らが「宰領」と呼ばれる地域の名士役や、てんびん棒で荷を担ぐ運び役に扮し、当時の姿を披露します。 ショートカットされた「鮨ロード」(小人数対応) 午前9時半に岐阜公園を出発、途中2ヶ所で鮎鮨荷の引き継ぎ口上を行い、午後4時頃に笠松湊に到着する。道中、「御鮨所跡」で解説会を開くほか、加納ふるさと太鼓や厚見小唄の披露、お茶・お菓子接待、笠松問屋場解説会などがあります。笠松湊では鮎雑炊が振る舞われる(300人分)。参加無料。 問い合わせは、実行委事務局の白山公民館(058・266・0422)。 ◇ 今日の誕生花・ヒガンバナ(ヒガンバナ科) 花言葉は、「再会」。 曼珠沙華どれも腹出し秩父の子 金子兜太 曼珠沙華散るや赤きに耐へかねて 野見山朱鳥(あすか) あかあかと彼岸花咲く畦道で こんど会う日の約束ありて 鳥海昭子 濁流に捨て来し燃ゆる曼珠沙華 あかきを何の生贄とせむ 寺山修司 |

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