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平成23年11月9日(水)昨日:原発周辺世帯の4分の1「戻らない」福島大調査。 東京電力福島第1原子力発電所周辺の8町村の住民を対象とした福島大によるアンケート調査で、約4分の1の世帯が「地元に戻らない」と考えていることが8日、分かった。理由として8割以上が「(放射性物質の)除染が困難」と回答。特に若い世代ほど地元に戻るという回答が減り、子育てや仕事の問題で悩みを抱えている実態がうかがえる。 調査は福島大災害復興研究所が9月に実施。8町村の協力を得て全約2万8200世帯に調査票を郵送し、約1万3500世帯から回答を得た。回収率は47.8%。 自宅に戻る意志については「他の町民の帰還後」と答えた世帯が27.8%と最も多いが、「戻らない」も26.9%あった。理由(複数回答)としては「除染が困難」が83.1%と最多。「国の安全レベルが不安」(65.7%)、「原発収束が期待できない」(61.3%)と続いた。 「戻らない」を地域別にみると、原発から近い大熊、双葉、富岡の3町は3割を超えた。年代別では34歳以下が52.3%に上り、若い世代ほど「戻らない」傾向が強い。 一方、避難者に自宅に戻るまで待てる年数を聞いたところ、37.4%が「1〜2年」と答え、「1年以内」と合わせると半数を超えた。高齢者ほど早く戻りたいとの希望は多いが、今後の生活上の困難については6割近くが「避難の期間が分からない」と答えており、今後の生活設計が立てられない実態が浮き彫りになった。 調査した福島大の丹波史紀准教授は「避難期間が長引くほど地元に戻らないという人は増える。国は被災者の帰還に向けたビジョンと生活支援の枠組みをしっかりと示すべきだ」と話している。 ※ 家郷あれども帰り得ず、郷土愛あれども戻りえず、国あれども良策なし。 11月9日は、三井三池炭鉱三川坑の炭塵爆発の日 です。 ◇ 三井三池炭鉱三川坑の炭塵爆発 1963年(昭和38年)11月9日、福岡県大牟田市三川町の三井三池炭鉱三川坑で発生した炭塵による粉塵爆発事故。死者458名を出したこの事故は、戦後最大の産業事故と言われる。 9日午後3時10分頃、三井鉱山三池鉱業所三川鉱(三川坑)第一斜坑の坑口から約1,500メートル付近の斜坑で炭塵爆発は起きた。当時、坑内は約1,300人の労働者が従事しており、死者458名、一酸化炭素中毒(CO中毒)患者839名を出した。 爆発発生後、23名からなる三川鉱救護隊が最も早く到着したが、これも事故発生から3時間近く経っての到着であり、最も遅く到着した四山鉱救護隊は事故発生から7時間後に到着している。最終的には3000人の救援隊による救出が行なわれた。 炭鉱には炭塵爆発事故の可能性が常にあるにもかかわらず、当時は三池炭鉱に限って炭塵爆発事故など起きるはずがない、実際に何十年も起きていない、などといったある種の「安全神話」のようなものがあった。加えて三池争議の結果、三井鉱山がコストを最優先し、かつては三池炭鉱労働組合が強く主張していた保安を二の次にしていたという側面があった。このようなことが事故そのものと初動救護の遅れの遠因となり、死者と一酸化炭素中毒患者を増やす要因となったといえる。 当時、九州工業大学の荒木忍教授は事故の原因を次のように推測、結論づけた。 保安無視の生産第一主義:炭塵爆発の防止策としての炭塵の除去と撒き水、岩粉の撒布を怠ったことにより、坑内に炭塵が蓄積されていた。 コスト削減から、ボタ積炭車の部品交換を怠っており、部品が劣化していた。 ボタ積炭車の連結環が破断したことにより脱線し、摩擦熱、あるいは摩擦火花が坑道内の炭塵に着火した。 福岡県警察、福岡地方検察庁は、荒木忍教授の鑑定結果を元に、三井三池炭鉱幹部を起訴しようとした。ところが起訴に積極的な福岡地検検事の多数が突然転勤させられることになった。新たに構成された福岡地検検事グループは、事故原因の科学的な立証はできない、と三井三池炭鉱幹部については不起訴処分とした。 ※ その後、被害者やその家族・遺族らによる、損害賠償、一酸化炭素中毒の後遺症への補償などの訴訟が展開された。やがて、三井三池炭鉱の経営体力は弱まり、閉山を早める結果となった。 ◇ 今日の誕生花・コウヤボウキ(キク科) 花言葉は、「働き者」。 空狭き都に住むや神無月 夏目漱石 小包を母につくらむ初しぐれ 黒田杏子 小春日の山裾ゆけばひかりつつ コウヤボウキの種飛びいたり 鳥海昭子 |

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