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平成23年11月19日(土)昨日:「裏切り者」を粛清? 清武GMを解雇処分。 巨人・桃井オーナー兼球団社長が緊急会見を開き、「ナベツネ批判」を展開した清武英利球団代表兼GM(61)の解任を発表した。同オーナーは「出入り禁止」も伝えており、清武GMの告発会見は“自爆テロ”となった形だ。 その11日の告発会見以降、他球団のフロント要人、コミッショナー事務局員、巨人ОBを含むプロ野球解説者たちは清武GMの発言に一定の理解を示しつつも、最後は「巨人内部のことなので … 」と言葉を濁していた。 要するに、清武GMの味方は一人も現れなかった。渡辺恒雄・球団会長(85)は12日に発表した文書の中で「今後の反省次第」と、同GMの処遇については「情状酌量の余地」も伝えていたが、「渡辺会長の立場、性格からして、腸が煮えくり返っていたはずです。一週間もたってから処分を下されたのは、周囲が諫めていたから」(関係者)との意見も多く聞かれた。 桃井オーナーは渡辺会長側に立った言動を続け、解雇処分の会見でも「チームの信用を傷つけた」と清武GMを非難していた。しかし、読売関係者の一人はこう証言する。 「渡辺会長、清武GMの衝突を露見させたコーチ人事ですが、岡崎郁ヘッドコーチを留任させる、江川卓氏を招聘するといった内容以前の問題なんです。清武GMと桃井オーナーは来季のコーチ人事の組閣表を持って、10月下旬に渡辺会長を訪ねたのは事実です。同会長は組閣が出来上がっていたことに腹を立てた部分もあるようです。会長はコーチ人選の話し合いに加われなかったことにも怒っていました。もっとも、意に沿わぬ名前があったようですが」。 孤立無援の清武GM “謀反”は不発に終わる 対照的なのは、渡辺会長に組閣表を否定された直後の桃井オーナー、清武GMのそれぞれの反応ぶりだ。関係者によれば、先に「辞意」と「内部批判」を口にしたのは、桃井オーナーの方だと言う。よほど激しく渡辺会長の“逆鱗”に触れたのか、桃井オーナーは同会長と別れた後、「オレ、もう辞める」とこぼしたそうだ。 表向きは「渡辺派」でも、裏では事態の収拾に奔走していたようだ。オーナーとしての責任もあったようだが、関係者の証言通りだとすれば、清武GMの発言は桃井オーナーの本心でもあったようだ。 清武GMの“義挙”が敗北に終わった理由は只ひとつ。今回の告発会見後、これに追随するフロント職員、巨人ОBが一人も現れなかったことだ。 善くも悪くも、近年の補強は同氏が一貫して窓口を務めてきた。巨人の“内部崩壊”は今オフのFA市場、ひいては球界全体にも大きな影響を与えそうだ。 セリーグ連覇の名監督を放逐する球団もあることだし、組織の論理とは魑魅魍魎たる世界と云うことか。 ※ 身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置ましジャイアンツ魂 (止せば勝因) 11月19日は、インディラ・ガンディーの誕生日 です。 ◇ インディラ・ガンディー(1917年〜1984年) インドの初代首相・ネールの一人娘。マハトマ・ガンディーとの血縁関係は無い。早くからインドの独立運動に参加し国民会議派に加わり、独立運動を続けて一年余りも投獄された。 インド独立後、国民会議派の婦人部長などを務め、1964年、シャストリ内閣の情報大臣となる。1966年、シャストリ首相急死に伴い、その跡をついで第3代首相となる。 その後、下院議員に初当選し、社会主義的政綱をかかげて会議派の分裂を強行、1971年の総選挙を大勝に導き、バングラデシュ独立戦争への介入にも成功し人気も最高潮になるが、政治の強権主義を進め、非常事態宣言を発動するなど一種の恐怖政治を行なったため、1977年の総選挙で敗北する。 1980年の総選挙で圧勝して第6代首相に返り咲きますが、パンジャブ州などで州分離要求や社会経済的対立が激化するさなか、1984年10月31日、同州出身の2人のシーク教徒護衛兵により官邸で射殺される。 ◇ 今日の誕生花・ムラサキシキブ(クマツヅラ科) 花言葉は、「聡明」。 色を得し雫紫式部の実 日原 傳(つたえ) むらさきしきぶかざせば空とまぎれけり 草間時彦 むらさきの清かなる実の雨にぬれ ムラサキシキブも山ゆく人も 鳥海昭子 ※ 夏に花を咲かせ、秋に実を結ぶムラサキシキブ(紫式部)。 【参照】東京国際女子マラソン(2006年11月19日) http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/23924017.html (土佐礼子が優勝、高橋尚子は失速3位、2位は尾崎朱美。) |

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