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平成23年12月4日(日)昨日:前原氏が一川防衛相批判 「勉強不足が過ぎる」。 民主党の前原政調会長は3日午前、参院で問責決議案の可決の公算が大きくなっている一川防衛相について、大阪市内で記者団に「少し勉強不足が過ぎる。過去の経緯ぐらいは勉強しないと、安全保障、米軍との関係もうまくハンドリングできない」と厳しく批判した。 党首脳が一川氏の閣僚としての適格性を批判したことで、与党内で一川氏の早期辞任を求める声は一層広がりそうだ。 一川氏の進退について、前原氏は「任命権者は野田首相だから、首相がお決めになることだ」と自らの考えを明らかにすることは避けたが、「出処進退は政治家は自ら決めるものだ」とも指摘した。一川氏の自発的辞任が望ましいとの考えを示唆したとみられる。 前原氏が強く批判したのは、一川氏が1995年に沖縄県で起きた女児暴行事件について「正確な中身を詳細には知らない」と答弁したことだ。3日午前の読売テレビの番組でも、前原氏は「問題だ。沖縄県内に74%の米軍施設・基地があるのだから、沖縄のご理解をいただくことが日本の安全保障の根幹になっている」と強調した。 12月4日は、リルケの誕生日 です。 ◇ ライナー・マリア・リルケ(1875年〜1926年)薔薇の詩人(独逸) 鉄道官吏の子としてプラハに生まれ、幼い時分は母ゾフィアにより、女の子として育てられる。娘(リルケの姉)を亡くしたゾフィアの悲しみ故だったが、「フランス人の血を引く」と自称し、喪服のような黒衣を好む虚栄心の強い母の手で幼年期を育てられたことは、リルケの性格形成と詩情に多大な影響を及ぼす。 9歳の頃に父母は別居、父側に引き取られたリルケは、父の希望で陸軍高等実科学校に入学するも中途退学、詩人を志してプラハ、ミュンヘン、ベルリンの各大学に学ぶ。 1899年とその翌年に二度のロシア旅行を行い、その時の旅情が彼をして詩人として生きることを決定づけた。結婚生活に敗れたのちパリに住み、彫刻家ロダンの作品に打たれ、その教えを受けている。ロダンと出会った後の彼の詩は、客観的な作風に変わってゆく。ロダンとの出会いによって彼は、死と愛、神と孤独、不安と芸術などの人生の根本的諸問題を表現する。 ついで、アフリカ、スペイン、イタリア、フランス等の国々を放浪し、第一次世界大戦後はスイスに住み、大作『ドゥイノの悲歌』を完成、20世紀詩の頂点といわれる『オルフォイスへのソネット』を書きあげる。また、小説『マルテの手記』では、文明におしひしがれながら、生きる詩人の内面生活を描いた。 1926年、薔薇の棘で指を傷つけたことから急性白血病に罹り、51歳で死去。 彼自身による墓碑銘に曰く、「薔薇よ、ああ、きよらかな矛盾よ、あまたの瞼の下で、だれの眠りでもないという喜びよ」。 ◇ 今日の誕生花・サザンカ(ツバキ科) 花言葉は、「謙譲」「理想の恋」。 山茶花のこゝを書斎と定めたり 正岡子規 山茶花のこぼれつぐなり夜も見ゆ 加藤楸邨 咲くもよし散りてやさしい山茶花の ふたひらみひらの花びら拾う 鳥海昭子 ※ 椿は花ごとぼとりと落ちて武家が嫌った。山茶花はハラリハラリと散る。 |

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