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平成23年12月5日(月)昨日:第一生命が保育所事業30ヶ所、待機児童の1割。 第一生命保険は大都市圏を中心に保育所を大量に開設する。保育サービス大手2社と提携して来年度の2ヶ所を皮切りに、今後5年間で30ヶ所、待機児童の1割にあたる2500人の受け入れを目指す。待機児童問題が深刻化していることから、保有不動産を有効活用する。金融機関や事業会社が保育所を本格展開するのは初めてで、自社ビルを抱える他の生保などが追随する可能性もある。 第一生命が来年4月に東京都品川区と杉並区で開設する保育所は、0〜2歳児を中心に、5歳児まで受け入れる。運営は提携先のJPホールディングス、ポピンズの2社に委ねる。面積や保育士の数など国が定める基準を満たす「認可保育所」か、自治体独自の基準を満たす保育所とする。 小林幸子『おもいで酒』 12月5日は、小林幸子の誕生日 です。 ◇ 小林幸子( 1953年生まれ )新潟市中央区出身、日本コロムビア所属 1963年、9歳の小学4年生の時にTBS『歌まね読本』でグランドチャンピオンとなり、審査委員長の古賀政男にスカウトされる。当時はテレビの音楽番組などは生放送であり、夜7時半のテレビ出演というのは、当時の子供にとっては遅い時間帯であった。この9歳の少女ということも「美空ひばり」を彷彿させ、その「ひばり」の物まねも他の大人の出場者を圧倒する抜群の歌唱力と非常に似ている歌まねの出来で、後に「第二のひばり」といわせるものであった。これが審査委員長の古賀政男を唸らせ文句なくグランドチャンピオンを獲らせた。 翌年の1964年には新潟市内で肉屋を営んでいた家族とともに上京して古賀事務所に所属し、古賀作曲の『ウソツキ鴎』で華々しくデビュー。いきなり20万枚のヒット曲となる。天才少女歌手・「ひばり二世」として、大映映画では子役としても活躍。当時まだ9歳の子供だったために楽屋内でワイワイ騒いでいたところをある先輩歌手が激怒し、島倉千代子にすぐに注意して来いといわれて島倉が嫌々仕方なしに小林の楽屋へ注意にいったと言う。「お幸、楽屋というところはステージに立つ前の神聖な場所なのだから騒いだりするところじゃないのよ。」と … 。その当時から島倉の事を「母さん」と呼び、島倉も「幸」と呼んで、現在まで自分の娘のように可愛がっており、公私共に親交が深い。 しかしヒット曲は続かず、お手本としていたはずの美空ひばりの母親からは、あまりにもひばりを模倣されているとの嫌悪感から敬遠され、徐々にスケジュールが空白になり、15年の長い不遇時代が続く。当時、興行の世界を牛耳っていた山口組三代目に娘同然に可愛がられているひばりに嫌われることは致命的なことだった。 後年、『NHK歌謡コンサート』の美空ひばり特集に出演した時、司会者の小田切千から生前のひばりとのエピソードを尋ねられると、『おもいで酒』が大ヒット後に音楽番組共演やドラマ共演などが縁で、後にとても可愛がっていただいたと語っている。 1979年、『おもいで酒』が有線放送から徐々に火がついて、ついに200万枚の大ヒットをする。この年の暮れ『第30回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たす。『全日本有線大賞』グランプリ、『第21回日本レコード大賞』の最優秀歌唱賞に輝く。 前年の大晦日は熱海へ興行に来ていて、終了後に小林のマネージャーやスタッフと一緒に紅白を見ながら、「来年こそは絶対にヒット曲を出して紅白へ出たいな」と話したところ、スタッフに「幸っちゃん、絶対無理だよ」と笑われてしまったが、まさか本当にヒット曲を出せて初出場できたのが夢のようだったと語っている。 1988年、紅白に10回連続出場。自身初となる紅組トリを務めた。 ◇ 今日の誕生花・ツワブキ(キク科)(石蕗) 花言葉は、「困難に負けない」。 つわぶきは故郷の花母の花 坪内稔典 石蕗(つわ)の花照り昃(かげ)りして刻(とき)移る 五十嵐播水 冷え込みのきびしくなりて ツワブキの黄は鮮やかに日暮れ早める 鳥海昭子 ※ 庭の隅にひっそりと咲くツワブキは、普段から気にもとめず枯れた頃合に引き抜くだけだった。 キク科の多年草で海岸近くに自生する。長い柄のある葉が束生し、葉は腎臓形で厚く、上面は光沢がある。蕗に似ていてツヤのある葉なので「ツヤフキ」、いつしか「ツワブキ」と呼ばれる。10月ごろ、花茎が約60センチにも伸び、黄色の頭状花が多数咲く。花もち頗る良し。 可憐な花のイメージは、殆ど感じられない。でも、葉柄は食用となり、葉・葉柄は打撲・火傷などに用いる。観賞用にもならないではない。花言葉の「困難に負けない」とは、中高年にとっては身につまされる。 |

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