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平成24年1月4日(水)昨日:東洋大が独走V、大会記録を8分15秒も更新。 第88回東京箱根間往復大学駅伝競走(関東学生陸上競技連盟主催、読売新聞社共催)は3日、神奈川県箱根町の芦ノ湖駐車場入り口から東京・大手町の読売新聞旧東京本社前までの5区間、109・9キロで復路のレースが行われ、往路優勝の東洋大が10時間51分36秒の大会新記録で2年ぶり3度目の総合優勝を果たした。 早稲田大が優勝した前回に出した大会記録を8分15秒も更新した。 往路新記録を樹立していた東洋大は、4人が区間賞を獲得した復路でも5時間26分51秒の新記録をマークし、2位の駒沢大に9分2秒差をつける圧勝だった。3位には明治大が入り、早稲田大は4位だった。最優秀選手(金栗杯)には、山登りの5区で自らの区間記録を塗り替え、4年連続で区間賞に輝いた東洋大主将の柏原竜二(4年)が選ばれた。 1882年(明治15年)1月4日、『軍人勅諭』が下賜されました。 明治天皇が陸海軍の軍人に下賜した勅諭で、正式には『陸海軍軍人に賜はりたる敕諭』という。西周が起草、福地源一郎・井上毅・山縣有朋によって加筆修正されたとされる。下賜当時、西南戦争・竹橋事件・自由民権運動などの社会情勢により、設立間もない軍部に動揺が広がっていたため、これを抑え、精神的支柱を確立する意図で起草されたものとされ、1878年(明治11年)10月に陸軍卿・山縣有朋が全陸軍将兵に印刷配布した軍人訓誡が元になっている。 1948年(昭和23年)6月19日、教育勅語などと共に、衆議院の「教育勅語等排除に関する決議」および参議院の「教育勅語等の失効確認に関する決議」によって、その失効が確認された。 ◇ 『軍人勅諭』 我国の軍隊は、世々天皇の統率し給ふ所にぞある。 昔神武天皇躬(み)づから大伴物部(おおとももののべ)の兵(つわもの)どもを率ゐ、中国(なかつくに)のまつろはぬものどもを討ち平げ給ひ、高御座(たかみくら)に即(つ)かせられて、天下(あめのした)しろしめし給ひしより、二千五百余年を経ぬ。 此間世の様の移り換るに随ひて兵制の沿革も亦屡(またしばしば)なりき。 古は天皇躬づから軍隊を率ゐ給ふ御制(おんおきて)にて、時ありては皇后皇太子の代らせ給ふこともありつねど、大凡兵権(へいけん)を臣下に委(ゆだ)ね給ふことはなかりき。 中世(なかつよ)に至りて、文武の制度唐国風(からくにふり)に倣はせ給ひ、六衛府(ろくえふ)を置き、左右馬寮(さうめりゃう)を建て、防人など設けられしかば、兵制は整ひたれども、打続ける昇平に狃(な)れて、朝廷の政務も漸文弱(ようやくぶんじゃく)に流れければ、兵農おのづから二に分れ、古の徴兵はいつともなく壮兵の姿に変り、遂に武士となり、兵馬の権は、一向(ひたすら)に其武士どもの棟梁たる者に帰し、世の乱と共に政治の大権も亦其手に落ち、凡七百年の間、武家の政治とはなりぬ。 世の様の移り換りて斯なれるは、人力(ひとのちから)もて挽回(ひきかえ)すべきにあらづとはいひながら、且は我国体に戻(もと)り、且は我祖宗の御制(おんおきて)に背き奉り、浅間しき次第なりき。 降りて弘化嘉永(1844〜1853年)の頃より、徳川の幕府其政衰へ、剰(まつさえ)外国の事ども起こりて、其侮をも受けぬべき勢に迫りければ、朕が皇祖仁孝天皇(おおじのみことにんこうてんのう)、皇孝孝明天皇(ちちのみことこうめいてんのう)、いたく宸襟(しんきん)を悩し給ひしこそ、忝くも又かしこけれ。 然るに、朕幼(いとけなし)くして天津日嗣(あまつひつぎ)を受けし初(はじめ)、征夷大将軍其政権を返上し、大名小名其版籍を奉還し、年を経ずして海内(かいだい)一統の世となり、古の制度に復しぬ。是文武の忠臣良弼(りょうひつ)ありて、朕を輔翼(ほよく)せる功績(いさお)なり。 歴世祖宗の専蒼生(もっぱらそうせい)を憐み給ひし御遺沢(いたく)なりといえども、併(しかしながら)我臣民の其心み順逆の理を弁へ、大儀の重きを知れるが故にこそあれ。 されば此時に於て、兵制を更(あらた)め我国の光を輝さんと思ひ、此十五年が程に、陸海軍の制をば、今の様に建定(たてさだ)めぬ。夫兵馬の大権は、朕が統(す)ぶる所なれば、其司々(そのつかさつかさ)をこそ臣下には任すなれ。 其大綱は朕親之(ちんみずからこれ)を撹(と)り、肯(あ)て臣下に委ぬべきものにあらず。 子々孫々に至るまで篤くこの旨を伝へ、天子は文武の大権を掌握するの儀を存して再中世以降の如き失体なからんことを望むなり。朕は汝等軍人の大元帥なるぞ。 されば朕は汝等を股肱(ここう)と頼み、汝等は朕を頭首と仰ぎてぞ、其親は特に深かるべき。 朕が国家を保護して、上天(しょうてん)の恵に応じ祖宗の恩に報いまいらする事を得るも得ざるも、汝等軍人が其職を尽すと尽さざるとに由るぞかし。 我国の稜威(みいず)振(ふ)はざることあらば、汝等能く朕と其憂を共にせよ。 我武惟揚(わがぶこれあが)りて其栄を輝さば、朕汝等と其誉を偕にすべし。 汝等皆其職を守り、朕と一心(ひとつごころ)になりて力を国家の保護に尽さば、我国の蒼生は永く太平の福(さいわい)を受け、我国の威烈は大いに世界の光華となりぬべし。 朕斯くも深く汝等軍人に望むなれば、猶訓諭(なおおしえさと)すべき事こそあれ。 いでや之を左に述べむ。 一 軍人は忠節を尽すを本分とすべし。 凡(およそ)生を我国に稟(う)くるもの、誰かは国に報ゆるの心なかるべき。 況(ま)して軍人たらん者は、此心の固からでは物の用に立ち得べしとも思はれず。 軍人にして報国の心堅固ならざるは、如何程技芸に熟し学術に長ずるも、猶寓人にひとしかるべし。 其隊伍も整い節制も正しくとも、忠節を存せざる軍隊は、事に臨みて烏合の衆に同じかるべし。 抑(そもそも)国家を保護し国権を維持(ゆいじ)するは兵力に在れば、兵力の消長は是国運の盛衰なることを弁へ、世論(せいろん)に惑わず政治に拘らず、只々一途に己が本分の忠節を守り、義は山獄よりも重く、死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ。 其操を破りて不覚を取り、汚名を受くるなかれ。 一 軍人は礼儀を正しくすべし。 凡軍人には、上元帥より下一卒に至るまで、其間には官職の階級ありて統属するのみならず、同列同級とても停年に新旧あらば、新任の者は旧任のものに服従すべきものぞ。 下級のものは上官の命を承ること、実は直に朕が命を承る義なりと心得よ。 己が隷属する所にあらずとも、上級の者は勿論、停年の己より旧きものに対しては、総て敬礼を尽すべし。 又上級の者は下級の者に向ひ、聊(いささ)かも軽侮驕傲(きょうごう)の振舞あるべからず。 公務のために威厳を主とする時は格別なれども、其外は務めて懇に取扱ひ、慈愛を専一と心掛け、上下一致して王時に勤労せよ。 若軍人たるものにして礼儀を紊(みだ)り、上を敬はず下を恵まずして、一致の和諧を失ひたらんには、啻(ただ)に軍隊の蠹毒(とどく)たるのみかは、国家の為にもゆるし難き罪人なるべし。 一 軍事は武勇を尚(とうと)ぶべし。 夫武勇は、我国にては、古よりいとも貴(とうと)べる所なれば、我国の臣民たらんもの、武勇なくては叶ふまじ。 況(ま)して軍人は戦に臨み敵に当たるの職なれば、片時も武勇を忘れてよかるべきか。 さはあれ、武勇には大勇あり、小勇ありて同じからず。血気にはやり粗暴の振舞なとせんは武勇とは謂ひ難し。軍人たらむものは常に能く義理を弁へ能く胆力を練り思慮を殫して事を謀るへし。小敵たりとも侮らす大敵たりとも懼れす己か武職を尽さむこそ誠の大勇にはあれ。されは武勇を尚ふものは常々人に接るには温和を第一とし諸人の愛敬を得むと心掛けよ。由なき勇を好みて猛威を振ひたらは、果は世人も忌嫌ひて豺狼なとの如く思ひなむ心すへきことにこそ。 一 軍人は信義を重んすへし。 凡信義を守ること常の道にはあれと、わきて軍人は信義なくては一日も隊伍の中に交りてあらんこと難かるへし。信とは己か言を践行ひ、義とは己か分を尽すをいふなり。されは信義を尽さむと思はヽ始より其事の成し得へきか得へからさるかを審に思考すへし。朧気なる事を仮初に諾ひてよしなき関係を結ひ、後に至りて信義を立てんとすれは進退谷りて身の措き所に苦むことあり。悔ゆとも其詮なし始に能〃事の順逆を弁へ理非を考へ其言は所詮践むへからすと知り、其義はとても守るへからすと悟りなは速に止るこそよけれ。古より或は小節の信義を立てんとて、大綱の順逆を誤り或は公道の理非に踏迷ひて私情の信義を守り、あたら英雄豪傑ともか禍に遭ひ身を滅し屍の上の汚名を後世まて遺せること其例尠からぬものを深く警めてやはあるへき。 一 軍人は質素を旨とすへし。 凡質素を旨とせされは、文弱に流れ軽薄に趨り驕奢華靡の風を好み、遂には貧汚に陥りて志も無下に賤くなり節操も武勇も其甲斐なく世人に爪はしきせらるヽ迄に至りぬへし。其身生涯の不幸なりといふも中〃愚なり此風一たひ軍人の間に起りては、彼の伝染病の如く蔓延し士風も兵気も頓に衰へぬへきこと明なり。朕深く之を懼れて曩に免黜条例を施行し、略此事を誠め置きつれと猶も其悪習の出んことを憂ひて心安からねは、故に又之を訓ふるそかし汝等軍人ゆめ此訓誡を等間にな思ひそ。 右の五ケ条は軍人たらんもの暫も忽にすへからす。さて之を行はんには一の誠心こそ大切なれ抑此五ケ条は我軍人の精神にして一の誠心は又五ケ条の精神なり。心誠ならされは如何なる嘉言も善行も皆うはへの装飾にて何の用にか立つへき。心たに誠あれは何事も成るものそかし。況してや此五ケ条は天地の公道人倫の常経なり。行ひ易く守り易し汝等軍人能く朕か訓に遵ひて此道を守り行ひ国に報ゆるの努を尽さは、日本国の蒼生挙りて之を悦ひなん。朕一人の懌のみならんや。 ※ 「義は山獄よりも重く、死は鴻毛よりも軽し。其操を破りて不覚を取り、汚名を受くるなかれ」。兵士は徒に死ぬことを求められ、軍馬に劣る扱いを受けた。人命を軽んずる日本軍の伝統は、兵士の質を著しく低下させ、もとより長期戦に耐えうる戦力ではなかった。『軍人勅諭』の運用こそが、日本軍を堕落せしめた。 ◇ 今日の誕生花・オトメコザクラ〔プリムラ・マラコイデス〕(サクラソウ科) 花言葉は、「少年時代の希望」「初恋」。 撥ね飛ばす一枚恋の歌がるた 加古宗也 膝に来て模様に満ちて春着の子 中村草田男 咲きそろう乙女小桜ひき寄せる 少年の目のふいにするどき 鳥海昭子 |

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