|
平成24年1月8日(日)昨日:福島原発炉心で苦肉の透視作戦、素粒子利用法。 宇宙から飛来する素粒子を利用して、炉心溶融が起きた東京電力福島第一原発1〜3号機の原子炉内部をレントゲン写真のように透視する技術の開発を、名古屋大学のグループが進めている。 東電などは同原発の廃炉に向け、今後10年以内に溶融燃料の取り出しに着手する計画で、それまでに燃料の位置を把握する必要があり、この技術開発を国も後押ししている。グループは、同原発の放射線量が下がって、現場での作業が可能になれば実用化の研究に移る。 開発を進めているのは、名古屋大素粒子宇宙起源研究機構の中村光広准教授らのグループ。レントゲンのエックス線の代わりに、素粒子の一種「ミュー粒子」を使う。この粒子は物質を貫通する力が強い一方、通り抜ける物質の密度が高いほど吸収され、数が減る。このため、原子炉内を通過する粒子を観測すると、炉内密度の違いがわかる。 総面積1平方メートルの特殊なフィルムを原子炉の近くに設置。粒子の痕跡を写し出して内部を画像化する。核燃料は鉄などの炉の材料に比べて密度が高く、燃料のある部分はフィルムに淡く写り、溶融燃料の位置や形状が鮮明にわかることが期待される。 ※ 昔、子どもの頃にやっていた「日光写真」を思い出させます。 1月8日は、上野駅に日本初の発車ベルを設置した日 です。(1912年) 鉄道が日本で最初に開業した際には、笛や鐘を使って発車の合図に用いていたが、鉄道利用者数の増加に伴い多くの乗客に発車を周知させるには難点が出てきた。 そこで1912年1月8日に上野駅に発車ベルを設置し、これによって発車を周知させることにした。 『 ああ上野駅 』 井沢八郎(1937年〜2007年) 東北地方からの集団就職者の愛唱歌として知られる「ああ上野駅」は、1964年にリリースされ爆発的な大ヒットとなった。戦後日本の歴史に残る名曲として位置付けられており、2003年には上野駅の駅前に「ああ上野駅」の歌碑ができた。 集団就職経験者を始め、昭和30年代から40年代にかけての高度経済成長時代を生きた多くの団塊世代と呼ばれる人々の想いと共に、この歌は永く人々の心に刻まれた。 『 ああ上野駅 』 2003年 ※ 井沢八郎の個人的不祥事が原因で、夕貴から『ああ上野駅』は二度と歌うなと叱られた井沢は、それから長い間、芸能界から離れていた。そんな井沢も晩年に、娘と和解した。父の死に臨んだ夕貴は、「『ああ上野駅』は、パパの残してくれた大事な宝物」と涙ぐんだ。 井沢臨終の日は、奇しくも夕貴の誕生日である1月17日だった。 ◇ 東電、10議員を「厚遇」 パーティー券を多額購入(01/07) 東京電力が電力業界での重要度を査定し、自民、民主各党などで上位にランク付けしてパーティー券を購入していた計10人の国会議員が判明した。電力会社を所管する経済産業省の大臣経験者や党実力者を重視し、議員秘書らの購入依頼に応じていた。1回あたりの購入額を、政治資金収支報告書に記載義務がない20万円以下に抑えて表面化しないようにしていた。 また、東電の関連企業数十社が、東電の紹介などにより、多数の議員のパーティー券を購入していたことも判明した。 複数の東電幹部によると、東電は、電力業界から見た議員の重要度や貢献度を査定し、購入額を決める際の目安としていた。2010年までの数年間の上位ランクは、いずれも衆院議員で、自民では麻生太郎、甘利明、大島理森、石破茂、石原伸晃の5氏、元自民では与謝野馨(無所属)、平沼赳夫(たちあがれ日本)の2氏。民主では仙谷由人、枝野幸男、小沢一郎の3氏だった。 ◇ 今日の誕生花・デンドロビウム(ラン科) 花言葉は、「華やかな魅力」。 板の間は母に近くて手毬つく 岡本 眸 凍鶴が羽ひろげたるめでたさよ 阿波野青畝 はなやかな集いにならむ今日のため デンドロビウム卓上に置く 鳥海昭子 【参照】1月8日、昭和から平成に改元(1989年) http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/26656276.html ※ 「平成」は、初の法令(元号法)に基づく元号です。 |

- >
- 生活と文化
- >
- 祝日、記念日、年中行事
- >
- その他祝日、記念日、年中行事


