今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成24年1月18日(水)昨日:インプラント不具合の多発、各地で訴訟騒動。

 顎の骨に金属を埋め込んで人工の歯を取り付ける「インプラント治療」について、治療後に不具合を訴えて、歯学部のある大学病院などに診療に来た患者がこの2年半で全国で2700人以上に上っていることがアンケート調査で分かりました。

 インプラント治療は、「入れ歯などよりも強く噛めて自分の歯に近い感覚を持てる」として普及が進んでいますが、歯科医師の技術が不十分なことなどから治療後、しびれや痛みが残ったり、炎症が起きたりするトラブルがあとを絶ちません。 先月、全国の歯学部のある大学病院などにアンケート調査を行い、38施設のうち76%に当たる29施設から回答がありました。その結果、治療後に不具合を訴えて大学の医療機関を訪れた患者は、この2年半で2762人に上っていることが分かりました。このうち、神経を傷つけたなどの重症事例は合わせて406件に上り、年度別では昨年度が156件で前の年度137件より14パーセント増えました。

 トラブルの要因として医療機関側の課題は何か、と複数回答で尋ねたところ、事前説明など患者とのコミュニケーション不足が97%と最も多く、歯科医師の技術・知識不足が86%、治療が難しい患者への無理な治療が76%となりました。この結果について、インプラント治療に関する国の研究班の班長で、広島大学歯学部の栗原英見教授は「正確な情報が患者に提供されていないことと、事前の検査が十分行われていないことが問題だ。研究班として、より安全に治療を行うためのルールを作りたい」と話している。



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 1946年1月18日、「南朝・熊沢天皇」に対して米記者とGHQ将校が取材をする。

 ◇ 名古屋の雑貨商・熊沢寛道なる人物、南朝方の子孫と名乗る

   熊沢寛道(ひろみち、1889年〜1966年)

 第二次世界大戦で日本が降伏した後に、正統な皇位継承者を主張した「自称天皇」たちの代表的存在です。大延天皇、また熊沢天皇の呼称で知られる。 熊沢氏の主張は以下の通りだった。熊沢家は、足利氏から帝位を追われ、応仁の乱の際、西軍の武将だった斯波氏が尾張国守護職をしており、宗良親王の末裔の大橋氏や、楠木氏ら南朝ゆかりの武将が多く住している尾張国時之島(愛知県一宮市)に隠れ住んだ南朝の後亀山天皇の子孫で、南朝九代目天皇である熊野宮信雅王に始まる家で、熊野宮の「熊」と奥州の地名・沢邑の「沢」をとって熊沢姓を名乗ったとする。彼自身は分家からの養子だが、系図上は養父とともに後亀山天皇の実系の男系子孫という主張だ。

 明治時代に南朝皇裔承認の請願を行っていた養父・熊沢大然(ひろしか)に、「お前は南朝の子孫だ」と言い聞かされて育ち、その父の死後、熊沢は南朝第118代天皇として密かに即位したという。1920年(大正9年)から父の後を引き継ぎ、自分が天皇であるとして上申書を要人(近衛文麿、東條英機、荒木貞夫、徳富蘇峰など)に送り続けていた。また、熊沢は1935年(昭和10年)前後で、葛尾天皇らと共に福島県双葉郡浪江町・大堀村辺りで後南朝の埋蔵金発掘を試みている。

 1945年、日本が連合国の占領下に入った後、11月に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)のマッカーサー総司令官あてに請願書を送った。その嘆願書が丸ノ内郵船ビル総司令部翻訳課の担当中尉と雑誌『ライフ』記者の目に止まった。 1946年1月、アメリカの記者5名とGHQ将校が5時間取材し、その記事は『ライフ』、AP通信、ロイターなどで報道され、日本の新聞各社は彼を熊沢天皇と呼んで取り上げたので、熊沢氏は一躍有名人となった。彼に取り巻き利益を得ようと集まった支持者は、熊沢氏のために資金や公邸を提供した。なお、他にも熊沢天皇と称する4名も現れた。

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 政府当局は熊沢天皇の調査を行っているが、それは天皇制批判の自由、言論の自由に対し、不敬罪の適用、天皇制護持を図る当局の態度を示す意図があった。しかし、熊沢氏に対して不敬罪の起訴は出来なかった。その後、1946年5月19日のプラカード事件に対しては起訴を行っており、この頃は戦前の旧体制が残っていた事をよく示している。

 熊沢氏は1946年5月、政治団体「南朝奉戴国民同盟」を設立し、全国各地を遊説して南朝の正系が自分であることを熱烈に説き、昭和天皇の全国巡幸の後を追い、面会と退位を要求したが拒否されている。体制派の歴史学者は熊野宮信雅王の実在を否定し、反熊沢キャンペーンを展開した。さらにGHQの昭和天皇利用方針が固まると、世間は熊沢天皇に次第に冷ややかになっていった。熊沢氏は情勢を打開すべく1947年3月、政治団体「南朝奉戴国民同盟」の総裁に就任したり、同年10月に正皇党を結成して、党首として選挙で候補者を立てるが見事に失敗する。その後は多くの側近、さらには妻子にまで熊沢氏は見捨てられてゆく。

 1951年、東京地方裁判所に「天皇裕仁は、正統な南朝天皇から不法に帝位を奪い国民を欺いているのであるから天皇に不適格である」と訴えたが、「天皇は裁判権に服さない」という理由で棄却されている(「皇位不適格訴訟」)。 その後も折に触れ、週刊誌や同人誌のネタとなっていた熊沢氏は、支持者の家を転々としながら、映画の幕間のアトラクションに登場して南朝の正当性を訴えるなどの活動を続けた。1957年(昭和32年)、尊信天皇に自称天皇を譲位し、法皇を自称するようになり、1960年の第29回衆議院議員総選挙では、天皇廃止論を主張したという理由で日本共産党の神山茂夫氏の支持を表明している。 1966年、東京板橋病院で膵癌のため死去。



 『 芥川賞の田中氏ノーカット会見 』

 ※ これぞ文士! 川端も「物書きは無頼の徒」と公言していた。

 ◇ 石原都知事、芥川賞選考委員「刺激ないからやめる」

 東京都の石原慎太郎知事は18日、報道陣に対し、自身が務めている芥川賞の選考委員について「今回をもってやめる。全然刺激にならないから」と述べ、退任する意向を明らかにした。芥川賞を主催する日本文学振興会は「知事にあらためて会い、相談して結論を出したい」としている。

 石原知事は「いつか若い連中が出てきて足すくわれる、そういう戦慄を期待したけど全然刺激にならない。自分の人生にとっての意味合いの問題だ」と理由を説明。さらに最近の文学作品について「物書きとしての緊張感を覚えさせてくれる作品がない」と批判した。 17日に受賞が決まった田中慎弥さんが「都知事閣下のためにもらってやる」と語ったことについては、「いいじゃない、皮肉っぽくて。彼の作品は評価したんだ」と話した。 同振興会によると、石原知事は1995年下期から選考委員を務めていた。



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   ◇ 今日の誕生花・パフィオペジラム(ラン科)(パフィオペディラム)

   花言葉は、「優雅な装い」。

   地の涯に倖せありと来しが雪   細谷源二

   降る雪や明治は遠くなりにけり   中村草田男

 雅なる装いにしてうつむける パフィオペジラム何をか思う  鳥海昭子


 【参照】1月18日、初観音
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/39646527.html

 【参照】1月18日、「明暦の大火」(1657年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/27185521.html

 【参照】1月18日、森山良子の誕生日(1948年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/46559307.html

 【参照】1月18日、片桐はいりの誕生日(1963年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/51711651.html

 【参照】1月18日、エアバス社A380の完成披露(2005年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/50063111.html

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