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平成24年2月1日(水)昨日:警報改善、津波第1報「巨大・高い」で避難促す。 気象庁は31日、津波警報の改善策をまとめた。マグニチュード8超と判断される巨大地震が起きた場合、第1報では予想の高さは示さず、「巨大」「高い」などの表現で避難を促す方針。 東日本大震災で実際より低い津波高を予測し、住民の逃げ遅れにつながったとの反省を踏まえた。年内にも運用を始める。 同庁ではこれまで、地震発生から3分以内に、第1報として津波が到達する時刻と高さの予測を発表。東日本大震災でも発生3分後に地震の規模をM7.9、予想される津波の高さを「宮城6メートル」「岩手、福島3メートル」と発表したが、実際の規模はM9.0で、10メートル以上の津波が到達した。現在の観測技術では、M8超の地震の規模を3分以内に正確に把握することは困難だという。 このため今後は、M8超の地震が起きた場合は第1報で高さを示さず、大津波警報と津波警報の場合のみ、それぞれ「巨大」「高い」と表現する。また、「東日本大震災クラス」などと過去の地震と比較して津波の規模をわかりやすく伝えた上で、「ただちに高台に避難」などと呼び掛ける。 ※ 「災害は忘れた頃にやってくる」とは、人々の持戒がほんの二三十年しか有効ではないと云う意味なのだろう。行政側の持戒の有効期限は、せいぜい二三年程度か。 「巨大」「高い」などの表現で救われる命はどれ程だろうか。あるいは、「巨大」「高い」などの表現がいつの間にか「狼少年」になった場合の、デメリットはどれ程だろうか。 人間を救うのはシステムではなく、人間を救うのは生身の人間なのだ。 2月1日は、河東碧梧桐の命日 です。 ◇ 河東碧梧桐(1873年〜1937年)俳人・随筆家 愛媛県温泉郡千船町(現・松山市千舟町)にて松山藩士で藩校・明教館の教授であった河東坤(号・静渓)の五男として生まれた。本名は秉五郎(へいごろう)。少年の頃、正岡子規の友人で後に海軍中将となる秋山真之を「淳さん」と呼び敬愛していた。 1888年(明治21年)、伊予尋常中学(現在の愛媛県立松山東高校)に入学。1889年(明治22年)に帰郷した子規に野球を教わったことがきっかけで、同級生の高濱清(後の虚子)を誘い子規より俳句を学ぶ。 1893年(明治26年)、京都の第三高等学校入学。第二高等学校(現在の東北大学)に編入の後、中退。1902年(明治35年)に子規が没すると、新聞『日本』俳句欄の選者を子規より受け継ぐ。1905年(明治38年)頃より従来の五七五の定型にとらわれない新傾向俳句に走り始め、1906年より1911年にかけて新傾向俳句の宣伝のため、二度の全国俳句行脚を行う。 1933年(昭和8年)3月25日、還暦祝賀会の席上で俳壇からの引退を表明した。引退については俳句創作への情熱の衰えと、虚子への抗議の意味が込められていたとも言われる。1937年(昭和12年)1月、腸チフスを患い、更に敗血症を併発。2月1日、65歳にて永眠。墓所は父母が眠る松山市の宝塔寺、及び東京都台東区の梅林寺に分骨された。 ◇ 碧梧桐と虚子との仲は曰く、たとふれば独楽のはじける如くなり 虚子 碧梧桐と虚子とは「子規門下の双璧」と謳われたが、守旧派として伝統的な五七五調を擁護する虚子とは激しく対立していた。 碧梧桐は、新傾向俳句から更に進んだ定型や季題にとらわれず生活感情を自由に詠い込む自由律俳句誌『層雲』を主宰する荻原井泉水と行動を共にした。しかし、1915年(大正4年)には井泉水とも意見を異にし、『層雲』を去った。 碧梧桐はその年の3月、俳誌『海紅』を主宰するも、これも中塚一碧楼に譲る。昭和初期に風間直得が漢語にフリガナ(ルビ)を振るルビ俳句を試作、これに賛同した碧梧桐もこれを作るようになるが、これは殆ど支持をえなかった。 生前の子規は、碧梧桐と虚子について、「虚子は熱き事火の如し、碧梧桐は冷やかなる事氷の如し」と評した。 ※ 虚子は碧梧桐の追悼句に、碧梧桐との相克関係を「たとふれば独楽のはじける如くなり」と表現した。その詞書に、「碧梧桐とはよく親しみよく争ひたり」とある。同郷同門にして年齢も一つ違いの碧梧桐と虚子は、俳壇を二分して勢力を競い、碧梧桐は才に走りすぎて自滅の恨みあり。翻って虚子は、自らの凡庸さを隠さなかった。有季定型、写生、花鳥諷詠に徹した境涯から淡々と作句した。時に、大いなる凡句あり。無二の親友にして雌雄を競い合った碧梧桐への、虚子渾身の愛惜の一句子。 蕎麦白き道すがらなり観音寺 赤い椿白い椿と落ちにけり ミモーザを活けて一日留守にしたベットの白く 曳かれる牛が辻でずっと見回した秋空だ ◇ 今日の誕生花・ハナナ(アブラナ科)(花菜) 花言葉は、「初々しい」。 菜の花や月は東に日は西に 与謝蕪村 春待つや椿の莟籠の鳥 子規 たとふれば独楽のはじける如くなり 虚子 家々や菜の花いろの燈をともし 木下夕爾 一本の花菜のきいろみずみずと ガラスの瓶に立ちあがりたり 鳥海昭子 ※ 菜の花の別名:「花菜」「菜花」「菜種」「油菜」。 菜種油は、食用油、灯油、潤滑油などに使われた。搾り糟は肥料となりエコ。 |

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