今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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2月17日、坂口安吾忌

 平成24年2月17日(金)昨日:オリンパス前社長ら7人逮捕、決算粉飾の疑い。

 オリンパスの旧経営陣が損失を隠して資産を水増しし、決算を粉飾していた疑いが強まったとして、東京地検特捜部と警視庁捜査2課は16日、前社長・菊川剛容疑者(70)ら旧経営陣3人と、社外の協力者4人の計7人を金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)などの容疑で逮捕した。菊川前社長や外部協力者の自宅などの家宅捜索も行なった。 証券取引等監視委員会と合同で、海外の関係当局とも連携し、世界的な大手光学機器メーカーの不正経理疑惑の全容解明を目指す。法人としてのオリンパスも立件する方針だ。

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 他に逮捕された旧経営陣は、前常勤監査役・山田秀雄容疑者(67)と、前副社長・森久志容疑者(54)。損失隠しに協力したとされる外部協力者で逮捕されたのは、証券会社「アクシーズ・ジャパン証券』元取締役・中川昭夫容疑者(61)▽経営コンサルティング会社「グローバル・カンパニー』社長・横尾宣政容疑者(57)▽同社取締役・羽田拓容疑者(48)▽同社元取締役・小野裕史容疑者(50)の4人。

 ※ あはれなる夢の一期の過ぎしあと 己がこころの虚しさみつめ …



 2月17日は、坂口安吾忌 です。

 ◇ 坂口安吾( 1906年〜1955年 )小説家 エッセイスト

 本名は炳五(へいご)、新潟県出身、東洋大学文学部印度哲学倫理学科卒業。歴史小説、推理小説、文芸から時代風俗まで広範に材を採るエッセイまで、多彩な領域にわたって活動。終戦直後に発表した『堕落論』などにより時代の寵児となり、無頼派と呼ばれた作家の一人、その後の多くの作家にも影響を与えた。

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 憲政本党所属の衆議院議員の父・坂口仁一郎、母アサの五男で、13人兄弟の12番目として生まれた。炳五の由来は、丙午年生まれの五男に因む。坂口家は代々の旧家、大地主の家柄であり、「阿賀野川の水が尽きても坂口家の富は尽きることがない』と言われたほどの富豪。 仁一郎は、「阪口五峰』の号をもつ漢詩人でもあり、新潟新聞(現・新潟日報)の社長なども務めた。政治家としては、若槻禮次郎、加藤高明らと、文学者としては会津八一と親交があった。仁一郎は政治活動に金銭を注ぎ込み、安吾の生まれた頃は家は傾きかけていた。

 幼少時から破天荒な性格で知られ、ガキ大将として近所の子供を引き連れ、町内や砂丘で遊び回る。立川文庫の『猿飛佐助』を愛読し忍術ごっこに興じる。小学校での成績はよかったが、中学に入って近眼で黒板の字が読めなくなり、また横暴な上級生への反抗の気持ちが強くなってほとんど授業に出なくなり、海岸の砂丘の松林で寝転がるなどして過ごす。2年の時には4科目で不合格となり留年。家庭教師をつけられたりしたが逃げ回っていた。

 1923年に父・仁一郎死去、1925年から兄と荏原郡大井町に転居。豊山中学校を卒業し、世田ヶ谷町の荏原尋常小学校(現・若林小学校)の代用教員に採用され、その分教場の代用教員となる。1926年、私立豊山中学校が真言宗の中学であったことから仏教に興味を持ち研究を決意。代用教員を辞めて東洋大学印度哲学倫理学科に入学。睡眠時間を4時間にして仏教書、哲学書を読み漁る猛勉強の生活を一年半続けて遂に神経衰弱に陥るが、サンスクリット語、パーリ語、チベット語など語学学習に熱中することで克服。次いでラテン語、フランス語を学び、モリエール、ヴォルテール、ボーマルシェなどに触れて、アテネ・フランセに通い始める。ここでは賞をもらうほど成績優秀であり、また級友と読書会を行ったりした。この頃、『改造』誌の懸賞小説に応募して落選している。

 1946年4月に『堕落論』、6月に『白痴』を発表。敗戦に打ちのめされていた日本人に衝撃を与えた。続いて『デカダンス文学論』『外套と青空』『女体』『恋をしにいく』『桜の森の満開の下』などを立て続けに発表。織田作之助、石川淳、太宰治らとともに「新戯作派』「無頼派』と呼ばれて時代の寵児となる。アドルム、ヒロポンを服用しながら次々と作品を発表し、1947年に『道鏡』、1948年に『二流の人』と、独特の歴史観による作品を発表。また自伝的作品『石の思い』『いずこへ』『風と光と二十の私と』『暗い青春』などをこれらと並行して発表。1947年2月からは初の新聞連載小説『花妖』を、岡本太郎の挿絵で連載を開始するが、新聞小説としては型破りであったために読者の評判は悪く連載中断となってしまい未完となる。この後は連作長編『金銭無情』などファルス的な作品が多くなり、8月に『日本小説』に推理小説『不連続殺人事件』の連載を始める。続いて『復員殺人事件』など推理小説も多く手がける。1947年10月に『青鬼の褌を洗う女』を発表。また新宿の酒場「チトセ』で梶三千代を紹介され、秘書として手伝いをしてもらうようになり、やがて結婚。

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 太宰の自殺した1948年6月頃から、鬱的精神状態に陥る。これを克服するため、短編やエッセイの仕事を断り、長編『火』の執筆に没頭。しかし不規則な生活の中でアドルム、ヒロポン、ゼドリンを大量服用したため病状は更に悪化し、幻聴、幻視も生じるようになり、1949年1月に取材のために京都へ行った折に狂乱状態となり、夫人や友人らの手により2月に東京大学医学部附属病院に入院。4月に薬品中毒症状と鬱病は治癒し退院。 生活のために執筆再開するが、軽く使用した薬物のために7月に病気再発。伊東に転地療養して健康を取り戻し、1949年4月、読売新聞に『精神病覚え書』『僕はもう治っている』を掲載。この夏から夫人とともに伊東に移り、1950年1月には『肝臓先生』発表。続いて『安吾捕物帖』『安吾巷談』『安吾新日本地理』『安吾史譚』などを連載し評論家として活躍、巷談師を自称する。

 1953年8月に檀一雄と信州を旅行し、ここで暴れて留置場に入れられる。釈放された朝、長男の誕生を知る。1955年、『中央公論』の『安吾新日本地理』連載のために高知へ取材、2月15日夜に桐生の自宅へ戻り、17日朝に倒れ、脳出血により死去。葬儀は青山斎場で行われ、新津市大安寺(現・新潟市秋葉区)の坂口家墓所に葬られた。墓には安吾の名、戒名は一切刻されていない。 小説としての絶筆は、『中央公論』1月号の『狂人遺書』だった。1949年から54年までは芥川賞選考委員を勤め、その間に五味康祐『喪神』、松本清張『或る「小倉日記」伝』を強く推すなど新風を吹き込んだ。 1957年、新潟市寄居浜の護国神社境内に「ふるさとは語ることなし」の詩碑が建立された。

 2004年、新潟市にある坂口安吾の墓にて梅原猛が献歌しています。

 坂口の安吾は悲し大いなる 虚無に殉ぜし安吾は悲し
 若き日に安吾はわれに乗り移る 安吾を捨ててわれは生きてき

 ※ あなうれし一期は夢ぞただ狂へ しばしとどむる泡沫のごと



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   ◇ 今日の誕生花・アキタブキ(キク科)

   花言葉は、「包容力」。

   雨に友あり八百屋に芹を求めける   子規
   ※ 馳走とは馳せ走る。来客をもてなすべく食材を摘むのだが …

   草萌の大地にゆるき地震かな     虚子

   再びの名残の雪と思ひけり  高木晴子

   淡雪のつもるつもりや砂の上   久保田万太郎

 ごぶさたのお詫びのような音たてて 雨にうたれるアキタブキあり  鳥海昭子

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 ※ 傘ほどにひろがりたるや秋田蕗 小さき頃の遊びを思ふ


 【参照】2月17日、ノアの洪水の日
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/28678668.html

 【参照】2月17日、天使のささやきの日
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/40376069.html

 【参照】2月17日、マダム・バタフライ 初演大失敗(1904年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/50224590.html

 【参照】東芝ついに、HD DVD撤退(2008年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/40385867.html

 【参照】HD DVD搭載モデル、HPに「在庫限り』と告知(2008年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/40397529.html

 【参照】中川財務相が辞意表明(2009年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/47035311.html

 【参照】2月17日、セントレア開港4周年(2009年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/47030705.html

 【参照】2月17日、有馬頼底師の“所得隠し”(2011年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/51818015.html

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