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平成24年2月19日(日)昨日:石破氏「民主党は国の動かし方を知らない」。 自民党の山口俊一衆院議員(比例四国)は18日、徳島市内のホテルで支持者ら約800人を招いて新春互礼会を開いた。 山口議員は「解散総選挙は6〜7月に一番可能性が高いと思っている。力を合わせて政権を何とか奪還したい」と支持を呼びかけた。 来賓の石破茂前政調会長も「民主党は国の動かし方を知らず、どう考えても我が党に政権は戻る。自民党なら何ができるのかを示していく必要がある」と話した。 ※ 「民主党は国の動かし方を知らない」、実にその通りだ。だが、国の動かし方を熟知していた自民党は、戦後日本をどのように育て上げてくれたのか? 「自民党なら何ができるのか」は、既に十二分に答えが出尽くしてしまっているのだ。ここは、民主党に「国の動かし方」を学んでもらわねばならない大切な時期なのだ。国民も野党も、我慢のしどころです。 2月19日は、岡本喜八の命日 です。 ◇ 岡本喜八( 1924年〜2005年 ) 映画監督 本名は喜八郎 1943年、東宝に入社し助監督となるも、戦局の悪化に伴い応召、松戸の陸軍工兵学校に入隊、豊橋第一陸軍予備士官学校で終戦を迎えた。この豊橋滞在中に空襲で多くの戦友たちの死を目の当たりにし、戦争に対する大きな憤りを抱いた。 復員後東宝に復帰、マキノ雅弘、谷口千吉、成瀬巳喜男、本多猪四郎らに師事した。1957年に東宝が石原慎太郎に自作『若い獣』を監督させると発表したことに助監督たちが反発、シナリオ選考で一人監督に昇進させることが決まり、岡本が「独立愚連隊」「ああ爆弾」のシナリオで認められて昇進した。 1958年、『結婚のすべて』で初メガホン。岡本のオリジナルシナリオによる、日中戦争最中の中国大陸に西部劇や推理劇の要素を取り入れた5作目『独立愚連隊』(1959年)で、一躍若手監督の有望格として注目を浴び、以降、『独立愚連隊西へ』(1960年)、『江分利満氏の優雅な生活』(1963年)、『ああ爆弾』(1964年)、『侍』(1965年)、『日本のいちばん長い日』(1967年)、『肉弾』(1968年)など、幅広い分野の作品を監督。特に『江分利満氏の優雅な生活』や『肉弾』は、岡本と同年代の戦中派の心境を独特のシニカルな視点とコミカルな要素を交えて描いた作品として現在まで高い評価を得ており、岡本自身も好きな作品として挙げていた。 東宝退社後の1970年代後半からは、『ダイナマイトどんどん』(1978年)、『近頃なぜかチャールストン』(1981年)、『ジャズ大名』(1986年)などを監督。『大誘拐 RAINBOW KIDS』(1991年)では日本アカデミー賞最優秀監督賞、最優秀脚本賞を受賞し、持ち味の一つである娯楽色をさらに前面に押し出した作品が多くなっていく。 1995年『 East Meets West 』で初の米国ロケ中に、言語障害を起こし硬膜下血腫と診断される。その後も軽い脳梗塞などを起こし、言語が不明瞭であった。『助太刀屋助六』では主演の真田広之が伝令など補佐役を務めた。『助太刀屋助六』の舞台挨拶では、張りのある「ヨーイ、スタート!」の声を披露している。 2005年2月19日、食道癌のため神奈川県川崎市多摩区の自宅で死去。享年81。墓所は鳥取県米子市の西念寺、川崎市多摩区春秋苑。亡くなる直前まで山田風太郎作の『幻燈辻馬車』の映画化を構想し、配役も仲代達矢、真田広之、緒形拳、音楽は山下洋輔と決まり、シナリオを練っていたが果たせなかった。 ◇ 今日の誕生花・アネモネ(キンポウゲ科) 花言葉は、「信じて従う」。 鶯の鳴きさうな家ばかりなり 子規 野を焼いて帰れば燈火母やさし 虚子 アネモネや手紙短く書き直す 岡本 眸 夜はねむい子にアネモネは睡い花 後藤比奈夫 信じあう美しさありアネモネの 色とりどりに咲きそろいたり 鳥海昭子 |

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