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平成24年3月10日(土)昨日:野田首相が米紙に寄稿「新たな日本つくる」。 野田佳彦首相は9日、東日本大震災から1年を機に、米紙ワシントン・ポストに寄稿した。「我々の目標は(震災の起きた)2011年3月11日の前の状態に日本を戻すことだけではなく、新たな日本をつくることだ」とし、「我々はこの歴史的な困難に打ち勝つ決意だ」と強調。 首相は「我々はこの震災で失った愛する人々、友人、同僚のことと同時に、日本に対するあふれる支援や国際社会が連帯の気持ちを表してくれたことも忘れない」とした。その上で、最も差し迫った課題として、震災で被害を受けた地域の再建、福島第一原子力発電所の完全な廃炉と周辺地域の汚染除去、日本経済再生の三つを挙げた。 また、「困難で重大な決定が遅れることは、国を損なう」とし、震災復興にあたり政府は素早く意思決定を進める、との決意も強調した。 3月10日は、安達曈子の命日 です。 ◇ 安達曈子(1936年〜2006年)(とうこ:「瞳」ではなく「日偏に童」) 華道家、花芸安達流創始者。安達式挿花初代家元・安達潮花の次女。後継者に指名されたが父との考え方の相違から1968年に独立。椿で知られた父に対し、「桜の旅に出る」と家を出た。1973年には花芸安達流を創設主宰する。二代目潮花の死を機会に、1981年に安達式挿花を統合。 “きかん気”の曈子 瞳子が兄と寿司屋に行くと、先客に山口瞳夫妻がいた。治子夫人は「あれ、安達瞳子さんじゃない?」と山口瞳に耳打ちすると、山口瞳は言下に「違う違うっ! 安達さんはもっと美人だよ」と言った。これを聞いた瞳子は大いに怒り、後日、山口瞳の友達を難詰した。さらに瞳子は、のちにこの顛末を『小説現代』の「酒中日記」に記し、「いつの日か素面で瞳先生にお会いし得たら、私はぜひ難詰したい」と結んでいる。 山口瞳は、「安達さんはもっと美人だよ」と言った記憶はないが、言ったとすれば「(あの人も美人だけど)安達さんはもっと美人だよ」という意味だと弁明する。 父・安達潮花(1887年〜1969年) 7歳から池坊のいけばなを習いはじめ、形式美だけを追う当時の華道界をきらい、「一切の因習、定型を捨てて模倣をなさず」と飾花を提唱、生花を傷花として退け、1917年に安達式挿花を興した。西洋花弁装飾に触発された家庭いけばなを創案、洋風化し始めた生活様式に合う近代花として人気を博し上流の婦人たちの大きな支持を受けた。1936年には、東京青山に日本で初めてのいけばな学校「安達式挿花芸術学園」を開校。テキストを使って指導し、1年で免許が取れるなど従来の華道界には無い画期的な指導を行い、いけばなのスクール学習の先鞭をなす。 戦後は、勅使河原蒼風らが興した前衛生け花に抜かれ、更に後継者と期待した長女、曈子の離反など晩年は不遇だった。 後を継いだ長男の良昌は1980年、49歳で急死。「花芸安達流」を創流していた曈子が自流に安達式を吸収した。 ◇ 今日の誕生花・シュンラン(ラン科) 花言葉は、「飾らない心」。 蓮華草我も一度は子供なり 子規 いかなごにまづ箸おろし母恋し 虚子 春蘭や岩間を雨の流れ出す 金子青銅 春蘭の水の匂のほかはせず 後藤比奈夫 雪に耐え風雨をしのぎ藪中の シュンラン今年の花を咲かせる 鳥海昭子 |

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