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平成24年3月19日(月)昨日:大阪府・市、関電に全原発廃止提案へ。 大阪府と大阪市でつくる「府市統合本部」は18日、エネルギー戦略会議を市役所で開き、関西電力の全ての原発を可能な限り速やかに廃止することや発送電分離に向けた送電部門の別会社化などを柱とした株主提案の骨子を固めた。役員と従業員の削減も求める。 市は関電株式の約8.9%を持つ筆頭株主。6月に予定される同社の株主総会で、初めてとなる株主提案権の行使に踏み切り、可決を目指す。 だが株主提案で関電の事業などを定めた定款を変更する場合、議決権のある株式総数の3分の2以上の賛同を得ることが必要。他の株主の支持をどこまで広げられるかが焦点となる。 ※ 可決以前に、このようなアクションを起こすことにこそ意義があるのだ。 3月19日は、「カメラ発明記念日」 です。 ◇ カメラ発明記念日 1839年3月19日、フランスのルイ・マンデ・ダゲールが写真機を発明しました。 この写真機は「ダゲレオタイプ」(銀板写真)と呼ばれ、長時間露光が必要なために写真機の前で長い間、じっとしていなければならない厄介なものでしたが、「生き写し」の写真の魅力は当時の人々を魅了し、大変な人気を集めました。 ※ 関連記念日:カメラの日= <11月30日> ◇ ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(1787年〜1851年) フランスの画家、写真家。史上初めて実用的な写真技術を完成した人物として知られる。写真の研究を行う前は、パリで舞台背景画家・パノラマ画家・ジオラマ作家として活躍。同じく画家で先に写真研究を開始していたニセフォール・ニエプスとともにカメラの研究を開始。ニエプスは、1826年に最初の写真術であるヘリオグラフィーを発明し、世界最初の写真を残しているが、露光時間8時間と長く、実用化できるものではなかった。 ダゲールはニエプスの死後も研究を続け、1839年に銀板写真を発表。このカメラは発明者の名前をとってダゲレオタイプと呼ばれ、露光時間を最終的には1〜2分にまで抑えることに成功し、肖像写真の撮影も容易なものとなった。 ◇ ダゲレオタイプ ( 仏語:daguerréotype ) ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールにより発明され、1839年8月19日にはフランス学士院でも発表された世界最初の実用的写真技法であり、湿板写真技法が確立するまでの間、最も普及した写真技法と言える。 銀メッキをした銅板などを感光材料として使うため、日本では銀板写真とも呼ばれた。その技法を採用した世界最初の写真用カメラが「ジルー・ダゲレオタイプ」と呼ばれるものです。 ダゲレオタイプのもっとも大きな特色は、ポジティブ画像をダイレクトに得る写真技術であると言えます。ダゲレオタイプ以降に登場した写真技術では、基本的に明暗の反転したネガティブ画像を得て、そこからポジティブ画像をプリントする方式が主流であったのに対し、ダゲレオタイプは銀板上に焼き付けられたポジティブ画像そのものが鑑賞に供される画像となります。つまり、ダゲレオタイプ撮影された写真は、オリジナルの一枚しか存在しないことになります。またダゲレオタイプに使う銀板は不透明なので、感光面側から像を鑑賞する形となり、左右反転の像を見ることになります。また、接触などによって銀板上に定着した像が傷つきやすいのもダゲレオタイプの欠点の一つで、ガラスなどで保護する対策が必須となる。 最初期のジルー・ダゲレオタイプは露光時間が日中で10〜20分かかり、肖像写真に使えるようなものではなかったが、明るいレンズの開発と感光材料の改良によって1〜2分程度の露光時間ですむようになった。これは普及し始めた時期の写真湿板とほぼ同様の性能だった。 カメラ・オブスクラ(素描を描くために使われた光学装置で、光景を平面硝子に表示できた)の画像を固定して残そうとする試みは、18世紀末以降さまざまに行われてきた。最も早く発表されたのは1802年発表のトーマス・ウェッジウッドによる硝酸銀を用いた方法だが、彼は得られた画像を定着させる方法にたどり着けなかった。 ◇ 今日の誕生花・シダレザクラ(バラ科) 花言葉は、「優美」。 蒲公英やローンテニスの線の外 子規 ※ ローンテニス:テニスの古称、ローン( Lawn )は芝生。 大寺を包みてわめく木の芽かな 虚子 しだれつゝこの世の花と咲きにけり 藤田湘子 まさをなる空よりしだれざくらかな 富安風生 たそがれてあふれてしだれざくらかな 黒田杏子 朝に匂い昼にたゆたい夕べには 優しく佇てりシダレザクラよ 鳥海昭子 |

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