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平成24年3月21日(水)昨日:地下鉄サリン事件17年、霞ヶ関駅などで黙祷。 オウム真理教による地下鉄サリン事件から17年を迎えた20日、事件現場の東京・千代田区の東京メトロ霞ヶ関駅など6駅に献花台が設けられ、被害者や駅職員らが犠牲者の冥福を祈った。 1995年3月20日の事件の死者は13人、負傷者は6000人以上。職員2人が死亡した同駅では、事件発生とほぼ同時刻の午前8時に職員24人が黙祷した。(祈) ※ 世に恐るべきもの … 人の心の闇。世に誇るべきもの … 人の心の霊性。 或る死刑囚の詠める句:わが裸 鬼と佛とあい棲める…胸に刻みて生きざらめやも 3月21日は、映画『 また逢う日まで 』の公開日 です。 1950年3月21日、映画『 また逢う日まで 』が公開されました。(東宝) 『また逢う日まで 』は、昭和25年3月21日に公開された恋愛映画で、ロマン・ロランの『ピエールとリュース』を翻案し、戦時下における若者たちの悲恋を描いた。主演の岡田英次と久我美子によるガラス越しのキスシーンは、日本映画史における屈指の名シーンとして名高い。 昭和18年、空襲下の東京。二人の若い男女が出会う。 田島三郎は空襲警報が鳴り響く地下鉄ホームで、美術学校の生徒・小野螢子と遭遇する。軍国主義に何の疑問も持たない法務官の父と、陸軍中尉である兄に嫌気がさしていた三郎は、母と二人暮らしながらも明るく希望を抱いて生きる螢子に惹かれる。二人の間には次第に純真な恋心が芽生える。やがて戦況は悪化の一途をたどり、ついに三郎にも召集令状が届き、二人に別れの日が訪れる。しかし … 、さらなる残酷な運命が若い二人を待っていた。 螢子の家庭は母と二人、螢子の先生のアトリエに留守番として住んでおり、螢子は小さな画家の卵として、貧しい生活を支えるために似顔絵を画いていた。母は工場に勤めていたが、この母と子はあふれるほどの愛情に満ちていた。三郎はそんな明るい螢子と逢っているときだけが、幸福を満身に感じる時だった。三郎の友人は次々と召集された。二人は慌しく追われる様な日々を過ごす。そしてついに三郎にも赤紙が来た。 あと二日 … 、最後に逢う日、三郎の姉・正子が防空訓練で倒れ、亡き一郎の子を流産する。姉の介抱をしなければならず、三郎は螢子との約束の場所へ行けなくなった。しかもその頃、その約束の場所に空襲の爆弾が落ちる。螢子の若い命はあっという間に吹き飛ばされてしまった。三郎の応召の日が一日早まり、螢子の見送りの姿もなく三郎は出立する。 昭和二十年八月、三郎の肖像画は黒い布でつつまれていた。傍らのラジオが戦争の終わりを告げている。その肖像画は、かつて螢子が描いたものだった。 時は過ぎゆき … 『 また逢う日まで 』 尾崎紀世彦 昭和46年 ◇ 今日の誕生花・ハナノキ(カエデ科)(別名:花楓) 花言葉は、「信仰」。 一桶の藍流しけり春の川 子規 ※ 明治28年の作。碧梧桐がこの句を評して、「実際桶に入れて藍を棄てたといふので無くて、染物を洗ふ為め水の染んでゐる具合を云々」とした。 だが、当人である子規の趣向は違っていた。子規答えて曰く、「併し余の趣向はさうで無い。実際一桶の藍を流したので、これは東京では知らぬが田舎の紺屋にはよくある事てある」。 山の雪解けなどで水量の増加した春の川へ、染物屋が一桶の藍を棄て流した。はじめは川水に溶け込まず、一すじの藍色の帯になって流れていた藍は、やがて川水と混り合ってまたたく間に藍色の水に変ってゆく。無色透明の川の水が瞬時に藍色に染ってゆく変化が、一句の中心である云々。 確かに、作者が実際に藍を流している景だと断言するのだから、この鑑賞でいいのだろう。 でもしかし、小拙は断然碧梧桐を推す。作者子規がどうであれ、鑑賞は句に接する当事者のもの。作者を凌ぐ鑑賞もまた短詩形の妙味醍醐味。子規、また以って瞑すべし。 たんぽぽの黄が目に残り障子に黄 虚子 ※ 目に残りやすい黄色の残像を児童風に詠んだもの … 。 春風や右に左に子をかばひ 中村汀女 客来れば客間となりて暖かし 村越化石 紅いろのハナノキの花咲きたりと 習いはじめし絵てがみ届く 鳥海昭子 |

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