|
平成24年4月10日(火)昨日:水泳、金メダル取れば3千万円 日本水連発表。 日本水連は9日、ロンドン五輪の競泳で金メダルを獲得した選手に、協賛社のGMOクリック証券から3千万円が贈られると発表した。銀メダルは300万円、銅メダルは100万円。 ※ 名誉に金もついてくる、モチベーションがイヤでも高まりそう … 。 4月10日は、黛 敏郎の命日 です。 ◇ 黛 敏郎(1929年〜1997年) 作曲家 神奈川県横浜市生まれ。旧制横浜一中(現神奈川県立希望ヶ丘高等学校)から1945年、東京音楽学校(現・東京藝術大学)に入学、橋本國彦、池内友次郎、伊福部昭に師事。在学中はブルーコーツ等のジャズバンドでピアニストとして活動。1949年に卒業、研究科へ進学。1951年に研究科卒業。同年最初の国産カラーフイルムによる総天然色映画『カルメン故郷に帰る』で、ブギ調での同名の主題歌作曲を担当した。 『涅槃交響曲』 第二楽章 「首楞厳神咒」 同年8月、フランス政府受け入れの留学生として、音楽学校同級生の矢代秋雄らと共にパリ国立高等音楽院に入学するが、教育内容への反発から、一年で退学し帰国。1953年、芥川也寸志、團伊玖磨と共に「3人の会」を結成。以後作曲家として活動をはじめる。 代表作となった「涅槃交響曲」では、声明を模した男声合唱を取り入れ、さらに鐘の音をNHK電子音楽スタジオで音響スペクトル解析した上でオーケストラで再現した。「カンパノロジー・エフェクト」と自ら呼んだこのアイデアは、奇しくも現在フランスの現代音楽シーンの主流を占めるスペクトル楽派の一人トリスタン・ミュライユの管弦楽曲「ゴンドワナ」を約20年先取りするものだった。 クラシック関係以外の音楽では、『赤線地帯』『豚と軍艦』『天地創造』『黒部の太陽』など、多くの映画音楽を手がけたほか、日本テレビのNNNニュースのテーマ曲なども作曲している。 同じく日本テレビのスポーツ番組のテーマ曲である「スポーツ行進曲」は、『全日本プロレス中継』のオープニングでも使われ、またプロレスラー・ジャイアント馬場がリング入場の際に使用していたことから、別名「ジャイアント馬場のテーマ」とも呼ばれた。プロボクサーで世界フライ級王者だった大場政夫も入場に用いた。 1964年より終生にわたり、音楽番組『題名のない音楽会』で司会を務め広く周知された。なお同番組は、東京12チャンネルで放送開始され、後に日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)に、放送移籍した珍しい経緯がある。 1970年代前後には楽壇では珍しく保守派文化人となり、70年代後半に結成され論憲・改憲を提唱する保守系団体「日本を守る国民会議」議長を務めた(現:日本会議)。このような保守的政治活動のために左派色が強い楽壇からは事実上排斥され、後期の作品は生活のために書いた宗教音楽や実用音楽などが主となり、2曲の歌劇(『金閣寺』と『古事記』)などを除き純音楽の創作は極端に少なくなった。1977年夏に、保守派の活動を通じ親交があった中川一郎(当時自民党国民運動本部長で、総理・総裁は福田赳夫)の要請を受けて、新たに創設された党友組織・自由社会を守る国民会議(自由国民会議)の初代代表に就任し終身務めた。なお1992年夏に「国民会議」議長として、宮澤内閣官房長官であった加藤紘一らが中心に進めた今上天皇・皇后のご訪中反対国民運動の先頭に立ち、中川や自身の共通の親友・石原慎太郎や、中川の遺児中川昭一、平沼赳夫(中川の秘書でもあった)らと共闘した。 『スポーツ行進曲』 1997年4月10日、肺を原発巣とする転移性肝腫瘍による肝不全のため、入院中の神奈川県川崎市内の総合新川橋病院にて死去、68歳。神奈川県にある曹洞宗大本山総持寺の境内墓地に眠る。夫人は元女優の桂木洋子。長男に演出家の黛りんたろう。実弟に朝日新聞学芸部編集委員だった黛哲郎がいた。 ◇ 今日の誕生花・ヤマザクラ(バラ科) 花言葉は、「あなたに微笑む」。 ねころんで書よむ人や春の草 子規 咲き満ちてこぼるる花もなかりけり 虚子 山又山山桜又山桜 阿波野青畝 (やままた山やまさくら又山櫻) ひかり降るごとく雨来て山桜 茨木和生 下り来し山見返れば 一本の山桜午後の陽あびている 鳥海昭子 |

- >
- 生活と文化
- >
- 祝日、記念日、年中行事
- >
- その他祝日、記念日、年中行事



