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平成24年4月19日(木)昨夜:中日・中田賢が投打に活躍するも、完投を逸す。 < 中日 5―2 巨人 > (18日・ヤゴヤドーム) 中日は中田賢一投手(29)が投打に大活躍した。九回に2点を失って岩瀬の救援を仰ぎ、「投げきりたかった」と悔しがったが、ストライク先行の投球で八回まで二塁も踏ませず。打っては三回に相手の失策を誘って先制点を導き、五回には右中間を破る適時二塁打を放った。 高木監督も「何と言っても中田がよく投げた」と、就任後の巨人戦初勝利にご満悦のご様子。中田賢も「3試合で一番リズムがよかった。いい方向に向いているので継続していきたい」と充実の表情。 だが、中日の対巨人戦績は1勝3敗1分で、開幕大不調の原巨人を復活させた張本人でもある。 巨人は、8回まで中日先発の中田賢一に3安打無得点に抑えられたが、9回に反撃開始。坂本の2号ソロを皮切りに、長野、村田、高橋由が安打を放って、もう1点を加えた。原辰徳監督(53)は「少し掛かりが遅かった。でも次につながるというか、大事なところですね」と、最終回の2得点には一定の評価を下した。 ※ ホントに今日が大切です。巨人も、中日も … 。 4月19日は、二代目・桂枝雀の命日 です。 ◇ 二代目・桂枝雀(1939年〜1999年) 本名:前田 達(とおる) 兵庫県神戸市生まれの落語家。三代目・桂米朝に弟子入りして基本を磨き、その後、二代目桂枝雀を襲名して頭角を現す。古典落語を踏襲しながらも人一倍の努力と類稀なセンスで、客を大爆笑させる独特のスタイルを開拓した。出囃子は『昼まま』。実の弟はマジシャンの松旭斎たけし。師匠の米朝と並び、上方落語界を代表する人気噺家となったが、1999年3月に自殺を図り、意識が回復する事なく4月19日に心不全のため死去、59歳。 同世代の噺家の間では、「東の志ん朝、西の枝雀」とも称されていた。「上方の爆笑王」「孤高の哲人」との異名を取った上方落語界の“異人”だった。 1939年、神戸市灘区にブリキ工を営む父の長男として前田達は生まれた。1945年6月、5歳の時に戦災に遭い、父親の出身地である鳥取県倉吉市に疎開。小学校1年入学間もなく兵庫県伊丹市に移り住む。中学卒業後は進学を希望していたが、父が亡くなるなど家計が苦しく、夜間の伊丹市立伊丹高等学校の定時制に進学。日中は三菱電機伊丹製作所で養成工として働いたり、兵庫県立伊丹高等学校で給仕の仕事をしたりと家族を支えた。そんな多忙な中でも勉強は怠らず、高校へは首席合格。そのため入学式では入学生代表の挨拶を務めた。特に高校生の頃から英語の学力はかなりのものであり、専門書を読めるほどで、後の英語落語にも繋がる。 1960年に神戸大学文学部に入学するが、1年間通った後に「大学がどんなとこか大体分かりました」とあっさりやめる。 三代目桂米朝に入門し落語の道を志す。「十代目・桂小米」と命名された。内弟子としては米朝の一番弟子。1962年4月に千日劇場で初舞台。小米時代は内容の設定を深く掘り下げ、大阪では珍しい繊細で鋭角的なインテリ的な落語だったという。声が小さい場面もあり、米朝から「後ろの人は聞こえんぞ」とたしなめられることもあった。客層はいつも笑う人といつも笑わない人に分かれたらしい。 間もなく、女性浪曲漫才トリオ『ジョウサンズ』でアコーディオンを弾いていた日吉川良子と出会い、「あんたみたいな天涯孤独な人探してたんや」と結婚を申し込む。夫人によれば、落語を喋っていた時の大らかで陽気な性格とは違い、家ではひどく陰気で世間話もせず、テレビも見なかったので驚いたという。 落語だけに専念したいと言うことで、それまでの芸能仕事をやめ、家でひたすらネタ繰りに没頭するようになる。 1973年のある日、タクシーから降りた小米は「演芸場に行くのが怖い」と言って、その場にしゃがみ込む。夫人は「えらいことが起きました」と米朝に連絡し、急ぎ病院に連れていったところ、重い鬱病と診断された。 家庭ができて将来に対して過度なプレッシャーを感じ、また自分の芸に対しても極限まで思いつめるところがあったという。 「死んだら人はどうなるんや」「死ぬのが怖い」「わしはビニールの病気や」などと口走り、食事も取らず、風呂も入らず、顔は青ざめ、家に籠もりっきりになってしまった。夫人には「自分は幸せにしてやれないから別れてくれ」と泣いて頼み込むこともあったという。いくつかの病院を回ったが、快方には向かわなかった。最後にいった病院で、「今必要なのは休息です。薬はいりません。自分が不安に思っていること全て話してください。そしてまた不安になったらいつでも来てください」と言われ、胸がすーっとなったと言う。3ヶ月間のブランクを経て、小米は高座に復活した。そして、それまでは私生活で陰気に過ごしていた時も、常に陽気で明るくいることを決意した。「ずっと笑いの仮面をかぶり続ければ、いつかその仮面が自分の顔になる」という気持ちからだった。 1973年10月に大阪道頓堀の角座で、「二代目・桂枝雀」を襲名。(笑福亭枝鶴、桂福團治とのトリプル襲名) これを機にそれまでの落語を大きく変えた。高座では笑顔を絶やさず、時にはオーバーアクションを用い、それまでの落語スタイルの概念を大きく飛躍させ、どんな客も大爆笑させる落語であった。客の受けは非常によく、枝雀の評判はどんどん上がっていき、米朝と時期を分けて独演会を行うようになっていった。1983年(昭和58年)芸術選奨新人賞受賞。 関西の噺家で独演会を行い、いつでも客を大入りにできるのは桂米朝と枝雀だけといわれた。 1994年5月、枝雀一門8人は上方落語協会を脱退する(一部弟子、孫弟子が2008年暮れに復帰)。 そして、鬱病が再発する … 1997年頃に鬱病が再発。 高座の枕で「私、また鬱病になってしまったんです」と話したり、「色んなことを試みてるうちに、自分の落語が分からなくなってきた」と泣いたりすることもあったと言う。客が冗談だと思って笑うと、本人は涙を流しながら否定する、それが客のさらなる笑いを誘う、といった悪循環にも陥った。 一旦は回復しかかったものの、1999年3月13日に自宅で首吊り自殺を図っているところを発見され、病院に搬送された。このとき枝雀の体を降ろしたのは桂雀々であった。しかし、意識が戻ることなく同年4月19日に心不全のため死去。遺書や、それらしい言葉も全くなく動機は不明。枝雀の突然すぎる死に、米朝や弟子の南光らは悲しみ、マスコミも大きく取り上げた。墓所は中山寺。 「枝雀の顔を見ただけで、あー、おもろかったと満足していただけるような芸人になりたい」 「私の中に私を見てる枝雀がいて、これが私になかなかオーケーを出してくれなかったんです。それがこの頃はだいぶオーケーに近づいてきた。見ててください、もうじき自分の落語を完成させます」(1996年末のコメント) 「枝雀は私よりも大きい存在になると、ずっと思っていたからね。自分よりも一皮むけて上に行くことを私は期待していた」 「枝雀がいなくなって、私は荷物が重くなった。ぼつぼつ楽しようと、仕事の半分ぐらいを任せかけていた時だったのに。もう私なんか、ムチ打ってもあきまへんわな。なのに、そうもいかなくなってしまいました」 「死ぬよりほかなかったのかと今は思う」(三代目桂米朝 のコメント) ◇ 正恩氏、軍事パレードで「あれ撃ったことあるのか?」(4月18日) 17日付の東亜日報は、米韓両軍当局が分析した結果、北朝鮮で15日行われた故金日成(キムイルソン)主席生誕百年の軍事パレードで、金正恩第一書記が公開披露される兵器を指さして、隣に立つ軍幹部に「あれ、撃ったことあるのか」などと質問を浴びせていたことが分かった、と報じた。 同紙によると、米韓両軍の情報要員が中継映像で金第一書記や軍最高幹部三人の口の動きから会話内容を解析中という。金第一書記と三人の権力関係や北朝鮮の兵器情報を把握するためという。 大陸間弾道ミサイル(ICBM)級と推定される新型ミサイルが現れると、金第一書記は会心の笑みを浮かべて「いいぞ、いいぞ」と喜んでいた。新型戦車や自走砲の隊列が登場すると、「今日は本当に多いな … 」と話したり、「すべて戦車でしょう」と聞き返したりした。新しい兵器が出てくるたび、「あれは握って引くのか?」などと幹部を質問攻めにした。 韓国軍関係者は、金第一書記が終始、笑顔と大きな身ぶりで質問したのと対照的に、軍幹部三人は手で口元を隠して慎重に答えていたと指摘。兵器の情報を外部に知られるのを防ぐためとみられる。 若い最高司令官の立場を示すように、金第一書記は目上の人に対する丁寧な言葉と、対等あるいは目下に対する言葉を交ぜながら使っていたという。 ◇ 北朝鮮が「ソウル吹き飛ばす」 韓国紙が正恩氏を中傷と抗議(4月18日) 北朝鮮の朝鮮中央通信によると、朝鮮人民軍最高司令部の報道官は18日、韓国のメディアや団体が、金正恩第1書記を侮辱したとして、「ソウルを吹き飛ばすための特別行動措置が取られる」との声明を発表した。 それによると、韓国紙などが、15日の金日成主席生誕100年記念の軍事パレードを閲兵した正恩氏を中傷したとして、「挑発者に無慈悲な洗礼を与える」とした上で、「閲兵式で示された強力な攻撃手段が、そのまま我々の攻撃戦につながる」と、武力挑発を示唆した。 ◇ 今日の誕生花・ヤグルマギク(キク科) 花言葉は、「教育」。 行春や鳥啼魚の目は泪 芭蕉 門しめに出て聞て居る蛙かな 子規 遠足のおくれ走りてつながりし 虚子 誰となき人なつかしやおぼろ月 樗良(ちょら) ※ 三浦樗良(1729年〜1780年)江戸中期の俳諧師。志摩生れの伊勢育ち。 水に浮く蛙の目どこ見てゐるや 右城墓石(うしろぼせき) 何ごとか何ゆえか胸の空まわる 矢車菊の淡い青いろ 鳥海昭子 |

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