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平成24年4月26日(木)昨夜:谷繁の同点HR、&サヨナラ阻止の好ブロック。 < ヤクルト 1―1 中日 > (25日・神宮球場、延長11回) ヤクルトは三回に相手の暴投で先制したが、その後は追加点が奪えず、十、十一回のサヨナラ機も生かせなかった。中日は七回に谷繁の1号ソロで追い付いたものの、八、九回と逸機が続き、勝ち越せなかった。 神宮の大歓声が一瞬にしてため息へと変わった … 。延長11回ヤクルト2死二塁の場面、中村の中前打で代走・野口が一気に本塁を突くが … 、タッチアウト、本塁憤死、サヨナラ機を逸した。 右脇腹を痛めた森野が抹消、さらに突然のインフル禍で山崎、野本も消えた。そんな中、迎えた25日の神宮ヤクルト戦。手負いの竜を救ったのは41歳の谷繁元信捕手だった。7回、石川から左翼への同点弾。これが歴代単独2位、ルーキー年からでは史上初となる24シーズン連続本塁打となった。この大ベテランの「歴史的一発」で追いつき延長11回引き分け。主力不在の非常事態は、まだ続くけれど、目指す三連覇の大目標もこの試練を乗り切ってこそ … 。 ※ 岩瀬にしても、浅尾にしても、率直に言って心許ない。長いペナントレースを考えれば、不安材料に事欠かないけれど、それを遣り繰りするのが高木監督のお役目であり、愚痴や非難ばかりではついてくる選手はおりません。 4月26日は、栗山英樹の誕生日 です。 ◇ 栗山英樹( 1961年生まれ ) 東京都小平市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球解説者・野球評論家、スポーツジャーナリスト、スポーツライター、大学教授。2012年からは北海道日本ハムファイターズの監督を務める。プロ野球史上初の国立大学出身の監督。 ヤクルトの入団テストを受け、ドラフト外入団が決まった。 1年目の1984年に遊撃手として一軍デビューを果たすも、プロのレベルの高さに衝撃を受け、野球を辞めることばかり考えていたという。それでも生き残りをかけ、2年目からは、俊足を生かしたスイッチヒッター、外野手への転向を試みる。 二軍での猛練習が功を奏し、3年目の後半には1番中堅手のレギュラーに定着、規定打席不足ながら打率.301をマーク。 しかし、プロ2年目から平衡感覚が狂う三半規管の難病であるメニエール病に苦しむようになり、試合中に突然目まいや立ちくらみを覚えるようになる。 3年目のオフには長期入院して治療に専念し、4年目の開幕には間に合ったものの、入院期間のブランクによる調整不足からレギュラーを外される。シーズン後半からは二軍で練習に専念したが、その年のオフのユマキャンプで今度は左足の肉離れを起こす。5年目の1988年は、肉離れの影響で開幕2ヶ月を棒に振ったものの、前年の猛練習の成果もあって1番中堅手に定着し、規定打席にやや不足ながら打率.331を記録しヤクルトの4位浮上へ貢献。6年目の1989年には主に2番中堅手で開幕からレギュラーに定着。初の規定打席を記録し、打率.255に終わったものの犠打40を記録、守備範囲の広さを評価されてゴールデングラブ賞を獲得。1990年に野村克也が監督就任すると、当時無名だった柳田浩一の中堅手抜擢により、再びレギュラーの座を追われた。さらに右肘の故障やメニエール病再発の不安から、現役を引退。 記録としては1989年6月4日に、1試合4犠打を神宮球場の対中日戦で達成している。 入団当初から体力的にも技術的にも他の選手に劣り、その差を猛練習でカバーしてきた栗山にとって、他の選手以上の練習ができなくなるということはすなわち引退を意味していた。本人も、選手生命がそれほど長くはならないことを悟っていたようだ(通算7年)。 引退後の1991年から2011年は、野球解説者・スポーツキャスターとしてテレビ朝日、TBSテレビ・ラジオに出演。スポーツニッポン専属野球評論家も務める。そのかたわら、母校東京学芸大学の講師を務め、少年野球の普及育成に努めた。2004年からは白鴎大学助教授、2007年から准教授。2008年に教授に昇進。経営学部教授としてスポーツメディア論・野球型などを専門分野としていた。 北海道の栗山町から観光大使を依頼され、栗山町民との親交を深めたことがきっかけで、私財を投じて天然芝の野球場と練習場などを兼ね揃えた「栗の樹ファーム」を2002年に完成させている。「栗の樹ファーム」では少年野球教室や大会が開かれ、子どもたちの夢を育む舞台にもなっている。2009年にはこの功績が認められ、芝生学会より日本芝生文化大賞を受賞。また、同所に本拠を移している関係もあり、日本ハムファイターズが本拠地を東京から移す直前の2003年からはHBCラジオをはじめとする道内放送局のファイターズ戦中継でも解説を行っていた。 2011年11月3日、北海道日本ハムファイターズの監督就任(梨田昌孝の後任)が決定。契約期間は2年。背番号は「80」に決定。三原脩への憧れに因む。 ◇ 日本ハムが首位に、「野球の神様が微笑んでくれている」(4月25日) < 日本ハム 5―1 ロッテ > (25日・東京ドーム) 日本ハムが首位に返り咲いた。日本ハムは先制された直後の1回裏、糸井、陽の適時打で2点を奪い逆転に成功すると、4回には田中の適時打などで加点。7回にも陽の適時打でリードを広げた。先発・八木が6回1失点の好投で今季2勝目。ロッテは、連勝が3でストップした。 栗山英樹監督は試合を振り返り、「稲葉のおかげだね」を連発した。 「稲葉のおかげだね。こうなったら(2000本安打まで残り2本)それしか言いようがない(笑)。稲葉に関しては何も言うことがない。2000本で苦しむ中、彼はチームを勝たせてくれる。昨日やられて、今日は大事なゲームだったが、チームのためにやるのがいかに大切か、みんなに浸透させてくれている。俺から言うことはない。 (プレッシャーがかかる状況だが … )どっちのゾーンにはまるかだが、良い方向に入っていけた。あと2本? ここまで来たらね。彼の生き様を見て、野球の神様が微笑んでくれている。昨日は糸井がデッドボールになった後、俺のところに来て『外野を守りましょうか?』と言ってきてくれた。チームのことしか考えていない。野球選手として何をしなければという思いがあるから、野球の神様と仲良くできる。分かっていたつもりだったけど、一緒にプレーして確認できる。 あと、一発目の(田中)賢介のスタートだね(初回に盗塁)。よくいってくれた。初回が始まって(先制を許す)苦しい状況で、一発で流れを変えてくれた。選手がすごいね。チームの底力。ファイターズが作ってきたもの。俺は何もしていない」。 ◇ 「陸山会事件」の小沢氏に無罪判決(4月26日) 資金管理団体「陸山会」の土地取引を巡り、政治資金規正法違反(虚偽記入)に問われた小沢一郎民主党元代表(69)に対し、東京地裁は26日午前、無罪(求刑・禁錮3年)の判決を言い渡した。 政界の実力者に無罪判決が出たことで、今後の政局に影響が出るのは必至。検察官役の指定弁護士は控訴するかどうか検討する。 小沢元代表は、東京地検特捜部による捜査の結果、嫌疑不十分で不起訴となったが、東京第5検察審査会が2度にわたり「起訴すべきだ」と議決したため、昨年1月に強制起訴された。同年10月に始まった公判では無罪を主張していた。 起訴状では、小沢元代表は、陸山会が2004年10月に東京都世田谷区に秘書寮用地を購入した際、同会に貸した現金4億円を2004年分の政治資金収支報告書に記載せず、土地代金の支出を翌2005年分の収支報告書にずらして記載することについて、当時の秘書の報告を受け、了承したとされた。 陸山会事件では、同会元事務担当者・石川知裕衆院議員(38)ら元秘書3人が同法違反で起訴され、昨年9月、同地裁で執行猶予付きの有罪判決を受けて控訴している。 2009年5月施行の改正検察審査会法で強制起訴制度が導入されて以降、強制起訴事件での無罪判決は今回で2件目。 ※ 強制起訴と言う制度が存在する事に、違和感を感じる向きは少なくないだろう。民意を、誘導ないしは扇動することに成功すれば、「無辜」の対象を起訴することも可能な制度とも言える。誰しも、小沢元代表を清廉潔白の人士とは思わない。まさに、旧タイプの悪徳政治家のイメージではある。だが、旧タイプであるだけにアナログ的手法には長けている。検察が束になっても尻尾は掴ませないだろう。傍証は、どれだけ丹念に積み上げても傍証にしか過ぎない。小沢元代表を有罪にしても、さしたる不都合は生じない … 、程度のことなのだ。 吾が身に引き換えれば、これで有罪にされては堪らないと思うのだ。きっちりと、直接証拠を見せてくれと、言いたくもなろう。 法とは極めて多面的に作用する。民意を汲み取るべき手段が、国策捜査に援用されるとは … 。 ◇ 今日の誕生花・ケマンソウ(ケシ科) 花言葉は、「あなたについていく」。 うつくしき春の夕や人ちらほら 子規 蝶々のもの喰ふ音の静かさよ 虚子 膝ついて土やはらかし華鬘草 大石悦子 華鬘草咲きつぎつぎに吹かれけり 横田照子 ケマンソウあなたとともに歩みきし 金婚式の朝を咲きたり 鳥海昭子 |

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