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平成24年5月7日(月)速報:ダルビッシュの6度目登板は4失点中 … 。 < インディアンス 4―2 レンジャーズ > (6日・クリーブランド) ダルビッシュが6度目の登板。自身の無傷の開幕5連勝を懸け、ア・リーグ中地区首位のインディアンス戦に先発し、五回にキプニスに右翼席へ本塁打を浴び0−4でリードされた。 一回、マイナーから昇格し5試合目の出場となる先頭のデーモンに2球目の141キロを右前に運ばれ、キプニスに四球。ここで3番・カブレラはバントを試みるも失敗し、3球目のカーブで空振り三振。4番・ハフナーを外の151キロで三邪飛、5番・サンタナをカーブでニゴロに仕留め、無失点でしのいだ。 続く二回も、先頭の秋信守にフルカウントから四球を与えるも、ブラントリーを外のカーブで見逃し三振。コッチマンの2球目、秋に二盗を許したが、コッチマンは二飛。ハナハンを低めのカーブで空振り三振に斬ってとり、何とかピンチを切り抜けた。 しかし続く三回、先頭のデーモンは二塁への飛球に打ち取ったものの、キンスラーが打球を見失い不運な安打になる。キプニスに四球を与え、カブレラに一塁線を破られる二塁打を浴び、デーモンに続きキプニスもホームイン。ハフナー、サンタナからは連続三振を奪ったが、秋の遊撃左のゴロを、アンドラスがスタンドに投げ込む、とんでもない悪送球で3点を先制された。 四回は初めて三者凡退に抑えたが、五回に先頭のキプニスに甘く入った146キロを右翼席に叩きこまれ、4点目を失った。 ダルビッシュ、不運も重なり初黒星、6回4失点でもメジャー最多11K 6回まで112球を投じ、メジャー最多の11奪三振も、6安打4四球4失点(自責3)でメジャー初黒星。防御率を2.54に下げた。レンジャーズは2−4で敗れた。 インディアンスはダルビッシュ対策で、9人全員左打者を並べるオーダー。初回、二回と先頭打者に出塁を許し、得点圏に走者を置きながらも切り抜けたダルビッシュだが、三回に度重なる不運が襲いかかった。 しかし、4月19日のタイガース戦以来2度目のコンビとなったトレアルバの、緩急を上手く使ったリードで、五回にサンタナから高めの直球で三振を奪った以外の10個は、カーブで空振り三振の山を築いた。 八回には上原が3番手で登板し、三者凡退に抑えた。 ※ 初黒星にダルビッシュは、「高校や日本のプロ野球の時にも数多く負けているので、ただの1つの負け。次、しっかりと投げることしか考えてない」と気にしていないようす。4失点ながら11奪三振の自身の投球については、「直球はストライクを取れなかったが、その他の球種で何とか持ちこたえられた」と分析した。 1730年5月7日は、本居宣長が誕生した日です。 ◇ 本居宣長 (1730年〜1801年) 江戸時代中期の国学者 伊勢(現・三重県)松坂の木綿問屋の子として生まれました。父の死後は家業が衰えたので、京都に出て医学を学び、医師の免許を得て、故郷に帰り小児科医を開業する。名を宣長(のりなが)、医師名を春庵と号して診療をする。 1763年、彼は、かねてより敬愛していた賀茂真淵との対面を遂げ、世に「松阪の一夜」として知られるこの会見により、『古事記伝』の執筆にかかるようになります。 彼は真淵に正式に弟子入りし、手紙のやりとりを通して教えを受けながら、古文献に関する研究を進め、35年もの歳月をかけて1798年に大著『古事記伝』を完成させた。彼は書斎を鈴屋(すずのや)と名づけ、諸国に多くの門人をもち度々旅行に出かけています。 人間のありのままの素直な心の動きを「もののあはれ」と名づけ、「もののあはれ」を表現することこそが文学の生命だと説いています。 72歳で亡くなりましたが、遺言により山室山に葬られ、一本の山桜が植えられた。 しきしまのやまと心を人とはば 朝日ににほふ山桜花 宣長 ◇ 今日の誕生花・クリンソウ(サクラソウ科) 花言葉は、「もの思い」。 糞づまりならば卯の花下しませ 子規 ※ 碧梧桐の細君・茂枝子が飼うカナリアが、朝に卵を産んでから身動きもせず、茂枝子が泣き惑っているので、糞がつまったのではないかと、その場の門人らが騒いでいる。子規は、ならば「卯の花腐し(くだし)」と云うのだから、卯の花で「腹下し」させて見てはと、つまらぬ駄洒落を一句にしている。 道々の余花を眺めてみちのくへ 虚子 ※ 余花:春に遅れて咲く桜。 「残花」と言えば、季語は晩夏。 まんかいのさくらがみれてうれしいな 阿部竜成(小学生・岩手県山田町) 葉桜のまつただ中へ生還す 石 寒太 みちのくの雨が綾なす九輪草 河野友人 初夏の気球に笑窪ありにけり 磯貝碧蹄館 朝靄のうごく底からあらわるる 九輪草わが憂いをはらう 鳥海昭子 |

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