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平成24年7月15日(日)昨日:小沢新党への連携広がらず、野党結集の軸欠く。 小沢一郎代表が率いる新党「国民の生活が第一」が始動した。「反増税・脱原発」を旗印に支持を訴え、除名された民主党や自民党に対抗する勢力の結集をめざすのだが … 。 新党ブームの気配は全くなく、野党各党や地域政党との連携も広がりを欠く。早期解散・総選挙に持ち込めるかが新党の生命線になるとみて、今国会での内閣不信任決議案提出に照準を合わせる戦術だ。 ※ 敵の敵は見方、などとも言う。今後の自公の動きが見ものかも知れない。 ◇ 新党大地、鈴木代表は「小沢新党と会派組まず」 新党大地・真民主の鈴木宗男代表は13日、「国民の生活が第一」との国会での統一会派について、「組まない。質問時間確保のために寄り添うことに意味はない」と述べた。新党との連携について「われわれが反対する環太平洋経済連携協定について触れていない」と述べ、政策を見極める考えを示した。 7月15日は、レンブラントの誕生日 です。 ◇ レンブラント・ファン・レイン(1606年〜1669年) オランダの画家 製粉業者の子としてオランダのレイデンに生まれ、成長してライデンのラテン語学校を経てライデン大学に学ぶ。1621年頃から親類のスワーネンブルフに絵を学び、1624年にはアムステルダムのロマニスト、ラストマンに学び、翌年故郷で画家として独立。その後はアムステルダムに出て、外科医組合のために「トゥルプ博士の解剖学講義」を描くなど、上流市民層の肖像画家として活躍していく。 25歳の時に知り合った画家兼画商のヘンドリック・アイレンブルフの又従姉妹のサスキア(レーウワルデン市長の娘)と出会い、28歳で結婚。この時期、彼は絵画の収入と妻の財産により最高の贅沢を満喫した。しかし、彼女は病弱で36歳のときに亡くなってしまう。 その悲しみを乗り越えて、有名な「夜警」を完成させる。これは集団肖像画の注文を亡くなった妻が生前にお金をもらって受けたものだった。ところが、この絵には依頼されていなかった少女がいたり、隊員一人一人が同じ大きさで肖像画に描かれていなかった事などにより、債務不履行と詐欺罪で裁判沙汰になる。これを境に彼の名声は失墜してゆく。 後世に傑作と呼ばれ、世界中で愛され続けてきた作品のために、彼の人生が転落し始めるとは実に皮肉なものです。 その後、「夜警」の不評で急速に注文が減り、さらに愛人関係の破綻のために破産。家財、デッサン、エッチングの原版までもが競売に付されてしまいます。晩年は世に受け入れられず、不遇と失意のうちにその生涯を終えた。かのレンブラントは、身元不明の老人として教会の共同墓地に埋葬された。 彼の絵画は生前は、ついに評価されることはなかった。臨終の際、彼が所有していたものは、着ていた衣服1枚、ハンカチ8枚、頭巾10個、聖書1冊、そして若干の絵道具のみだった。 夜ではなかった「夜警」 今日、「夜警」と呼ばれる傑作は、「フランク・バニング・コック隊長の市民隊」という原題がある。度重なる修復で、ニスを塗り重ねられ暗い部分が更に暗くなってしまい、夜の雰囲気となってしまったもの。「夜警」というタイトルは、後世に付与されたもの。 ◇ 今日の誕生花・ネムノキ(マメ科) 花言葉は、「歓喜」「胸のときめき」。 昼寝する人も見えけり須磨の里 子規 ※ 病床の子規は、海風に吹かれて暮らすことに憧れた。 襖みなはづして鴨居縦横に 虚子 花合歓の夢みるによき高さかな 大串 章 花合歓に夕日旅人はとどまらず 大野林火 どの谷も合歓のあかりや雨の中 角川源義 高野山裏山道をくだりしは 合歓の葉ねむる頃合なりき 鳥海昭子 |

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