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平成24年7月21日(土)昨日:球宴開幕、全セの中村ノリが逆転2ラン! < 全セ 4―1 全パ > (20日・京セラドーム大阪・入場者3万3335人) 全セが二回に中村(DeNA)の2ランで逆転、6投手のリレーで全パの反撃を封じ込んだ。 全パは打線がふるわなかった。 三回、バレンティンの適時内野安打で加点し、五回にもバレンティンが犠飛を放ってリードを広げた。投手陣も館山、能見が2イニングを無失点に抑えるなど全パ打線を4安打1失点に抑えた。全パは一回、陽岱鋼が先頭打者本塁打を放って先制するも、その後は沈黙。六回以降、青山、平野ら投手陣が無安打に封じたが、実らなかった。 最優秀選手賞には11年ぶりに中村が選ばれた。第2戦は21日に松山・坊っちゃん、第3戦は23日に岩手県営の各球場で行われます。 7月21日は、ヘミングウェイの誕生日 です。 ◇ ア−ネスト・ミラ−・ヘミングウェイ(1898年〜1961年) イリノイ州シカゴ市に生れる。医師のクラレンス・エドモンド・ヘミングウェイと母グレイス・ホ−ル・ヘミングウェイとの第二子。姉一人、弟一人、妹三人の六人兄弟の長男。父クラレンスは、禁酒禁煙勤勉という保守的なプロテスタントで、魚釣りや狩猟を好んだ。母グレイスは、音楽と絵画制作にいそしみ、声楽家として生徒に教えるほどだった。 ア−ネストは、幼い時から北ミシガンのワルーン湖畔の別荘で過ごし、父から釣りや猟の手ほどきを受けた。 1917年、「カンザス・シティ・スター」紙の見習い記者となり、翌年、北イタリアのフォッサルタの前線で救急車要員として参戦。迫撃砲弾の破片をうけて重傷、ミラノの赤十字病院で療養。戦後、トロントで「トロント・スター」紙のフリー記者をするかたわら、創作活動を始め、1921年、パリにおもむき、G.スタイン、パウンドらの知遇を得た。その後、戦後の享楽的な青春群像を描いた「日はまた昇る」により、「失われた世代」の代表的作家と目されました。 「武器よさらば」「誰がために鐘は鳴る」「老人と海」(ピュリッツァー賞) などの小説のほか、ハードボイルドな文体を駆使した短編の名手としても知られ、多くの作品が映画化された。1954年10月ノーベル文学賞を受賞。 1960年、60歳のとき健康悪化のため入院。糖尿病と高血圧の持病もありましたが、治療の中心はノイロ−ゼだった。翌年1月に退院後、「移動祝祭日」を書き進めましたが、4月末に再度入院。6月に退院が許され、アイダホ州ケチャムの自宅に戻る。しかし、彼は玄関応接間で死亡する。猟銃を手入れしている最中での暴発事故による頭部損傷の事故死と発表されている。 ※ 父・クラレンスは1928年に自殺。孫娘マーゴは、アーネスト自殺の35年後の同日に自殺。他にもヘミングウェイの家系には自殺者が多いとか。行動的で多動的である反面、躁鬱の起伏が激しい徴候がみられると言う。 生涯の幕引きは、決して一様ならず。 「勇気とは、窮しても品位を失わないことだ」 ヘミングウェイ ◇ この日、江藤淳が自死(1999年)。遺書全文は以下の通り。 心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。 平成十一年七月二十一日 江藤淳 ※ いかに生き、いかに死すべきか? それが問題だ。 曰く、無生死。 ◇ 芥川賞の鹿島田真希さん 直木賞の辻村深月さん 挨拶(7月17日) ◇ 今日の誕生花・ヤマユリ(ユリ科) 花言葉は、「荘厳」。 涼しさやくるりくるりと冷やし瓜 子規 風生と死の話して涼しさよ 虚子 ※ 富安風生(1885〜1979)、虚子の弟子で官僚、ノイローゼに病む。 少年に山百合遠し川深し 飯田龍太 大花火何といつてもこの世佳し 桂 信子 築山を埋めるヤマユリ 大祖を魂集うごと荘厳に咲く 鳥海昭子 |

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