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平成24年8月9日(木)昨日:娘をいじめた相手を殴った父親に罰金30万円。 石川県内灘町の小学校で昨年10月、「長女がいじめを受けた」として、父親(53)が同級生の6年生男児を殴って怪我を負わせた事件があり、金沢簡裁(平鍋勝裁判官)は8日、傷害罪に問われた父親に対し、罰金30万円(求刑罰金40万円)の判決を言い渡した。 判決によると、父親は、約1ヶ月間不登校になった後に通学を再開した長女から「いじめが始まるかもしれないから殴ってほしい」と言われ、10月27日午前8時40分ごろ、小学校の教室で男児の顔を6回ほど殴り、10日間のけがを負わせた。 平鍋裁判官は「娘を助けたいという心情は十分理解できる」としたうえで、父親の行為を「男児やほかの児童に対し精神的に大きな不安と衝撃を与え、保護者や学校関係者にも大きな不安を与えた」と指摘した。 ※ もっともな判決である。人を殴れば刑事事件である。ならばどうして、校内でのいじめが事件として立件されることが極めて稀なのか。 学校と云う特殊な“世界”には、理解を拒む諸々の事象が存在する。学校サイドは明らかにいじめを容認している。見てみぬ振りを強いる力が隠然として存在し、教師は疲弊の内に情熱を失い、日々をやり過ごすようになる。機械的な言辞を弄して、子どもらの生命の危機に鈍感になってゆく。組織が個人を救済することは極めて稀なのだ。 この粗暴な父親の行動は、一条の光を内包する。闇の中にいる者こそ、光を強く希求する。 8月9日は、長崎原爆忌 です。 『ヒロシマの声』(前半のみ) 豊島与志雄 一九四五年八月六日午前八時十五分、広島市中央部の上空に世界最初の原子爆弾が炸裂してから、四年数ヶ月になる。而も今になお、その被害の生々しい痕跡が市内の至る所に残っている。 眼がくらむ閃光、強烈な熱線と放射線、狂猛な爆風……。中空には、巨大な松茸形に渦巻き昇る噴煙、地上には、荒れ狂う火炎……。それが当時の状況で、一瞬のうちに、爆心地から半径約二キロに及ぶ四方を廃墟と化したのだ。 爆心地から五百メートルばかりの所に、大阪銀行支店がある。その正面入口の石段の片隅に、簡単な木柵がめぐらされている。覗いてみると、そこに、ありありと、人影が見られる。 当時、住友銀行といっていたその建物の、入口の石段の片隅に、一人の人間が腰掛けて、恐らくは片肱を膝について頬杖をし、なにか物思いに沈んでいたらしい。そこへ、原爆炸裂の閃光がパッと来た。その人は即死だったろう。然しその影が、石段に刻印された。 石段は花崗岩で出来ている。主成分の石英や長石の白色部分は、閃光を反射すること多く、雲母の黒色部分は、閃光を多く吸収して溶解し、そのため、花崗岩の表面は洗われたように白ずむ。この現象は多くの墓石などにも見られるし、或いは石の表面が剥離してるのもある。前記銀行の石段は雲母が熔解して白ずんだが、人影のところだけ旧態を保った。一瞬の間のことだ。 その黒ずんだ人影は、今もそこに腰掛けて、物思いに沈んでいる。何を考えているのか、などとセンチメンタルなことは言うまい。ただ、その人影を見ていると、こちらの胸に熱い思いが湧き上ってくる。――「もうこんなことはたくさんだ! もうこんな戦争はたくさんだ! 僕の影が、君の影が、多くの人たちの影が、花崗岩の表面に刻印されるようなことは、もう御免だ!」 石の面や壁の面に人の姿が刻印されているのが、当時はいくつも見られて、怪談さえ生れた。現に、ガス会社のタンクには、それを囲む鉄枠の影が、爆心地の方面に濃く刻みつけられている。中央公民館に聚集されている屋根瓦は、いろいろの程度に、表面が溶解して熔岩様を呈している。 原爆炸裂時の熱線が如何に高熱なものであったかは、想像に余りある。長崎の爆弾は更に強力なもので、爆心地付近の屋根瓦の溶解度は、広島のよりも甚しい。広島の比治山には、アメリカの施設による原爆被害調査機関のA・B・C・Cがあるが、機密に属することは固より吾々には分らない。 熱線と共に来る放射線が恐ろしい。広島の赤十字病院には、当時、X光線用の乾板が鉛のケースに収められて地下室にあったが、それがみな原位置のまま感光していた。 この放射線は、生きのびた人々をも多数、所謂原爆症で殺した。無傷な人々までが不思議な死に方をした。嘔気、頭痛、下痢、発熱……次で、脱毛、下痢、高熱……次で、粘膜出血、白血球減少……。火傷の痕はみなケロイド状で、皮膚が盛り上ってゴムを塗りつけたようになる。赤十字病院には今もそういう患者がいる。 或る老婦人は、こういう風に言った。――「広島の明るい面ばかりでなく、暗い面もよく見て下さいよ。」 意味は二様に取れる。主要な街路にはだいたい小さな人家が立ち並び、公共建物もだいたい整備されているが、まだまだ、市民の中には日々の生活に難渋を極めてる者も多く、孤独無縁な者も多い。それから次に、ケロイド状火傷者がたくさんいる。人目につかない部分だけにある者はまだよいとして、顔や手にそれが大きくある者については、殊に若い娘たちの場合は、なんとも言葉には言えない。あまり外にも出ず、なるべく人目を避けてる人たちがずいぶんいるのだ。そしてこの火傷は、細胞組織の変質によるので、現代の外科手術を以てしても治癒出来難いのである。 「このようなこと、もうたくさんではないか!」 而も現在、広島のよりも数倍或いは数十倍の威力を持つ原子爆弾が、出来ているし或いは出来つつある。そしてひとたび戦争が起れば、否応なく第三次世界大戦に突入する可能性が多く、原子力戦になる危懼が大きい。原子爆弾以外にも如何なる武器が製作されるか、予測を許さない。そしてそれらの武器は、もはや、戦争を終熄させるためにではなく、仮借なき人間殺戮のために、全面的破壊のために使用されるだろう。 広島でさえ、原爆による死者は十一万余と、一年後に警察から発表されている。この中には、軍人や軍属は含まれていないし、発表後に原爆症で死亡した数は固より含まれていない。現在でも正確な数字は不明である。全滅した地区もあり、調査が因難なのだ。 そしてその大多数が、殆んど一瞬のうちに死亡したのである。炸裂したのはただの一発だったが、当時はまだ原子爆弾のことが一般には知られておらず、被害地の誰もが、自分のところに普通爆弾の直撃を受けたのだと思った。直径四キロ近くの地域に、無数の爆弾が落ちたことになる。至る所に死体が横たわり、助けを呼ぶ重傷者の声が聞えた。その声も途絶えて、ひっそりと静まり返ると、重傷者たちは思い思いに水を探した。喉の渇きが甚しかったのである。防火用の水槽のまわりには、馬が水を飲むような恰好で、その縁につかまり頭を水面に垂れてる死体が、ずらりと並んだ。川の干潟の渚には、水の方にみな頭を向けて、死者と生者とが相並び、それを上げ潮の川水が徐々に浸していった。 これ以上書くまい。―「もうたくさんじゃないか!」(前半終り、以下は結び) ヒロシマは日本の中に在るのだ。軍備を廃止し戦争を放棄した日本に、平和擁護の声が起るのは当然のことだが、ヒロシマの声は最も痛切である。ヒロシマを忘れてる人がいはしないか。いつ如何なることがあっても、決して武器を手に執らないとの決意が出来ているか。ヒロシマを日本に持つことの苦難な光栄を人類に宣言するだけの覚悟があるか。講和条約が云々される折柄、これは根本的に重要な問題だ。戦争の大半は、人の心の中にある。 ※ わたしの中に、善と悪とが存在する。神とサタンが同居する。生きている。 ◇ 今日の誕生花・ユウスゲ〔キスゲ〕(ユリ科)(夕菅・夕萓) 花言葉は、「麗しき姿」。(ひと日の美) ひややかや喰はれ残りの日の光 子規 ※ 明治29年8月9日の日蝕を詠む。北海道では皆既日食が観測された。 平凡な花火上りて淋しけれ 虚子 ※ 季語として花火は秋。 遠花火ちよぼちよぼとして涼しさよ 虚子。 夕菅の風あつめては散らしては 黛 執 夕菅や叱られし日のなつかしく 伊藤敬子 厩までユウスゲの黄のとびとびに 大野林火 すがやかな黄色なりけり ユウスゲのひらく夕べは友を想えり 鳥海昭子 ※ ユリ科ワスレグサ属(ヘメロカリス属):Hemerocallis(ヘメロカリス)は、ギリシャ語の「hemera(一日)+ callos(美)」が語源で、美しい花が一日でしぼむところから、この名があります。 美は脆性にあり(無常感)。 散らばこそ … 、なくてぞ人は … 。 とは言うものの … 。 3.11以降のわが国では、いつもの当たり前の日常こそが、慈しむべきものとの思いが強い。 ある時はありのすさびに語らはで 恋しきものと別れてぞ知る(古今集)。 |

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