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平成24年10月2日(火)昨日:野田改造内閣への批判「在庫一掃・思い出作り」。 野党からは1日、野田第3次改造内閣への批判が相次いだ。 自民党の安倍総裁は党本部で記者団に「野田首相は『近いうちに解散』という約束をしている。幕引き内閣になろうかと思う」と述べた。早期に衆院解散に追い込み、政権を奪還する意気込みを示した発言だ。 自民党の石破幹事長も、民主党内の入閣待望組が登用されたことについて「在庫一掃」と表現し、「思い出作りのための人事だ」と指摘した。公明党の山口代表は、記者団に「民主党は『1内閣1閣僚』で政治主導を進めようと言ったが、野田政権で3回目の改造だ」と皮肉った。 一方、民主党を離党した議員らで結成した新党「国民の生活が第一」の小沢代表は、「どなたでもいいから、しっかりやってほしい」と述べた。 ※ 分かっちゃいるけどやめられない。政治ってぇのは、こいつに尽きる。 10月2日は、俳諧の山崎宗鑑忌です。(陰暦) ◇ 山崎宗鑑(寛正六年〔1465年〕〜天文22年10月2日〔1553年〕) 戦国時代の連歌師・俳諧作者。本名を志那範重、通称を弥三郎と称し、近江国(滋賀)の出身とされるが、本名・出自については諸説あり定かでない。(近江佐々木氏の後裔とも) 室町幕府九代将軍足利義尚に仕えた(近習とも祐筆とも)が、義尚の陣没(延徳元年、1489年)後、世の無常を覚えて一休和尚の門に入ったという。 摂津国尼崎または山城国薪村に隠棲。その後、淀川河畔の山城国山崎に庵「對月庵」を結び、山崎宗鑑と呼ばれた。 現在、大阪府島本町山崎に「宗鑑井戸」「宗鑑旧居跡」が残されている。大永三年(1523年)ごろ山崎の地を去り、享禄元年(1528年)に、讃岐国(香川県観音寺市)の興昌寺に庵「一夜庵」を結び、そこで生涯を閉じた。 「一夜庵」の名は、宗鑑が長居の客を厭い一夜以上の宿泊を断ったからといい、建物は修復を重ねながら現地に残されている。 宗祇・宗長・荒木田守武などと交流し俳諧連歌を興隆。 上はたち中は日ぐらし下は夜まで 一夜泊まりは下々の下の客 ※ 宗鑑が来客の一夜以上の滞在を許さなかった。彼の感性では、上客は来訪してもすぐに退去するもの、ほどほどの客でも日暮れまでには帰るものだ、一晩泊まる客などは論外で、最低の客と云うべきもので下の下の下だ。と、口を極めて貶しております。 宗鑑の連歌作品として伝わるものはわずかであるが、俳諧連歌のもっとも早い時期に編纂されたものに俳諧撰集「犬筑波集」があり、自由奔放で滑稽味のあるその句風は、江戸時代初期の談林俳諧に影響を与えた。なお、荒木田守武とともに、俳諧の祖と称される。 能筆家としても有名で、生計は書を売ることによって立てていたとも伝わる。 晩年「ヨウ(できもの)」を患い、そのために命を失うことになる。 辞世を「宗鑑はいづくへと人の問うならば ちとようがありてあの世へといへ」となし、その生涯を洒落倒す。。 ◇ 今日の誕生花・キンモクセイ(モクセイ科) 花言葉は、「謙遜」「初恋」。 ぬれ足で雀のあるく廊下かな 子規 椀ほどの竹生島見え秋日和 虚子 家小さく木犀の香の大いなる 高野素十 金木犀こぼれたまりて雨止みむ 久保より江 木犀をみごもるまでに深く吸ふ 文挟夫佐恵(ふばさみ ふさえ) 父に似る人のうしろを従いてゆく キンモクセイのにおう角まで 鳥海昭子 【参照】原監督胴上げ!5年ぶり31回目のリーグ優勝(2007年) http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/37078835.html ※ でも、日本一に輝いたのは、落合ドラゴンズだった。 |

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