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平成24年10月26日(金)昨日:石原都知事が辞任表明、新党結成&衆院選出馬へ。 東京都の石原慎太郎知事(80)は25日午後3時から、東京都庁で緊急記者会見を開き、都知事を辞任することを表明した。 都議会議長に辞表を提出する。自らを党首とする新党を結成し、次期衆院選にも出馬する。大阪市の橋下徹市長(43)が代表を務める新党「日本維新の会」と連携しながら、次期衆院選で民主、自民両党に対抗する第3極勢力の結集を目指す。早ければ12月上旬にも都知事選が行われる見通し。 石原氏は、「東京から日本を変える」をスローガンに、1999年の都知事選で初当選し、現在4期目。 石原氏はこの日、緊急記者会見を開き、「諸般の事情にかんがみて知事を辞職する」「もう一回、国会に復帰しようと思う」などと語った。新党には、たちあがれ日本の平沼代表や園田幹事長ら、同党の衆参国会議員5人が参加する。 石原氏は1968年の参院選で初当選し、1972年に衆院に鞍替えして当選。1975年に都知事選に挑戦したが、現職の美濃部亮吉氏に敗れた。再び衆院議員となり、環境庁長官(現・環境相)、運輸相(現・国土交通相)を務め、1995年に国会議員在職25年を機に衆院議員を啖呵をきって辞職した。 ※ 因みに今日の誕生花・モヨウビユの花言葉は「燃え上がった情熱」(過去形) 10月26日は、浦辺粂子の命日 です。 ◇ 浦辺粂子(1902年〜1989年) 女優 静岡県賀茂郡下田町(現・下田市)出身。本名は木村くめ、寺の娘。 父は、臨済宗建長寺派・長松山泰平寺の住職。「一生食べる米に困らないように」との願いを込めて、「くめ」と付けられる。 1909年、父が河津町見高の洞雲山隠了寺へ移ったため、見高入谷尋常小学校に入学。母の姉が、東京の明治座で吉野屋という売店を経営しており、いつも演芸雑誌や芝居の絵番付に触れていたことから、芝居好きとなる。5年生の時に、隣の稲取町にかかった連鎖劇(トーキー映画と舞台劇を組み合わせた劇)に心を奪われ、今井浜で近所の子と一緒に芝居ごっこに熱中していた。 1914年、父が駿東郡金岡村字岡宮(現沼津市岡宮)の妙心寺派・仏日山常照寺に移るにともなって、金岡尋常高等小学校に転校。1917年に高等科を卒業して、私立の沼津女学校に進学。 この頃から、休日にはよく母と一緒に芝居見物に上京するようになる。市川左団次や松井須磨子の舞台を見ているうちに、本格的に役者への願望が増していき、1919年に女学校中退。当然、家族には猛反対され、父には内緒で母を口説き、20円を借金して家出。 女優への足がかりとして沼津に来ていた奇術団の一座に飛び込み、旅費が工面できるまで「遠山みどり」の芸名で一座とともに全国を巡業する。1921年に山梨県大月に来たとき、やっと一座を抜けて上京。 日活の向島撮影所を訪れるが、守衛から門前払いをくらう。しかたなく、浅草の根岸歌劇団のオペラ小屋である「金竜館」の踊子としてデビュー。しかし芽が出ず、当時、浅草で絶大な人気を誇った浅草オペラの田谷力三からは「君は素質もないし、器量も良くないから、家に帰った方がいいよ」と言われる。 その後、曾我廼家五九郎一座や、大阪の浪花少女歌劇団などに所属。少女歌劇団では芸名を「遠山ちどり」とし、ここで後に溝口健二夫人となる嵯峨千枝子と出会い、「サガチー」「トーチー」と、あだ名で呼び合う仲となる。 鳴かず飛ばずの明け暮れで、易者からは「このまま東京にいると死ぬか大怪我する」と言われる(この年の9月に関東大震災が起こる)。 そこで、昔の仲間を頼って大阪へ向かい、オペラの「沢モリノ一座」、新京極の「中座」と転々とする。だが、新派の「筒井徳二郎一座」と合同公演した際、筒井一座の娘役が急病で倒れたため、浦辺がその代役に立ったところ、座長に認められ筒井一座に移る。この一座の名古屋公演に同行した際は、スター扱いで『月形半平太』などに出演、新聞の演芸欄に名前も載るようになった。 この頃、日活の女優採用試験を受けるように薦められ、六十数人の中から選ばれた五人のうちに入り、ついに夢にまで見た「活動写真の女優」となる。その際、撮影所長から「ちどりなんて、波間に漂っている宿無し鳥で縁起が悪い。静浦の浦を残して浦辺、それに本名のくめは縁起がいいから、子をつけて粂子」と改名を言渡され、芸名を浦辺粂子とした。 日活京都で、尾上松之助の相手役として『馬子唄』でデビュー。日活旧劇(時代劇)女優としては、岩井咲子に続く第2号ということだったが、つく役は女中や腰元ばかり。 その後、結婚により日活を退社・引退するが、離婚して復帰。1932年の「日活大争議」により再度退社し、入江プロを経て、新興キネマ太秦撮影所に入る。 のち、新興の大映吸収にともなって大映所属となる。また、20歳代から老け役女優として活躍しており、太平洋戦争最末期の1945年6月に製作された、飛燕特別攻撃隊が題材の『最後の帰郷』(原作・菊池寛)では、若い特攻隊員(片山明彦)の母親役として出演。 日本映画全盛時代の1950年代からは、名脇役として目覚しい活躍を見せた。成瀬巳喜男、小津安二郎、黒澤明といった名匠の作品にも、多数出演。 その後も活躍を続けたが、1980年代には、テレビのバラエティ番組で「おばあちゃんアイドル」として人気を呼ぶ。タレントの片岡鶴太郎によくモノマネされ、ネタがすぐばれる手品などは大変有名だった。フジテレビ系のバラエティ番組『ライオンのいただきます』では、塩沢とき等とともに常連ゲストの一員だった。 1989年10月25日、自宅で料理中に和服の袂にコンロの火が引火、全身に大火傷を負い火だるまとなって倒れている姿を発見され病院へと緊急搬送されたが、治療もむなしく翌日、搬送先の病院で死去。87歳。 浦辺粂子の口癖、「人間生まれる時もひとり、死ぬ時もひとり」。 ◇ 今日の誕生花・モヨウビユ(ヒユ科)(模様ひゆ) 花言葉は、「燃え上がった情熱」。 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 子規 君と我うそにほればや秋の暮 虚子 啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々 水原秋櫻子 燃えあがる炎のように色づきぬ 秋のなかばをモヨウビユの葉 鳥海昭子 |

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